6.嘘つき女 そんなベタな展開許さなくてよ。
うちの高校の文化祭は、十月の頭に開催される。
早いところでは夏休み前から準備とかしてるみたいだけど、うちのクラスにそんなやる気のある人間が少なかったのは幸いだった。前回の、思い出すも忌々しい土曜日の話し合いで、出し物は喫茶店に決まったらしい。
となればやる事は食品取り扱いの申請、物品販売の申請、材料の注文、他にも予算の配分や教室内装飾の指示などクラスの出し物に関する仕事のほかに、実行委員としてミスコンや大会運営自体にも関与しなくてはならない。
つまり文化祭実行委員なんていうのは、雑務以外の何者でもないくせに鬼のように忙しい、最低最悪の職なのだ。
そう、普段の私なら絶っっ対にやらないようなね。
「本当か?
「はい。是非やらせてください」
驚いたように聞いた担任に、私は笑顔で答えた。
ここは職員室で、朝のホームルーム前のこの時間、私以外に生徒は一人もいない。私は嫌なことは先に済ませてしまう性格だ。そして好きなものは後に回して、ゆっくり楽しむタイプ。
「でも文化祭実行委員は文化祭前になると本当に忙しくなるぞ。お前はバイトがあるだろう?」
担任ともなるとうちの事情はある程度知っている。
私はにっこりと笑顔のまま請け負った。
「大丈夫です」
大丈夫じゃありません。
ええ、大丈夫じゃありませんとも。
文化祭前はその準備のために授業が早く終わったりする。その時間私はバイトにいそしもうと思ってたのに、実行委員をやったのではそれは不可能だ。
昨日の日曜は一日バイトだったんだけれども、私はずっとイライラしてた。何かというと、あの男の勝ち誇ったような顔が思い出される。
『取り引きをしない?』
私が断らないことを確信したような口調だった。そうだ。私が断るわけがない。この一年間の努力を無に帰すくらいならあの腐れ男に従うことだって辞さないわよ。けれど。けれど、だ!
「そうか。わかった。じゃあ頼むぞ。もう一人の実行委員は
あームカつくムカつくムカつく。
願い事を三つ? テレビの見すぎじゃないの? 私は魔法のランプじゃありませんってのよ。
「いやでも本当に助かったよ」
ほがらかに担任は笑う。
「突然岡崎ができなくなってな。実行委員は、一人でやるには大変すぎるからな。多岐が手伝ってくれるなら安心だ」
それが奴の一つ目の願い事だった。 私が文化祭実行委員をやること。
ああ、もう本当に最悪。少なくとも一ヵ月後の文化祭まで、私とあいつの縁は切れないってこと。
あの、腐れた男。荻原
失敗したわ。告白する前に、もっとリサーチを進めておけばよかった。特にあいつの性格に関する調査をね。本当人間って、計り知れない。クラスではあんな人畜無害な顔をしてるくせに、この私を利用しようなんて考えるとは。
ああ、神様。できることなら今すぐあいつの存在を抹消してください。私の安らかなる野望のために。
☆★☆
放課後の実行委員の集まりの後、私と荻原武士は教室に戻ってきた。
こんな時間まで学校にいたのは初めてかもしれない。いつもは学校が終わってすぐにバイトへ行くからだ。ああ、もう四時じゃないの。グラウンドの方からは野球部の声がする。
「他のクラス結構色々決まってるみたいだね。やばいなー。僕らも急がなきゃ」
荻原武士は窓際の自分の席の方に歩きながら言った。
「そうだね。間に合うといいけど」
筆記用具を持ったまま、私も自分の席の方へ行き鞄を取り出す。
確かに、委員会の話し合いで聞く限り、私達のクラスはかなり遅れているようだった。元々団結力の薄いクラスなのだ。前期の体育祭の時もそんなに燃えてなかったしね。ちなみに私は当日仮病使ってサボったけど。一日中バイトしてました。はい。
「明日中には詳しい事を決めて提出しようか」
「うん」
私は返事をしながら、机の中から今日の授業分の教科書とノートを取り出すと、鞄に詰め込んだ。
今から急げばバイトの六時インには間に合う。それから十一時まで働けば、五時間労働四千五百円の収入だ。こんな、一銭にもならないようなことよりも、よほどやる気のでる仕事が私を待っている。
「じゃ、私帰るね……っと」
ガタン
そう言って踵を返した時、いつのまにか後ろの机に荻原武士が腰を降ろしていたので、私は驚いて足を机にぶつけた。気配がしなかった。
とりあえず、にっこりと笑顔を作る。
「どうしたの? 荻原君」
すると萩原武士は困ったように笑った。
「そんなふうに笑わなくていいよ」
「どうして?」
「嘘だから」
「うん。でも笑顔くらい作っておかないと私うっかりあんたを殴り飛ばしちゃいそうだし」
「殴り飛ばしてもいいよ? 殴り飛ばせるならね」
奴はそう言って、肩をすくめる。
ばしっ!
萩原武士の側頭部を狙った私の鞄攻撃はあえなくガードされた。野郎は鞄のあたった右腕をさすって生意気にも文句を口にする。
「殴り飛ばすって言ったら普通拳じゃないの?」
「触るのも汚らわしいんだもの」
「ははは。ひどいな。うん、でもさっきまでの君より全然いいね」
「あんたマゾなの?」
にやにやしやがって。
気持ち悪いわね。
心の中で悪態をついていると前触れなく奴が立ち上がったので、私は思わず一歩後ろに下がってしまった。その無意識の行動に気付き、舌打ちをする。
何びびってるのよ。こんな奴に。
萩原武士は間近で私を見下ろして一度目を細めると、静かな声で言った。
「多岐さん。二番目の願い事だよ。僕に嘘をつかないこと。いい?」
は? 嘘?
「……あんたに嘘なんかついてない」
「ついてた。今日一日ずっと、僕の悪口言いまくってたでしょ。心の中で」
……なんでわかった。
ええ。ええ。今日一日、あんたに笑顔で相対しながらずっと罵詈雑言を投げつけておりましたわよ。
この性格最悪男。腐れ野郎。平凡。冷血人間。馬鹿。アホ。○○野郎。そりゃもう放送禁止用語も交えて盛大に罵ってたわよ。だって仕方ないじゃない。勝手にあふれ出てくるのよ。あんたへの罵りがね。私の身の内からね。
嘘をつくな? 嘘をつくなって言ったわね?
「……クソ野郎」
ぼそり、と私は言った。後はもう、立板に水ってやつだ。
「あんた一体何様のつもり? ふざけてんじゃないわよ。この馬鹿アホ間抜けとんちんかん。盗み聞きしてんじゃないわよ変態。しかも人のこと押し倒しやがってこのエロ男! ホモ! セクハラ野郎! 見てなさいよ出るとこ出て訴えればあんたなんて軽く懲役二年はくらうんだから! この私に指図しようなんて百万年早い……むがが」
突然口と頭を押さえ込まれ、私はその場に跪かされた。力ずくだったので床にぶつけた膝がめちゃくちゃ痛い。痣になるわよこれ。
ちょっと何すんのよ! と怒る前に教室の扉がガラリと開く音がして、私は硬直してしまった。
「あれ? 荻原一人?」
「おーどうした? 青柳」
「田町見なかった? 部室にいないんだけど」
「さぁ。入れ違いじゃないの?」
「あれぇ。そっかな。オーケーありがとな」
「おう。部活がんばれよー」
パシン。
扉が閉まる音の後で、遠ざかる足音が聞こえてきた。私は自分のうかつさを呪った。時間はまだ四時だ。部活動も始まったばかりで、校内には生徒達がうろついている可能性が高い。そんな所であんな風に叫ぶなんて、愚かの極みじゃないの。しかも、よりにもよって荻原武士に助けられるなんて!
頭上で人の動く気配がして顔を上げたら、奴が私に手を差し伸べているところだった。私はなんだかバツが悪くて、その手を取らずに自分で立ち上がった。
恥ずかしい。ああ、もう。何ていったらいいの。言う言葉も見つからずに目をそらしていると、突然、ぶふっ! と、盛大に噴出す音がした。
「っはは。はははははは!!」
私は呆れて、腹を抱えて大爆笑する荻原を見た。
「ははははは!あ、ははは!ご、ごめん。ちょっとでも……あはははは!」
……。
これはあれよね。
ムカついてもいい場面よね。
私馬鹿にされてるのよね。
「ははははあははは……はぁ、あー」
いい加減殴ってやろうかと拳を握り締めた時、ぽん、と私の頭に手がのせられた。荻原武士の手だ。奴は側にあった机に寄りかかり、目尻に涙をためながらもしょうがないな、とでもいうふうに笑った。
「気を抜きすぎだよ。多岐さん」
ドキッ
……。
……いや。
いやいやいやいやいや!
今の鼓動は間違い! ミステイク! 心臓ポンプの誤作動! プレイバック五秒前! やり直しを要求する!
ううう。なんたる欠陥脳だ。ちょっと笑った時の目尻の皺が好みだったからってアドレナリンを放出してしまうとは。
アドレナリン製造工場の工場長には始末書ものね。
青春恋愛路線に変更なんて願い下げだ。
なんていったって、恋愛じゃ腹は膨れないんだから!
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