11.心を読む男 僕は君と縁を切る。

 やっぱりまさるに相談なんてするんじゃなかった。

 あいつはいつも、僕が目を逸らしていることを平気な顔でつきつける。

 僕が多岐たきさんに惚れてるだって?

 ああ、そんなことは最初からわかってる。

 え? 恋愛感情はないって前にきっぱり断言してた?

 馬鹿じゃないのかそんなの自分に言い聞かせてたに決まってる。


 そりゃ僕だって一応健康的な一青少年だし、恋をしたことはある。

 興味を抱いた相手の心の声を聞くことができる僕は、恋をした相手の心の声を聞いて幻滅したり現実に打ちのめされたりして何度も恋に破れてきた。


 それが、多岐さんだけは違ったのだ。


 そう。

 僕が、心の声を聞き続けたいと思った相手は多岐さんが初めてだった。

 その、迷いのない金への執着。彼女に対する他人の評価が、彼女自身の絶え間ない努力によるものだと知った時の衝撃は言葉にできない。なんて興味深い人なんだろう。僕はそう思ったのだ。


 けれどもし僕がこれから先もずっと多岐さんの心の声を聞き続けたいなら、恋の対象として彼女を据えることだけは避けなくてはならなかった。


 ——わかっていたからだ。

 ずっと彼女を見てきて、その強さとたくましさと美しさを見せつけられて、僕は否応もなく確信させられた。

 自分が多岐佳菜子かなこという女性にのめり込んでしまうであろうということを。 

 恋なんていう甘い言葉には収まりきらない。

 地球という惑星の引力に引き寄せられる月のように、どうしようもなく多岐さんに引き込まれ、奪われ、悩まされるだろう。そうなったらもう終わりだ。

 僕は彼女を手に入れたくなる。

 多岐さんという人を。


 所詮、僕も荻原おぎわらの男なのだ。

 欲しいものを手にいれるために手段を選ばない強欲な一族。


 そうだ。もしかしたら僕が一番、父親からその血を継いでいる。

 あの腐った親父と同じ血を。

 だから僕は時々無性に、この身体に爪を立てて皮膚の下に流れる血をすべて抜いてしまいたくなった。


 そうすれば、多岐さんへの想いを押し殺すことも必要がなくなるだろうか。

 不幸になるとわかっていて、彼女を手に入れようとはしなくなるだろうか。

 狂う彼女……見ないですむだろうか。


 ☆ ★ ☆



 その日、多岐さんが学校を休んだ。理由は家庭の事情だと担任が言った。彼女の家庭の事情なんて心当たりがありすぎて見当がつかない。

 祖父と二人で愛人の家に間借り生活してると、何が起きても不思議じゃないだろうというか何でもありだろ、そこまできたら。


 普段は僕が男子の方の、多岐さんが女子の方の文化祭準備の様子を見ていたので、彼女が休んだことで僕は男女両方を監督しなければいけなくなった。けれど僕は実はほっとしていた。多岐さんとどう顔を合わせればいいのか、まだわからなかったからだ。


 土曜日なので午前中で授業は終わり、昼食をそれぞれ食べてから、女子は全員被服室へ行き、男子は教室に残って昨日の続きを始めた。

 浴衣喫茶のテーマは『月見』だ。当日は窓に暗幕をはり室内を薄暗くして、雰囲気をだす予定である。


 男子の作業は中々順調で、僕もメニューづくりなんかを手伝っていたら、いつの間にか三時になっていた。

 僕は被服室の様子を見てくると断り、教室を出た。被服室は保健室のある棟の二階にある。教室から向かうなら、この階の渡り廊下から行くのが最短距離だ。


「黒ポスカない? 黒ポスカ!」

「マッキーでよくない?」

「ちょっとそっち看板踏まないでよ!」

「おいお前マジかそれ下手すぎねぇ?」


 何ていうか、学校全体が活気付いているようだ。

 まぁ当然だろう。文化祭はもう来週なのだ。来週の今日には、在校生の保護者や友人などのお客さんが校内を歩いている。

 広い渡り廊下を半分使って作業してるクラスもあって、僕は彼らの作品を踏まないように歩いた。


 被服室の扉を開けると、そこはなんだか違う世界のように見えた。……何ていうか、ピンクだ。空気が。女子高ってこんな感じなのかなぁ、と思う。

 被服室にはミシンの内蔵された大きな机が三つずつ三列に並んでいて、その机の周りで何人もの女生徒が手に布を持っておしゃべりをしていた。どうやら他のクラスの女子もいるようだ。

 僕のクラスの女子はちょうど一番手前で作業していたので、僕は安堵の息をついた。さすがにこの中を通って奥まで行くのはごめんだし。


 ミシンの前に座っていた女子が僕に気付いた。

 確か名前は根元ねもとだ。根元仁美ひとみ。一年の時、僕は彼女の恋人と同じクラスで、根元仁美はよく教室に遊びに来ていたので覚えていた。


「あ、荻原君」

 彼女は笑ってひらひらと手を振った。彼女の言葉で、他の女生徒達も僕に気付いた。僕は教室に入って扉を閉める。

「ほんとだ荻原君だー」

「あ、そうか。今日多岐さん休みなんだっけ」

「男子はどう? 順調?」


 早くこの場から脱出しよう。僕は心に決めた。

 女の子の集団の中に放り込まれた男子は、まるで狼の群の中に迷い込んだ羊のように萎縮してしまうものなのだ。いや本当に。


「男子は順調だよ。そっちはどう? 終わりそう?」

 僕は言った。

 要は進み具合を確認し、遅れているようならはっぱをかければいいわけだ。

 すると椅子に座ったまま、根元が伸びをするように両手を上げた。

「もう、やんなる! 誰よ浴衣なら簡単だとか言ったの」

早紀さきでしょ」

「え? 違うよ。私じゃないよ」

「どっちでもいいから手を動かす! ほら」


 どうして女の子というのはこうきゃぴきゃぴしているのか。

 うーん。不思議だ。

 僕は思った。

 そういえば、彼女は違う。

 学校での役を演じている時の彼女も、心の中の本当の彼女も、こんな軽いイメージではない。もっと清冽で、しなやかなイメージだ。


「じゃあ、まぁ頑張ってね。また後で様子見に来るから」

 僕は踵を返した。

 この女子の様子を見てると、そんなに遅れてるわけでもなさそうだ。それに浴衣なら日曜に家で続きを作ることもできるわけだし、問題はないだろうと僕は判断した。というかこんなピンクピンクしい空間に長くいるのは耐えられない。


「あ、待って荻原君」

 扉の前で呼び止められて振り向くと、根元がこちらに走り寄ってきた。

「何?」

「あのさ、」

 根元は小声で聞いてきた。


「荻原君と多岐さんって、もしかして付き合ってるの?」


 僕は目を見開いた。

「うちらの間でちょっと噂になってるんだけどさ。最近二人とも雰囲気違うし。本当のところどうなのよ?」

 彼女は周囲をはばかるように僕の方に顔を寄せた。そうしなくとも、被服室の中は騒がしい。これくらいの小声で話せば、聞こうとしない限り他の生徒には聞えないと思うけど。


 僕と多岐さんの噂に関しては、気付いていないわけじゃなかった。男子の間でもなんとなく流れてる噂だ。ただ男子は暗黙の了解のように、僕に直接聞いてくることがないだけだ。彼らは僕が自分から話すまで、そのことを話題にするのはタブーだと考えてるような雰囲気があった。そういう所で、やっぱり女の子ははばか らない。気になるなら聞けばいい。その精神に、僕は多いに賛同する。

 だから僕は答えた。


「別に付き合ってないよ」


 そんな事実は野球部の坊主頭の毛先ほどもない。

 というかそんな噂、多岐さんが聞いてたら怒りまくってると思う。一度自分がふられた男と噂になるなんていうのは、彼女にとって屈辱以外のなにものでもないだろうから。


 ……。

 もしかして、それだろうか。彼女の怒りの原因は。

 だから彼女は、僕を避けだしたのだろうか。この根も葉もない噂を否定するために?


 彼女は、僕を、拒絶しているのだろうか。


 僕はふと笑った。

 根元が怪訝そうに眉を寄せる。

「じゃあ、そういうことで」

 僕はそれだけ言うと、踵を返して被服室を出た。


 騒がしいはずの校内で、外部からの音は全て遮断されたようだった。頭ががんがんと鳴る。麻痺していく。考えてはいけない。何かがそう警告している。


 そうだ。僕は決めた。

 多岐さん。

 君が望むようにしよう。

 君が望むように、僕は君と縁を切る。

 初めからそうすればよかったんだ。

 だって僕は、もう君にこんな風に心を乱されるのはごめんだし、僕に関わって君が狂っていくのを見るのもごめんだからだ。


 ああ。君は残酷なほど母に似ている。

 僕を惹き付け、そして拒絶して狂っていったあのひとに。

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