14.嘘つき女 髪の一筋さえも燃えてしまいそうなこの感情の名は
本当は嫌だけど、ことの経緯を説明するには時間を少し戻さなくてはいけない。
本当は嫌なんだけどね。仕方がない。ここはしょったらわけわかんなくなるし。
はー。
さて
「この家いったい何部屋あるの?」
「数えたことない」
「さっきのって家政婦さんとか?」
「そうだよ。何人かいるんだ。うちの母親家事とかしないからさ」
思わず鼻を鳴らして笑う。
だってふざけてるでしょ?
世の中って何て不公平なの? 無垢な女子高生を拉致するようなチャラ男がこんな豪邸に住めて、日々を堅実に生きてる私がダンボール生活なんてね。やってられない。本当に。
あらゆるやる気もなくすわよ。こんなん見たら。
あーあ!
あまりの世界の違いにすっかり堅実に生きる気持ちを削がれた私は、チャラ男に先導されるがままある和室に通された。
壁にはビールを片手に持ったビキニ姿のお姉さんのポスターの貼ってあり、古そうな勉強机と漫画本の多い本棚とベッドがある。
「俺の部屋」
チャラ男のその言葉を、私は意外に思った。こいつの私室はもっとチャラチャラした部屋だと思っていたからだ。なんていうかほら、無駄に香水の匂いとかしたりモダンな家具とか置いてるようなチャラチャラした部屋よ。
やがて家に入った時に出迎えてくれた家政婦さんがお茶とケーキを持ってきてくれて、なぜか私はチャラ男のマシンガントークを聞かされることとなった。
「で、俺には兄と弟がいて、三人兄弟。兄はもう結婚して家を出てったけど弟は今高二だな。これがからかい甲斐のある奴でさー」
しかも話題は彼の家族について。
どうでもいいので、話の半分は聞いていなかった。
部屋の内装は庶民的だけれども広さは十二畳はあると思う。私達が入って来た廊下側とは反対側の障子の向こうに庭があって、さっき開けてもらったら涼しい秋風が入り込んできた。
そういえば、来週の土日はもう文化祭の本番だ。早いものだと思う。文化祭が終われば、私達は進路について考えなくてはならない。
大学へ行く気はなかった。さすがにそこまでお金をかけてはいられない。
もし卒業までにめぼしい結婚相手が見つからなければ、どこか金持ちの多そうな会社にでも就職するだろう。
庭は広く、残念ながら池は見えなかったけれども、カラタチバナが赤い実をつけ、ヤツデがぽんぽんのように丸く花を咲かせているのが見えた。
カラタチバナとかの赤い実は、幼い頃、私は毒があるのだと信じてた。白雪姫の赤い林檎のイメージだったのかもしれない。
真っ赤な毒だ。
「まぁ兄弟っつっても俺達腹違いだからあんまり似てないんだけどね? あ、俺と一番上の兄貴は同じ腹よ? 弟だけ愛人の子なの。まぁ俺にとってはあんまり 関係ないけどな。いきなり弟できた時は嬉しかったし。これが生意気でさー。もうその生意気さがかわいいっつーか、純情でさー」
「いやね、どうでもいいから。あんたの弟なんか」
私は言ってやった。
だってつまらないもの。会ったこともない弟の話なんかされてもね。
「お? そう? 結構いい男だぜ? 俺の弟」
「興味ない」
愛人の子でしょ? 遺産入ってこないんじゃ意味ないし。
「じゃあ何の話するよ?」
一人椅子に座り机に頬杖をついたその男は、畳に座る私を見下ろした。なんだこいつは。さっきから馴れ馴れしい。
私は眉をしかめた。
「どうして私とあんたが話をしなきゃならないのよ。というかあんた、何が目的なわけ?」
部屋に連れ込んで襲うわけでもなくどうでもいい身の上話をつらつらと始めやがって。
もちろん、部屋に入ってすぐ障子を開けてもらったのは襲われた時に逃げやすいようにだ。けれど男はそんなそぶり一つ見せずに、ただ一人話し始めた。
目的がわからない。友達がいないのだろうか。話し相手が欲しかったとか?
残念。私あんたとは友達にはなれないわ。
生理的になんかムカつくから。
「ところであんたはどうして俺についてきたんだ?」
質問に質問で返されて、私は眉間の皺を深くする。
「着いてきたんじゃないわ。あんたが無理やり連れてきたんでしょ?」
男は心外そうに肩をすくめた。
「別に縄つけられて引っ張られてきたわけじゃないだろ? 本当に嫌なら大声で叫べばよかったんじゃねぇの?」
もっともらしいその言葉に、私は口を真一文字に引き結んで睨みつける。
言えるわけがない。豪邸に目が眩んで、だなんて。
だって!
もしかしたらこの豪邸の中に年下で病弱な私の運命の相手がいるかもしれないじゃない!
男は笑った。
「別に俺はあんたの話でもいいぜ? 生い立ちとか」
「わかった。あんたの父親の話をして」
私の話ですって? はん。冗談じゃないわ。どうして初対面のあんたに神聖なるこの
すると男は眉を上げた。
「父親? あの最低男の? あんた物好きだなぁ」
だって全く知らない人間の話より少しでも見たことのある人間の話の方が聞く気になるでしょ?
私がにっこりと微笑んでその考えを表現すると、男は考えるように目を彷徨わせた。
「うーん。とりあえず、あいつはさ、あんたの言う通り最低男なわけよ。金の亡者。人間を人間とも思ってないクズだよ」
「仮にも父親じゃないの?」
ひどい言い草だ。
「俺を作ったのは確かにあの男の一部だけど、でもクズはクズだ。変わりはないね」
私は、ここまで自分の親というものを無感動に話す人間を初めて見たので驚いていた。それはまるで、赤の他人の話をしているようだ。それも心の底から大嫌いな赤の他人の話を。
実の息子にここまで嫌われてるなんて、あの最低男のこれまでの所業がうかがえる。
もしかしたら人の一人や二人は殺してるかもね。
そんでこの家の下に埋めたりしてるかも。
あー。ぞっとする。
「あいつ自身、自分の親に対しては軽蔑の念しかねぇんじゃねぇかな。十九の時に家出して、苗字まで変えたって話だし。だから俺達、父方のじじばばには会ったことないの。生きてるかどうかも定かじゃないね」
なんというドラマのような家庭だ。
こっちの方が印税稼げるかもしれん。
「一番かわいそうなのは弟だよ。あいつに道具のようにしか思われてない。婚約だってさせられてるけど、それは本人の意思とは無関係なんだ。ただあいつの利益になるからってだけ」
チャラ男は張り付いた笑みを見せた。
「時代錯誤だろ?」
そうだ。
この時、私は既視感を覚えたのだ。
この青年の笑顔を、どこかで見たと思った。
その時に気付けばよかったのだ。その仮面のような笑顔が、誰に似ているのか。
あるいは婚約者がいるというその弟の名前を聞けばよかった。そうすればすぐに思い至っただろう。
この後もチャラ男はその兄や弟の話をずっとしていたのだけれども、私はほとんど聞き流していた。
そしてきりのいいところでトイレに立った。案内してあげようかという男の申し出を丁重に断り、場所を説明してもらって部屋を出た。もちろん、あわよくばそのまま帰ってしまおうと思っていたのだ。ここまで話を聞いても病弱な遺産相続人の話は出てこなかったし、面倒そうな家庭問題には首を突っ込みたくなかった。
そしてその帰りに迷子になって、荻原武士に会った。
帰れと言われた。
怒鳴られた。
縁を断ち切られた。
はっきり言って私は泣きそうだった。
だから涙がこぼれ落ちる前にそこを走って逃げた。
玄関にたどり着けたのは動物的直感のおかげね。
不覚にも帰り道に諭吉先生を探すのも忘れ、私は走った。走りに走った。爆発したようにあふれ出てきた感情の波が、私の中を支配していた。
☆ ☆ ☆
昔、精神科の先生に言われたことがある。
君はパニック体質で、何か突発的でかつ予想外の出来事にあうと、一気に感情が爆発してしまって、自分が本当に感じている感情の名前が分からなくなってしまう傾向にあるね。
今回の場合もそうだ。いいかい? 君は何も感じていないんじゃないんだよ。
色々なことを感じすぎているんだ。
さぁ、ようく整理してごらん。
驚いたという気持ちは驚いたという引き出しへ。
悲しいという気持ちは悲しいという引き出しへ。
怒りという気持ちは怒りという引き出しへ。
寂しいとい気持ちは寂しいという引き出しへ。
それぞれに整理してしまってごらん。そうしてから一つずつ、丁寧に取り出して、その感情をゆっくりと感じるんだ。
いいかい?
君の中の気持ちの波をまずは穏やかにしてあげよう。
そして絡まった紐をときほぐすように、どの流れがどの感情なのかを見極めるんだ。
そうでなくては君は一歩も前に進めない。
波に攫われないで。
本当の自分を見失わないで。
ほら。
☆ ☆ ☆
走っていると、やがて私はダンボールの我が家のある公園にたどり着いた。これも帰巣本能って言うのかしら? さすがは私。
公園の中でようやく立ち止まり、肩で息をする。心臓が飛び出しそうに鳴っている。
それまで忘れていたかのようにどっと汗が出てきて、じわりと私を不快にさせた。
叫びたい。
その衝動を抑えるのが大変だった。
頭をかきむしって地面にのたうちまわりたい。
そんなことしてるところをじじいに見つかったら狂ったかもって思われちゃう。
幸いだったのは、私の中に一人、冷静な自分がいる点だった。
私は彼女の導きで、波が穏やかになり坩堝のようだった流れが整理されていくのを待つことができた。
残されたのは、たった一つの感情だ。
そしてその名を私は知っていた。
湧き上がるように私の心臓を燃やす。頭を熱くさせる。身体が震える。
衝動のまま、私はちょうど横にあった自動販売機を思いっきりに殴った。
ガゴン!
というひどい音がして、何か缶が落ちる。
燃えるようだと思った。この髪の一筋までも、小さな炎の固まりに変わってしまったのではないかと思った。
——怒りで。
なんだか、それはあまりにも常識外れで私らしい自覚の発露だったのかもしれない。奴に拒絶され、それに対して感じた激しい怒りを前にして、私は認めざるをえなかった。
いつから?
そんな疑問に意味があるだろうか。
とにかく私は目を反らし続けていた。
私を拒絶した男に惚れてしまったかもしれないという事実から。
だって、そんなのプライドが許さないし非効率だ。
もちろん、萩原武士は金持ちの息子だから玉の輿に乗りたいという私の根本的願望には矛盾しない。愛人腹だっていうけどまぁそこは後日対処する。長男は家出してるって言うし、後はあのチャラ男を家から追い出せばいいんだから無理な話ではない。
でも奴は私の正体を知っているから正攻法で口説き落とすのは難しいだろう。
少なくとも、私の演技に騙されてくれる金持ちの馬鹿を探す方が私の夢には近道に決まってる。
だからなかったことにしてたのだ。
あの日の放課後ちょっとどきどきしちゃったのも、奴と二人だけの時に演技なしで会話するのを心地よいと感じていたのも。
まぁ別に、嫌いではないけど? 無理にこの男でなくてもいいや、と。
だけど、もうそうはいかない。
萩原武士。
悪いけど、火をつけたのはあんたよ。
私は、命令されるのが嫌いだ。
他人に私の人生を左右されるなんて絶対にごめんなのだ。
『この家から出て行ってくれ』
そしてもう二度と自分に近づくな、とその目が言っていた。
馬鹿にしてる。
どうして私があんたの命令を聞かなきゃいけないの?
そうね。私は奴に惚れてるわ。
だからこそ、奴が私のものにならないなんて嘘じゃない? 私が心から欲しいと思うものが、私のものにならないなんてあっちゃいけないんだもの。
そんな世界は許さない。
そんなのは、許さないのよ。
この燃え盛るようなものが恋だ。
この胸を焦がすようなものが恋だ。
ええ、私はもう逃げない。
だからあんたも逃がしはしないわ。
決してね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます