8.嘘つき女  うちのじいさん色ボケじじい。

 じじいの話をしてみようか。


 多岐たき剛三ごうぞう。泣かした女は星の数。家事はその時付き合ってる愛人にやってもらい、どんなに貢がれても自分が貢ぐことはありえない。まぁつまり、生活能力皆無の最低ヒモ男ってことよね。うん。


 確かに顔は悪くないわよ。仮にも私の実の祖父だし、若い頃なら美青年で通ってたのかもね。でもよわい六十三にもなる現在、背こそ高いけど腹は出てるし顔はしわしわだしそのくせ節操なしだし、私には奴に入れあげる女達の気持ちが全くわからない。だってそうでしょ? 相手はただの腐れ色ボケじじいなんだから。


 忘れもしない小学生の時。

 当時祖父と二人暮しだった私はまぁ、なんて言うかイジメってやつにあってたのよ。汚いーとか、何とか菌がうつるーとか、子供のくだらないあれよね。

 子供って本当にそういうとこ残酷だと思う。相手がどんなに傷ついても全く意に介さないんだから。とにかくそんな学校生活が嫌で、学校に行かないって言い出した私をある夜じじいが連れ出した。普段女と遊ぶのに忙しいじじいが自分に構ってくれたのが嬉しかった私は、じじいの首にしがみついて空を見上げ、こう聞いた。


『ねぇね、おじいちゃん。あれ何座?』


 私としてはね、ほら。「あれは北斗七星だよ。柄杓の形をしてるだろう?」「本当だ! おじいちゃんは物知りね」みたいな会話を期待してたんだけどさ。じじいの返事はこう。


女体座にょたいざ


 何だそれは。


『いや、いいねーあれは。女体のなまめかしい感じがうまく出てるな』


 おいエロじじい。小学生の孫娘の純粋無垢な質問に対する答えがそれか。コラ。

 あー。

 もう。やんなる。


 当時『女体座』という星座の存在を信じた私は、中学に上がって恥をかかされることになる。そんな星座はないのだと同級生の失笑で知った私は、顔から火が出るかと思った。瞬間的にではあるが、じじいに殺意を覚えたものだ。


 けれど、あの時。

 学校でのけ者にされ、世界全部に嫌われてるような気がして、私一人死んでも誰も悲しまないしいいかなとか思ってた時。

 私をおぶってたじじいの温もりは泣きそうに暖かかった。


 嬉しかったのよ。幸せだなとか思ったの。悔しいけどね。

 私の中の古いじじいの記憶は、光や温もりと共にある。


 ☆ ★ ☆


 文化祭を二週間後に控え、クラスは今までになく活気付いていた。


 出し物は『浴衣喫茶』に決まった。

 女子はそれぞれ自分の好きな布地を購入し、放課後に残って浴衣の制作に励んでいる。一方男子は店の内装づくりだ。そういうわけで、自然この時期になると、放課後には女子は被服室、男子は教室に別れることとなる。


 しかし実行委員はクラスの出し物に構っている暇はなかった。

 実行委員には実行委員の出し物があるのだ。つまり、ミスコン。


「例年と同じように、各クラスからミスコン候補者としてふさわしい生徒を投票してもらい、上位五名でコンテストをやる方向でよろしいでしょうか?」


 会議室の縦長の机の一番向こうで実行委員長が言った。彼の向こうにはホワイトボードがあって、書記の女の子の綺麗な字で、『議題、ミス北高コンテス ト』としたためてある。会議室内にいるのは各学年、各クラスの文化祭実行委員総勢二十六名。一人も欠席していない所から、この高校がミスコンにかける情熱が窺える。


「ちょっと待って。今年は飛び入り参加も認めたらどうかな?」

 言ったのは、三年の女子だった。クラスまではわからない。

「その方が面白くなると思うんだけど」


「確かに面白くなるかもしれませんが、飛び入り参加を認めたら時間の予測がつかなくなりませんか? ミスコンの次には一年の劇が予定として組み込まれているでしょう」

 今度は一年の男子。


「そこは司会の腕の見せ所だと思うけどな」

 二年男子。


 おーおー。白熱してること。


 はっきり言って、私にはどうでもいい議題だ。悪いけど。

 ミスコンは二年連続入賞はできない。つまり去年入賞した私はもう出場できないってこと。それなら私に関係ないじゃない? あんたらでとっとと適当に決めてよね。


 ばれないようにため息をついた私は、ちらりと隣に座る荻原おぎわら武士たけしを見た。

 彼は一見真面目に議題に取り組んでいるように見えるが、先ほどから一度も発言をしていない。頭の中では何考えてるかわかんないわね。この男。


 そこまで考えて、再び胸のうちからムカムカとした感情が現れてきて、私はふいと視線を目の前の机に戻した。

 少し前から、どうも私は荻原武士を見るたびに不愉快な感情が想起するのを抑えきれなくなっていた。見てるとムカムカしてくる。殴りたくなってくる。そんな時に思い浮かぶのは、先日の奴のセリフだ。


『前世紀の遺物みたいな話でしょ?』


 他人事のように言ったその様子が気に入らなかった。

 婚約者? そうね。あんたは金持ちだもの。そんな小説みたいな話があってもおかしくないのかもしれない。けどね、小説の主人公は、普通親に勝手に決められた婚約者には必死になって反発するものよ。それをあんたは、なんでそんな甘受してるの? どうでもいいの? 結婚してもいいと思ってるわけ? 全然喋ったことのない女と?


 馬鹿じゃないの!


 心の中で思いっきり罵倒する。

 大体『もったいない』って何よ。どうしてこの私が男ふって、あんたに『もったいない』って言われなきゃなんないのよ。気に入らない。大いに気に入らないわ。


 あーイライラしてきた。

 私は机の下で、ぎりりと拳を握り締めた。場所が場所なら、この机をひっくり返して叫んでる所だ。


『ふざけんなー!!!』

 ってね。


多岐たきさん」


 突然声を掛けられ、私は顔を上げた。

 気付いたら、実行委員一同が私の方を見ている。委員長が言った。


「どうかな、去年の受賞者として、何か意見はない?」

 私はにっこりと笑った。

「私は佐山さんの意見に賛成です。飛び入りみたいなハプニングがあった方が、お客さんも楽しいと思うわ」


 前ミス北高である私のこの一言で、すべては決まったようなものだった。


 ☆ ★ ☆


 会議を終えると、私は用事があるからと断って、帰らせてもらうことにした。用事とはもちろんバイトだけれども、お嬢様はバイトなんかやらないから、『用事』でいいのだ。本当なら実行委員はクラスの作業を監督しなくてはいけないんだけれど、面倒だし、私は浴衣作る気ないしね。当日は裏方に回らせてもらうつもりだ。実行委員が忙しくて浴衣が作れなかったとか何とか理由をつければいい。


「じゃ、荻原君、後お願いね」


 そっけなくそれだけ言うと、私は会議室を出てそのまま昇降口に向かった。鞄は持参していたので、このまま帰っても問題ない。


 なるべく荻原武士と顔をあわせていたくなかった。

 見ているとムカついてくるから、精神衛生上には間違いなくよくないだろう。


 靴箱で靴を履きかえる。

 別に私だって、文化祭自体をくだらないなんて言うつもりはない。何かに一生懸命になるのはいいことだと思う。ただその一生懸命になるものが、彼らにとっては高校生活という名の青春で、私にとっては金だというだけのことだ。まったく些細な違いよね。うん。


 外履きのローファーに履き替えて、昇降口を出る。目の前には銀杏の木に囲まれたグラウンドが広がっていて、野球部とサッカー部と陸上部が活動をしている。部活が活動停止になるのは、文化祭の一週間前からだ。それまで彼らはクラスメートにいささか冷たい目で見られながらも、部活動に精を出さなくてはならない。

 私はその様子を横目に見ながらも、校門の方へ向かった。


 うちの高校は何故か桜よりも銀杏が多い。これからの季節、学校は黄色に彩られ、金色の絨毯が姿を現す。私はそれが好きだった。今はまだ少し葉が色づいてきているくらいだが、これからどうなるかを想像するだけでも、私には楽しいことだ。


 秋が好きだった。

 実りの季節。

 いい響きだと思う。

 思えば、私がじじいに初めて会ったのも、秋だったのだ。


「よう」

 病院のベッドで目覚めた私に、じじいはそう言って笑った。


 私は、ふと校門横のプレハブの側で立ち止まった。

 目を細めて、不快気に眉をよせる。


 上下に山吹色のスーツを身に着けたその老人は、校門の傍らに立ち、にこやかな笑顔で片手を挙げた。白い髪と髭は、奴にひっかかった女性が口を揃えてダンディだと褒め称える要素である。爽やかな口元からは流れるように女性への賛美が零れ落ちてくる。片手には杖を持っているが、腰が曲がっているわけではな い。彼が言うには、おしゃれの一つだそうだ。


「今帰りか? 馬鹿娘」


 多岐剛三。それがそのイカレタ老人の名前だった。

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