10.嘘つき女  うーん。もう、泣きたい。

 ホームレスの家の基本はダンボールと新聞紙である。


 冬であるのなら、まず地面に新聞紙やいらない毛布などを敷いてからダンボールを敷き、そのまた上に毛布を敷けば、暖かい我が家ができあがる。けれどまだ秋にさしかかってきたばかりのこの時期であるのなら、新聞紙の上にダンボールを敷くだけで十分だろう。

 家の側面や屋根もやはりダンボールと新聞紙でできあがる。通気性を考えて窓も作っておくとよい。もちろん開け閉めのできる窓だ。これは、ダンボールをコの字に切るだけで出来上がる。


「ちょっと待って。女子高生である所の私に必要なのはこんな知識じゃないんだけど」


 私は軽く頭痛を感じ、こめかみに手をあてて言った。涼しくなってきた夜風が頬をくすぐり、秋の到来を感じさせる。

「今更ぶつぶつ言うな。ほら、できたぞ。立派な我が家だ。がっはっは」

「おお、多岐たきさん初めてにしてはうまいねぇ」

「いや、ゲンさん。それが俺初めてじゃねぇんだわ、ホームレス。四十三ン時から六年くらい家なしだったからな」

「本当かい? じゃあ儂の先輩じゃないかね」


 あっはっはと笑う二人のじじい。

 ああ、頭が痛い。

 現状を報告すると、私、じじい、偶々知り合ったホームレスのゲンさん、ゲンさんのマイホームであるダンボールと新聞の家、その隣に建てられた私とじじいのダンボールと新聞の家、イン、公園。アンダー、秋の夜空。


 ああ。

 私、もう、泣きたい。


☆ ★ ☆


 時は少しさかのぼる。

 嫌な予感はしたのだ。あの、じじいが、この私をお茶に誘ったその時に。

 百年に一度よ。こんな事。私とじじいが二人で喫茶店に入るなんてね。


「で、何の用よ」

 注文を取りに来たウェイトレスにコーヒーを注文してすぐ、私は用件を促した。私はじじいと違って忙しい。七時からバイトなのだ。

 しかしじじいは、何やらにこにこしながら私の後ろの方を見ている。


(なんなのよ)


 私は軽く顔をしかめ、背後を振り向いた。

 するとそこには二人の女性の座るテーブルがあった。女性は二人とも大学生くらいだろうか。テーブルの上にコーヒーを置いて、おしゃべりに花を咲かせている。と、そこにウェイトレスがフルーツパフェを二つ運んでやってきた。

「フルーツパフェでございます」

 ウェイトレスが言ってそれをテーブルの上に置こうとすると、女性の内一人が困惑したように言った。

「あの、私達こんなの頼んでないですけど……」

 するとウェイトレスはにっこりと笑って答えた。


「あちらのお客様からです」

 そう言ってウェイトレスが手で指し示したのは、言うまでもなく、私の、目の前に座る、クソじじい。


 女性二人が驚いたようにこちらを見ると、じじいはウィンクして、気にするなとでも言うように片手を挙げた。すると何故か、二人が色めきたつ。

(やだ、かっこいい!)

(誰、あれ? あんたの知り合い?)

(まさか!)


 私は深いため息をついた。

 何故あの二人はあんな素直に喜べるのか。私なら気持ち悪い。見も知らないじいさんが勝手に私の席にパフェを注文して来たら。


「本題は?」

 私は再度じじいに問うた。

「いやぁ、若い女の子の喜ぶ顔はいいなぁ」

「本題は!?」


 もうこの色ボケじじい本当にいい加減にしてほしい。女と見れば子供から老人まで節操なく色目使うんだから手に負えない。

 確かに、にっこりと笑顔のじじいは優しそうな紳士に見える。なるほどこの顔だけ見たら騙される女もいるかもしれない。たとえその本性がただの変態であろうとも、こんな喫茶店で会っただけのあの女性達にはそれがわからないのだ。


「ああ」

 じじいは、さも私が目の前にいるのに今気付いたかのように言うと、ポケットから何やら取り出してテーブルの上に放り投げた。


 カチャン。


 鍵だった。しかも番号札がついてるところを見ると、おそらく、どこかのロッカーの鍵だろう。

 ウェイトレスが持ってきたオレンジジュースに口をつけながら、じじいはいたって簡潔に言った。


「お前の荷物、全部そん中に入ってるから。必要な時は出せ」

 ……。

「はい?」


 意味がわからないんですけど。

 じじいは片眉をあげ、まるで馬鹿な娘を見るように私を見た。いや待て。今の説明で何をわかれって言うのよ。コラ。


 じじいは仕方ないとでもいう風にため息をつくと、オレンジジュースを置いた。

「S駅のロッカーの鍵だ。決まってるだろが」

「だから何で私の荷物がそのロッカーに入ってるのよ!」

 半ば怒鳴るようにして問いただすと、じじいはこう答えた。


「ああ、言ってなかったっけ? 家、追い出されたから」


 アーハン?

 家を、追い出された、と。

 それはつまり?


 じじいは晴れやかに笑った。

「今日からホームレスだな。喜べ。人生経験が多いに増えるぞ」


 私は口の端を引きつらせて、なるべく冷静になろうと努めた。

 深呼吸だ。ここで、じじいのペースに乗ってはいけない。

 私はマドンナの微笑みを顔に浮かべた。


「追い出された理由は?」

 私達はじじいの愛人の家に住まわせてもらっていた。

 私が見る限り、愛人さんはじじいにぞっこんだったように見えたんだけど。

 するとじじいは答えた。


「浮気」


 私は笑顔のまま言ってやった。

「この色ボケじじい」

 この時ほど、このクソじじいを殴って縛って袋に入れて東京湾に沈めてしまいたいと思ったことはないわ。

 本当に。


☆ ★ ☆



 神様仏様、私、何かしましたか?


 どうしてよわい十七歳の玉の輿こしを夢見る平凡な女子高生が、ダンボールで生活しなくてはいけないのでしょう?

 ああ、世の中って本当に不公平だわ!

 私は夜空にむかって思いっきり叫んでやりたい気分だった。けれど一応深夜だし、ご近所さんのご迷惑になるのでやめておいた。

 もし色ボケじじいが色ボケじゃなかったら、夜中の二時に公園のベンチで夜空を見上げるなんてこと、死ぬまで絶対しなかったと思う。だって危ないじゃない。ホームレスとかいるし。

 けど今回は大丈夫。何故なら私自身がホームレスだからだ。


 ……。あーあ。自慢にもなりゃしない。


 星は綺麗だ。

 都会の方じゃきっとこんなには見えない。


「間抜けづら

 口をぽかんと開けて空を見上げていたら、後ろから声を掛けられた。見るまでもなく相手はわかっている。色ボケじじいだ。

「うっさい」

 空を見たまま私は答えた。気配で、じじいが私の隣に座ったのがわかる。寝ていたと思ってたのに起きていたのだろうか。

 なんと手にはビール缶を持っている。ゲンさんにでももらったに違いない。困ったことにこのじじいの人たらし術は、老若男女に効果を発揮するのだ。


 じじいも私の真似をするように顔を上げた。

 まるで降ってくるようなという、ありきたりな表現が似合う星空だった。じじいの女体座発言があってから、私は星座に詳しくなった。もう二度と騙されまいと勉強したのだ。W字なのはカシオペヤ座。ぺガススの四辺形の上にあるのがアンドロメダ座だ。


「綺麗だな」

 じじいが言う。

「思い出すな。女体座」

「クソじじいめ」

 私は顔をしかめた。するとじじいはくくっと笑った。


 こんなにも世界は綺麗なのに。

 人はあっけなく死んでしまう。

 どうしてだろう。

 私はいつも、星空を見るたびにそれを考えた。


 穏やかな日々というものは突然終わるのだ。

 まるで隕石が落ちてくるのと同じように、唐突に。


「私が演技してるの、ばれちゃった」

 じじいにこんなふうに学校の話をするのはいつぶりだろうか。


「一人だけだけど。保健室で聡子ちゃんと一緒だったから気が抜けてたわ。失敗した」

「はは、ついに化けの皮が剥がれたか」

 じじいはビールを飲みながら笑った。

「わけわかんない奴なの。私が演技してるのを黙ってる代わりに、文化祭実行委員をやれとか自分には嘘をつくなとか言ってくるし」

 腹黒野郎かと思いきや、目尻に皺寄せて無邪気に笑うし。

 本当なんなんだあいつ。

 荻原武士。

 婚約者だと? 

 ふざけたこと言いやがって。


『前世紀の遺物みたいな話でしょ?』


 そう言ったあの男はけれど、親が決めたその縁談を拒絶するつもりもないようだった。

 信じられない。なんでそうなる。

 嫌なら断ればいいのに。相手が親だろうがなんだろうが関係ない。


「誰かの言いなりになるなんて、私なら絶対ごめんよ」

「は? 何言ってんだ? お前がそいつの言いなりになってるって話じゃねぇの?」

「別に私は言いなりになんてなってない!」


 かっとして私は思わず立ち上がった。

 驚いたじじいがビール缶を落としそうになる。


「私は誰かに人生を左右されたりなんてしない! 私の人生は私だけのものだもの! 私の望む通りに生きるわ! 誰にも邪魔させない!」


 頭に血が上っていた。

 感情がぐるぐると暗雲のように渦巻いて、行き場所を見失っている。

 こうなった時の対処法を私は正しく理解していた。唇を噛んで、目を瞑る。手を額に当てて深呼吸をするのだ。落ち着いて。


佳奈子かなこ

「うるさいじじいちょっと黙ってて」


 くそう。

 目頭が熱くなる。

 この涙ってやつは私の意志に関係なく勝手に目から溢れてくるのだ。泣きたくなんてないのに。

 けれどじじいは言った。


「安心しろ。俺はお前より先には死なないから」


 じじいがなんことを言っているのか、私にはすぐにわかった。

 この老人は正しく理解しているのだ。私この信念の根底にあるものを。


「何歳まで生きる気よ。じじいめ」

 そう悪態をつくと、温かい腕にだきしめられた。じじいの匂いがする。腹が立つくらい優しい匂い。

 ずっと私を護ってくれたじじいの匂い。

 この腕がなかったらきっと私は、生きてはこれなかった。


 私は世界でも有数のラッキーガールだ。

 美人だし、頭いいし、運動できるし、努力家だし、人気者だし、馬鹿でエロくて温かいじじいがいるし、夢はでかい。

 それにこんなに世界が綺麗に見えるんだから。

 私くらいのラッキーな女、そういないわよ。

 そうじゃない?

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