鉄腕ゲッツ

青星明良

一章 盗賊騎士

第1話 Fehde―私闘―

「ああ、そうかい。てめえの従者がタラカーの親父の傭兵に先に喧嘩を吹っかけて怪我を負わせたっていうのに、謝罪をしたくないと言うんだな? お詫びに一ペニヒの金も寄こさないと?」


「当たり前だ! 俺の従者のほうが重傷なんだぞ! そっちが謝罪しろ!」


 時は、一五〇二年初夏。


 場所は、ドイツ南西シュヴァーベン地方のコッハー川南岸。


 そこで、二組の狼の群れが、烈々たる陽射しの下、睨み合っていた。


 馬上にある騎士も、槍、剣、いしゆみなど思い思いの武器を手に持った傭兵ようへいたちも、ひたいに汗をにじませて、野獣のうなり声のような荒い息遣いをしながら戦いが始まるのを待っていた。どいつもこいつも、ひと目で荒くれ者だと分かる凶暴な目つきだった。


 だが、ただ一人、一方の狼の群れの先頭にいる若き騎士だけが、馬上で黒髪を風になびかせて、さわやかな笑顔だった。日焼けして浅黒い肌のその青年騎士は、「だったら、仕方ねえ」と言うと、ペッとつばを吐き、対峙する敵の騎士に長槍の穂先を突きつけた。


「このゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン様が、てめえの汚い面を地面にねじ伏せて頭を下げさせてやる」


「騎士になりたての若造が、何を偉そうに……」


 昼間から酒でも飲んでいたのかやたらと鼻が赤い敵の騎士はフンと嘲笑あざわらい、ゲッツと名乗った青年騎士を馬鹿にした。しかし、その余裕の笑みは一秒後に凍りつくことになる。


 ガゴーンッ!


 鉄兜に激しい衝撃。くらりと目まいがして、何が起きたのか理解する前に、赤鼻の騎士は落馬した。どうと大地に倒れる。慌てて起き上がろうとしたが、足元に転がっていた長槍につまずき、再び倒れてしまった。


 それは、ゲッツの槍だった。敵めがけて力任せに槍を投げつけたゲッツは、


「ぶん投げろ! ぶん殴れ! 全てはそれからだぁーっ!」


 自分に気合を入れる時に口にするいつもの合言葉を大声でわめくと、家来のトーマスに預けていた鉄兜をかぶるのも忘れて剣を抜き放ち、馬を疾駆させた。そして、無様に倒れ伏している赤鼻の騎士に襲いかかったのである。


 赤鼻の騎士が「な、何をしている。助けろ!」と後方の味方に叫ぶ。あっ気に取られていた彼の家来や傭兵たちは我に返り、主人を守るために槍衾やりぶすまを築いてゲッツを待ち受けた。しかし、ゲッツは、止まらない。ますます馬を猛然と駆けさせ、


「おら、おらぁぁぁーーーっ!」


 怒号を上げつつ、強引に中央突破をしようとしたのだ。


 ただ、これはちょっと無理があった。敵にも気性の荒い歴戦の傭兵がいる。一人の傭兵が、


「なにくそ、この野郎!」


 と喚きながら、ゲッツの馬の尻を槍で突いたのだ。


 驚いた馬は「ヒ、ヒヒーン!」といなないて暴れ、ゲッツは敵の傭兵を二、三人下敷きにして落馬した。だが、馬から落ちても、


「畜生! 何しやがる!」


 と怒鳴り、自分が下敷きにした傭兵の頭を剣の柄頭つかがしらでぶん殴り、ぶん殴り、闘志はほんの少しも衰えていない。根っからの喧嘩好きらしい。


「ゲッツ様! 危ない!」


 ゲッツを背後から短剣で斬りつけようとした傭兵がいたが、家来のトーマスが主人の鉄兜で傭兵の横面よこづらを張り倒した。鉄製の兜で殴られた傭兵は、気絶して倒れた。


 トーマスは主人のゲッツが兜をかぶらないで飛び出したため、自分の剣を抜く暇もなく慌てて主人を追いかけて走り、駆けつけたのである。


 トーマスはゲッツよりも三歳年下の十九歳だが、主君であるゲッツが今日のような荒事に毎回首を突っ込むため、知らぬ間に主人に負けないくらいの胆力を身に着けていた。


「ゲッツ様! 兜! 兜! 早くかぶってください!」


「おう、すまねぇ。トーマス、お前も剣を抜け」


「誰のせいで剣も抜かずに敵陣に突撃したと思っているんですか!」


 鉄兜をかぶったゲッツは、トーマスと背中合わせになり、襲い来る槍や剣を払い、叩き、反撃して、再び暴れ始めた。


「相変わらず、ゲッツは猪だなぁ。くっくっくっ」


 ゲッツの猪武者ぶりを見物していた老騎士タラカーは、愉快そうに言い、笑った。赤鼻の騎士と争っている張本人は、実は、最近白髪が目立ち始めたこの老人騎士なのである。ゲッツは、タラカーの助っ人として、駆けつけたに過ぎない。つまり、争い事の部外者が他人の喧嘩にしゃしゃり出て、暴れまくっているのだ。


 呑気のんきに笑っているタラカーに、ため息交じりで「親父殿。笑っている場合ではありませんよ」と言ったのは、タラカーの傭兵のハッセルシュヴェルトという男だった。


「そろそろ、我々もゲッツ殿に加勢しなければ。……ほら、危ない」


 敵の傭兵がいしゆみを構え、ゲッツを狙っていることに気づき、いしゆみの使い手であるハッセルシュヴェルトは冷静かつ迅速に狙いを定めて矢を放った。その矢は敵の弓兵の右腕を貫き、「ぎゃっ!」と悲鳴を上げた傭兵はいしゆみを手から落とした。


「そうだな。いくらゲッツでも、あれでは多勢に無勢だ。……かかれ!」


 タラカーが剣を抜いて号令をかけると、無頼ぶらいの傭兵たちは「おおう!」と声を張り上げ、一斉に突撃を開始したのである。


「さあ、赤鼻野郎。俺と勝負だ」


 仲間の加勢によって、さらに勢いづいたゲッツは、赤鼻の騎士に一騎打ちを申し出た。赤鼻の騎士は「の、望むところだ」と言いながら剣を構えたが、左足を引きずっている。落馬した時に怪我をしたらしい。ゲッツは、敵が負傷していると知ると、


「もう一度、すっ転べ!」


 そう言い、何の躊躇ちゅうちょもなく、赤鼻の騎士の足を払った。哀れな赤鼻の男は前のめりに倒れ、地面で顔を打った。


「ひ、卑怯だぞ! 貴様、それでも騎士か!」


「ああ、そうさ。俺様は騎士だぜ。ただし、騎士は騎士でも、人から盗賊騎士と呼ばれている荒くれ者だがなぁ!」


 ゲッツは凶悪な笑みを浮かべてそう言うと、右足で赤鼻の騎士の頭を踏みつけ、地面にねじ伏せるのであった。

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