第7話 konfrontieren―対峙―

 翌日、フリッツからの決闘状を昨日受け取っていたドロテーアの兄・ラインハルトは、約束通り、ゾーデンベルク城の南方にある小高い丘に傭兵ようへい五十人ほどを引き連れて現れた。


「逃げずに来たな。褒めてやる」


 傭兵三十数人とゲッツ、トーマス主従を従えてラインハルトを待ち受けていたフリッツは傲岸ごうがんな態度でそう言い、ガハハと笑った。


「あ、あともう少ししたら、我が方に助っ人が来るはずなのだ。だ、だから、ちょっとだけ待ってはくれないか」


 外道げどう極まりないと評判の盗賊騎士フリッツにすっかりおびえてしまっているラインハルトは、恐怖で歯をガタガタ鳴らしながら、懇願こんがんするようにフリッツにそう言った。


 雇い主の恐怖が伝染してしまったのか、フリッツの手勢よりも数が多いはずのラインハルトの傭兵たちまでもが顔色悪く、戦う前から戦意が喪失する一歩手前だった。


「待てないな。俺は気が短いんでね。決闘の時間に遅れて来る、貴様の助っ人が悪いんだ」


「そ、そんな……。せ、せめて、妹の無事な姿を見せてくれ」


「それぐらいは、お安い御用だ。ゲッツ、兄妹に感動の再会をさせてやれ」


 馬上のフリッツが後ろを振り向いてそう言うと、人質のドロテーアをふところに抱いて馬に乗っていたゲッツは、「あいよ」と返事し、そばにいたトーマスに目配せをしながら、ゆっくり、ゆっくりと前に進み出た。


 そして、フリッツを通り過ぎた途端、


「それ!」


 というかけ声とともに、馬を疾駆しっくさせ、ラインハルトの陣に風のごとく駆け込んだのである。


「あっ! 何をする気だ、ゲッツ! お前たち、ゲッツを止めろ!」


 一瞬、唖然あぜんとしていたフリッツだが、すぐに我に返り、傭兵たちに怒鳴った。しかし、フリッツの背後でも異変が起きていたのだ。


「ぐわっ!」


「何しやがる!」


 敵陣に走ったゲッツを追いかけようとした傭兵たち数人が、トーマスに後ろから剣で兜をぶっ叩かれて、倒れた。フリッツが「どういうつもりだ、トーマス」と声をかける間もなく、トーマスも馬を走らせ、ラインハルト側についたのである。


 ゲッツの突然の裏切りにフリッツは大いに驚いたが、ラインハルトも何が起きたのか分からず、ぼう然としていた。


「兄上!」


「お、おお……。ドロテーア、よく無事でいてくれたな」


 馬から降りたラインハルトは、愛する妹を抱きしめ、涙ぐんだ。そして、ゲッツを見上げ、「あなたは、いったい……?」と問うた。


「俺は、フリッツ伯父上のおいで、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンという者だ。女を人質に取る伯父上のやり方が気に食わないから、この私闘フェーデでは、貴殿の味方をしようと思う」


「そ、それはありがたい!」


 精悍せいかんな若武者が味方についたと分かると、さっきまで顔を真っ青にして怯えていたラインハルトの血色が良くなった。一方、フリッツは猛烈に怒っている。


「ふざけるな、ゲッツ! ガキの頃から可愛がってやっていたのに、俺を裏切る気か! いくらお前でも許さねえぞ! ケツの毛を全部引っこ抜いてやる!」


「悪いな、伯父上。今回ばかりは、伯父上の味方はできねえ。女を泣かせるような私闘フェーデは、俺の正義に反する」


「なーにが正義だ! どうせ、その娘のおっぱいに目がくらんだんだろう! お前は、おっぱいが大好きだからなぁ!」


 女を泣かせるのは嫌だというのはゲッツの本心だったが、今回の行動理由の三、四割程度はドロテーアのおっぱい目当てであったため、図星を指されたゲッツは「うぐぐ……」とうなった。


「ゲッツ殿?」


 ドロテーアのいぶかしげな声が後ろで聞こえ、ハッとなったゲッツは「そ、そんなことはねえよ!」と怒鳴る。若干、声が裏返っていた。


「伯父上のほうこそ、さっさとほこをおさめろよ。人質にしていたドロテーア殿は、すでにラインハルト殿の手中にあるんだ。戦う理由はなくなっちまったぜ」


「戦う理由なんてどうでもいいんだよ。俺の気に食わねえ奴をぶちのめすだけだ。私闘フェーデなんて、俺がスッキリできたらそれでいいんだ!」


「やれやれ……。できることなら、伯父上とは剣を交えたくはなかったんだが、仕方ねえな」


 フリッツの野獣のごとき闘争心には、無類の喧嘩好きのゲッツでさえあきれてしまう。ゲッツはため息をつきながら、剣を抜いた。


「ゲッツ。最後に警告だ。今からでも許してやるから、こっちに戻って来い。戦いが始まれば、俺は頭に血が上っちまうから、いくら可愛い甥が相手でも手加減ができなくなるぞ」


「男たる者、一度守ると約束した女を裏切ることはできねえ」


「だったら、仕方ない。さあ、来い! ゲッツ!」


 馬上で剣を構え、ゲッツとフリッツはにらみ合った。


 いよいよ竜虎相搏りゅうこあいうつか。敵味方、固唾かたずを呑んだ。しかし、二人の決闘を止める者が現れたのである。


「その私闘フェーデ、待て! 待て! 俺も加わるぞ!」


 一人の青年騎士が、くれないのマントをひるがえし、丘を駆け上がって来た。二十数人の傭兵を引き連れている。それを見たラインハルトは、


「おお、クリストフ殿が来てくれた! 良かった! 間に合った!」


 と、今にも踊り出しそうな喜びようでそう叫んだ。


「え? クリストフ? ……ああ! あれは、クリストフ・フォン・ギークじゃねぇか! ラインハルト殿が頼んでいた助っ人というのは、クリストフのことだったのか!」


 ゲッツは、ブランデンブルク辺境伯へんきょうはくの元で共に騎士見習いをしていた友人と思わぬ場所で再会し、驚いた。クリストフのほうも、「やあ、ゲッツか! 久しいな!」と笑顔で手を振っている。


「チッ……。前後で囲まれちまったか……」


 背後から現れた新手をチラリと睨むと、フリッツは「こいつは引いたほうがいいな」と呟いた。


 そして、その直後、ラインハルトめがけて猛然と突進したのである。


 ゲッツとクリストフが味方に加わり、すっかり油断をしていたラインハルトは、完全に無防備で、ドロテーアを抱きながら「ひぃぃ!」と悲鳴を上げた。


 カキン!


 と、刃が刃をはじく音が鳴る。逃げる前に一撃食らわせてやろうとフリッツがラインハルトに振り落とした剣の一閃いっせんをゲッツの剣がはね返したのだ。


「さすがだな、ゲッツ! 次の私闘フェーデでは、俺の味方になれよ!」


 フリッツはニヤリと笑うと、馬首を返し、手下の傭兵たちに「撤退だ!」と怒鳴った。そして、あっさりと逃げ去ってしまったのである。


 ラインハルトは、退却するフリッツをポカーンと見つめていた。


「伯父上は、頭は悪いが、野生動物みたいな直感を持っているんだ。この喧嘩は勝てねぇと分かったら、ああやって簡単に逃げるのさ。勝てないと最初から分かっている喧嘩には興味がないんだよ」


「しかし、後日、またあの男が私闘フェーデを仕掛けて来るのでは……」


「それは心配ない。あの人は、あちこちで敵を作って、見境のない私闘フェーデに明け暮れているから、過去にやり合った相手に再戦を仕掛けるほど暇ではないんだ」


 ラインハルトにそう言うと、ゲッツは「だから、もう安心しな、ドロテーア殿」とドロテーアにウィンクをした。


 ……と思ったら、そばにいたはずのドロテーアは、ゲッツの親友クリストフの元へ「クリストフ様ぁ!」と手を振りながら駆け寄って行く最中だった。


「え? 何だ? ドロテーア殿とクリストフは、どういう……」


「二人ですか? 婚約者同士ですが」


「へぇ、婚約者かぁ。そうか~。ふ~ん。…………は? こ、婚約者? ドロテーア殿とクリストフが!?」


 ゲッツは、くらりと目まいを起こした。馬から落ちそうになった主人の体をトーマスが慌てて支える。


「ゲッツ様、大丈夫ですか?」


 と、心配そうな声で聞いたが、笑いをこらえるので必死だった。


「な、何だよ……。あんた、婚約者がいたのかよぉー! くっそぉ~!」


 ゲッツが泣きそうな声でそうわめくと、下心など一切なくてただの親切心から助けてもらったと勘違いしていたドロテーアは、


「私に婚約者がいると知っていたら、助けてくれなかったのですか? ゲッツ殿はおのれの正義に従って、ザクセンハイム家に助勢してくれたと思っていたのに、とても残念です。失望しました」


 と、本当に残念そうな悲しみに満ちた表情でそう言った。純粋なドロテーアに対し、ゲッツは、ぐうのも出なかった。


「情けない姿を見せたら、見っともないですぜ。ゲッツ様は、ドロテーア様に許嫁いいなずけがいると分かっていても、助けたはずです」


 トーマスにそういさめられたゲッツは、「そうかなぁ。自分でも自信がないぜ」と呟いた。


「きっと助けましたよ。あなた様は、盗賊騎士のくせして、正義感が強くてお人好しなところがありますから」


「『盗賊騎士のくせして』は、余計だ」


 ゲッツはそう言うと、盛大にため息をつくのであった。

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