二章 ランツフートの衝撃

第12話 Tragödie―悲劇―

「待て! 待ちやがれ! てめえだけは許さねぇぞ、クンツ!」


 クンツの傭兵ようへいたちを蹴散らしたゲッツは、単騎で林道に逃げ込んだクンツを追い、愛馬シュタールを全力で走らせていた。


「待てと言われて、待つ馬鹿はいねぇよ!」


 クンツは振り向きざまにいしゆみを構えて矢を放つ。しかし、ろくに狙いも定めずにヤケクソで撃った矢は大きく外れた。


「下手くそめ! 観念しろ、クンツ!」


 駿馬しゅんめシュタールは、クンツの馬にあっという間に追いつき、ゲッツは腕を伸ばしてクンツを馬から突き落とした。そして、自分もシュタールから飛び降り、落馬して仰向けに倒れているクンツに馬乗りになって憎たらしい顔をぶん殴ったのである。


「答えろ! なぜクリストフの城を襲った! なぜあいつの家族や家臣たちを皆殺しにしたんだ!」


「お、お前に答える義務はない」


「うるせえ! ちゃんと質問に答えろ!」


 ゲッツは、そう怒鳴ると、もう一度クンツを殴った。


「クリストフの従妹いとこは……イルマ殿は、どうしたんだ。お前がさらってどこかに監禁しているんだろう? クリストフが、彼女をお前の嫁にすることを渋っていたからって、何ていうことをしたんだ!」


「か、監禁だと? 違う! 俺の妻として迎えたんだ!」


 クンツは、口から血を垂らしながらわめき、ゲッツの三発目の拳を右手で受け止めた。そして、大暴れしてゲッツの体をひっくり返し、今度は自分がゲッツを組み敷こうとした。だが、


「ゲッツ様!」


 主人の後を追って来たトーマスが、剣でクンツの鉄兜を思い切り叩いたのである。意識が一瞬吹っ飛びそうになったクンツは、何とかこらえて、ゲッツの体から離れた。


「さらばだ、ゲッツ。お前に俺の気持ちが分かるものか!」


「人の気持ちを一番無視している貴様がよく言うぜ! こら、待て! 待てと言っているだろうが!」


 クンツは、へこんだ鉄兜をゲッツの顔面に投げつけると、馬に乗って逃走してしまった。



            *   *   *



「ちくしょう。ようやく追いつめたのに逃がしちまった……。あいつは父親の代に居城を奪われて流浪の身だから各地を転々としていて、居場所をつかむのにも一苦労だっていうのに。くそう……」


 ザクセンハイム城の城門を馬に揺られながらくぐったゲッツは、鉄兜をぶつけられてヒリヒリと痛む鼻をさすり、悔しげにそう呟いた。そんなゲッツを慰めたのは、今日のクンツとの戦いに協力してくれていた老騎士タラカーだった。


「そう気に病むな、ゲッツ。あのクンツという若造は、俺やお前の伯父のフリッツ殿に負けないぐらいの暴れ者の盗賊騎士だ。それに、領土がひとつもないくせに傭兵をたくさん雇い、立派な武具をそろえることができるのは、私闘フェーデで和解金をぶん取り、農村を襲って金品を奪っているからだ。近い内、私闘フェーデか略奪をやるために必ずどこかに姿を現すさ。その時、奴を捕えよう」


「そうだな……。クンツの野郎は、自分の騎士叙任じょにんの儀式に必要な資金すら、略奪をしまくって集めたんだ。金がなくなったら、じっとしていないはずだ」


 ニュルンベルクとの壮絶ないくさから二年が経ち、タラカーのわずかに黒が混ざっていた頭髪は全て白髪になっていた。


 ただ、見た目は老けても、血の気の多さは相変わらずで、近頃はドロテーアの兄ラインハルトの居城であるザクセンハイム城にゲッツと共に客分として身を置き、近辺の騎士や裕福な都市と私闘フェーデを繰り広げていた。


 ラインハルトは、妹を助けてくれたゲッツのことをすっかり頼りにして、ゲッツとその仲間たちを歓迎してくれていたのである。


「ゲッツ殿、タラカー殿。よくぞご無事で。あの、クンツは……」


 ゲッツの帰りをずっと待っていたラインハルトが出迎えてくれた。


「すまない。あと一歩というところで、奴を取り逃がしてしまった」


 下馬したゲッツがそう言って頭を下げると、ラインハルトは慌てて、


「いえ、いえ! そんな! 謝らないでください、ゲッツ殿!」


 と言い、ゲッツの手を取った。


 本来なら、妹の許嫁いいなずけの仇であるクンツを命に代えて討たなければいけないのは、ラインハルトなのだ。武術に自信がなくてゲッツにその使命を代わりに果たしてもらおうとしているのだから、ラインハルトが文句を言えるはずがない。


「あっ、そうだ。アンスバッハのゲオルク様から手紙が来ましたよ」


「若様から……。クリストフの行方が分かったのだろうか?」


 ゲッツは、ラインハルトから手紙を受け取ると、急いで手紙を読んだ。


 ゲッツと親しいブランデンブルク辺境伯へんきょうはくの次男ゲオルクは、ゲッツの求めに応じて、クンツが起こした事件の直後に失踪してしまったクリストフを家来たちに捜索させてくれていたのである。


 しかし、クリストフが見つかったという連絡かも知れないというゲッツの期待は、すぐに失望に変わってしまった。ゲオルクの手紙には、


「一年ほどクリストフを捜してきたが、全く手がかりがつかめない。恐らく、辺境伯領とその近隣には、彼はいないだろう。もっと捜索の範囲を広げる必要がある。……だが、残念ではあるが、クリストフの捜索はいったん打ち切らなければならないことになった。

 ランツフートの継承権けいしょうけんをめぐる、バイエルン・ミュンヘン公とプファルツ選帝侯せんていこうの争いがいよいよ激化し、ついに戦争へと発展してしまったのだ。我ら辺境伯家はローマ王マクシミリアン様の義弟であるミュンヘン公側につくことになるだろう。ゲッツも、戦の準備を急ぎ整え、我が父の元へはせ参じて欲しい」


 と、このような内容が記されていたのである。


「欲深じじい同士の喧嘩に駆り出されるのかよ。嫌になるぜ」


 これから始まるランツフート継承戦争に関しては、後で詳しく説明するとして、ゲッツが抱いた感想はそんな感じだった。


 ゲッツにしてみれば、ドロテーアのためにも消息不明のクリストフを捜すことのほうが大切なのだ。諸侯同士の勢力争いなど、どうでもいい。


(しかし、辺境伯には恩がある。俺を兄のように慕ってくれているゲオルク様も出陣するようだ。……はせ参じぬわけにはいかぬ)


 「嫌になるぜ」と愚痴りながらも、義理堅いゲッツはそう考えた。


(ドロテーアに別れを告げて、アンスバッハに向かわねば……)


 切ない気持ちを胸に抱き、ゲッツはドロテーアのことを想った。



            *   *   *



 クリストフの悲劇が起きたのは、一年前の春のことである。


 その日、クリストフは腕が立つ家来たちと共に狩りに出かけており、クリストフの居城には母親と十歳の弟、従妹のイルマ、そして、わずかな人数の家来だけが残っていた。


 狩りは、騎士にとって武芸を磨くためのたしなみでもあったが、農民のために害獣がいじゅう駆除くじょすることも領主としての役目だったのだ。


 クンツは、この日にクリストフが狩りのために城を空けることを何らかの手段を使って調べ、


「クリストフ殿はいるか。友のクンツが訪ねて来たと取り次いでいただきたい。良い酒が手に入ったから、共に飲み交わしたい」


 と、城主が不在の城に、多くの酒樽さかだるを家来に運ばせて現れたのだ。


 何度か城に訪ねて来たことがあったクンツは、何の警戒心も抱かれず、城内の居館に通された。そして、クリストフの母親から、


「クリストフが戻るまで、どうかゆっくりくつろいでいてください」


 と、言われると、クンツは、クリストフの母親の背中に隠れるようにして立っている美しいイルマに視線をやりながらニヤリと笑った。


「いや、実は、用があるのはクリストフでなく、そちらのイルマ殿なのだ。俺は、イルマ殿を我が嫁として迎えに来た」


「え? お、おたわむれを……」


「戯れなどではない。者共ものども、出て来い」


 クンツがそう合図をすると、酒樽の中に隠れていたクンツの傭兵たちが樽から姿を現し、クリストフの母親のそばにいたイルマを連れ去ろうとしたのである。


「伯母上! 伯母上! 助けてください!」


 病弱で気が弱いイルマは泣き叫び、クリストフの母親に助けを求めた。驚いたクリストフの母親は、イルマを救うように家来たちに命令したが、まともに戦える者はクリストフが狩りに連れて行ってしまっている。あっけなく、クンツの傭兵たちの返り討ちにあった。


「クリストフのお母上、安心してくれ。俺も友の家族には手を出さない。……このまま大人しく俺にイルマ殿を差し出してくれたらな」


「ふざけるな! イルマ姉様は渡さないぞ!」


 兄が不在の時は自分が母やイルマを守らなければと健気にもそう思ったクリストフの弟が、勇気を振り絞って短剣を抜き、クンツに斬りかかった。


 まさか、十歳のガキが勝負を挑んで来るはずがないとなめていたクンツは、クリストフの弟にふところに飛び込まれ、


(あっ、しまった)


 と、狼狽ろうばいした。そして、かわす余裕もなく、夢中で手に握っていた剣を横に払ったのである。


 ポン、と少年の首が飛び、目の前で我が子を惨殺ざんさつされたクリストフの母親は心臓発作を起こして倒れた。もともと胸の病をわずらっていた彼女は、激しい発作にもがき苦しみ、白目をむいたまま絶命した。


「チッ……。やっちまった。大人しくしていたら殺さないと言ったのに、なんで抵抗なんかするんだよ」


 人間の情というものに対して想像力に欠けるクンツは、大した抵抗も受けずにイルマを誘拐できると考えていた。自分なら、命が危なかったら家族でも見捨てると思っていたからである。しかし、予想に反して、クリストフの家族や家来たちはイルマを助けるためにクンツに抵抗し、結果的にクンツは城内の人間をほぼ皆殺しにしてしまったのだった。


 乱闘中、蝋燭ろうそくが倒れ、城内で火事が起きた。


 自分たちまで火に焼かれて死にそうになったクンツと傭兵たちは、イルマを連れ、命からがら城から脱出して行方不明になった。


 領主の城が大火事になっているのを見た農民たちは、クリストフの不在を狙って盗賊が城を襲ったのだと思い、このままでは自分たちまで金品や食料を奪われた挙句に殺されると恐れた。そして、多くの者がニュルンベルクなどの帝国自由都市に逃散したのである。


 こうして、イルマをさらわれ、母と弟を殺され、多くの家来や領民を失ったクリストフは、一度に我が身を襲った不幸に絶望したのか、失踪してしまったのであった。


 この悲報を聞いたドロテーアは、婚約者のクリストフの身を案じ、あまりにも悲惨な事件に心を痛めて、しばらくの間、寝込んだ。体調が回復した今でも、ドロテーアは以前のような元気はない。


 ゲッツは、何とかしてクリストフを捜し出して、ドロテーアの笑顔を取り戻したいと考え、ずっと捜索を続けている。ザクセンハイム城に客分としてとどまっているのも、ドロテーアのことが心配でそばにいて励ましてあげたかったからである。


(クリストフ。お前は今、どこにいるんだ。なぜドロテーアの前に現れてやらない。お前は多くのものを失ったが、ドロテーアという宝がお前にはまだ残っているんだぞ。お前にとって、彼女は帰るべき場所ではないのか?)


 ゲッツは、心の中でいつもクリストフにそう問いかけていたのであった。

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