5.心を読む男 君はこの申し出を断らない

 正直あの時僕は軽い錯乱状態にあって、「ごめん」と答えて彼女の前から去るのが精一杯だった。

 遅れて湧き上がったのは失望と怒りと激しい後悔だ。


 普通誰だって腹が立つだろ!

 金目当て丸出しで告白されたらさ!

 あなたの『お金』が好きですってなんだよ正直すぎだろチクショウ心の中の声なんだから当然だけどってゆーかあーもーそういうのどうでもいいからオッケーしときゃよかったミスと付き合えるなんてそうそうないんだしいやでも相手は多岐たきさんだし金の亡者だしおおおおおお僕はどうすべきだったんだ!


 と昨日から僕の中は大忙しだ。

 おかげで寝不足である。それもこれも全部多岐さんのせいだ。


 さてその多岐さんはというと、翌日の学校では清々しいほど僕のことを無視してくれた。

 挨拶しても無視。話しかけても無視。まるで彼女にとって僕という人間は空気にでもなったかのような自然さで、彼女は僕を視界から排除し続けた。もういっそあっぱれだ。うん。


 しくしく。


 悲しい。


 結局のところ、僕は多岐さんのことが結構好きだったのだった。

 あくまで人間として……というか、おもちゃとして? という話だが。

 恋愛感情はない。そこはきっぱりと断言できる。一年の時に抱いたほのかな恋心は金の亡者な彼女の内面を知った時に霧散している。

 その代わり、僕が多岐さんに対して持ったのは珍種な生き物を目の前にした知的好奇心であった。僕にとって多岐さんは動物園のオカピであり水族館におけるジュゴンなのだ。

 観察し、楽しむ対象。

 だからこそ、それがいきなり僕の内側に踏み込んできて金金言ってきたからオカピの分際で! と腹が立ったのだし、今のように無視されても悲しい気持ちになったのだろう。



 しかしまぁ、よく考えれば結果的に状況はこれまでと変わらない。

 多岐さんは僕に話しかけず、僕も多岐さんに話しかけない。

 僕はこれからも彼女の心の声を聞いてラジオのリスナーのように楽しめるだろう。

 健康的な一青少年としては学校一の美人と付き合うチャンスを逃したのは残念だったと思うが、相手はあの多岐さんだ。付き合わなくてよかったかもしれない。いつ婚姻届にサインさせられて毒を盛られてもおかしくないし。


 そんなこんなで、三限の数学が終わる頃には平生の自分を取り戻していた僕のところに、クラスメートの女子がやってきた。

 同じ文化祭委員の、岡崎おかざき頼子よりこだ。短髪で恰幅のいい、女子に頼られるタイプ。


「ごめんね。そういうわけで、文化祭実行委員やれなくなっちゃったんだ」



 岡崎頼子はそう言って僕に謝ってきたが、僕は彼女が委員をできなくなった理由の部分を聞き逃してしまっていた。なぜならその時、多岐さんの声が聞こえてきたからだ。もちろん心の。



《保健室にでも避難するか》



 多岐さんは、結構頻繁に保健室へ行く。

 病気がちなわけでもないからサボりかと思いきや、大抵は休み時間が終わると教室に戻ってくるから今回もそうだろう。次の時間は文化祭の話し合いだ。優等生を自負する彼女が、参加しないわけがない。


 僕は岡崎頼子の謝罪を笑って了承し、次の話し合いではまず、代わりの委員を決めなきゃいけないな、と思った。


 しかし休み時間終了のチャイムがなっても多岐さんは戻ってこなかった。
 鞄はあるから、恐らくまだ保健室にいるのだ。


 文化祭委員は雑用以外の何者でもないので岡崎頼子の代わりに立候補する人間がおらず、とりあえず出し物を無難に喫茶店とだけ決めて、その日は解散することになった。

「次の話し合いまでに、皆さん細かいアイディアを少なくとも一つ考えてきてください。よろしく」

 細かいアイディアというのはつまり何を売るとか、どういう喫茶店にするのか、とかだ。一人で前に立った僕はてきぱきと話し合いを終了させると、早速保健室に向かった。


 行ってどうしようとかはあまり考えていなかった。


 ただ、彼女が保健室にいることを確認したかっただけなのかもしれないし、どこか気分でも悪いのかという心配もあった。しかし保健室の前にたどり着いて、中から高らかな宣言が聞こえてきた時、僕のその心配は杞憂きゆうだとわかった。



「金を手に入れるためなら、私はね、どんな猫だってかぶってやるわ!」



 僕は耳を疑った。

 信じられないことではあるが、それは多岐さんの肉声だった。彼女はいつもなら心の中に収めておくだけの真実の言葉を、声高らかに宣言していたのだ。

 保健室で。


「見てなさいよ! 萩原おぎわら武志たけしのハゲ! ネクラ! 間抜け! オタンコナス! ◯◯!」


 しかも彼女は僕を罵倒していた。

 放送禁止用語を駆使してまで。


「××野郎!」


 僕は右手で口を覆った。

 口元がほころんでいることに気付いたからだ。

 いやいや、僕にMっ気はない。むしろどっちかといえばSだと自負している。

 萩原家の人間というのは総じてSなのだ。他人をいじめて楽しむタイプ。まぁ僕は、勝なんかに比べれば常識人の範囲内だと思うが。


 とにかくまさにこの瞬間、僕の多岐さん観察日誌がステップ2に移行した。


 繰り返しになるが、僕は昨日の彼女の告白に腹を立てていた。

 そしてその時彼女の心の声を肉声で聞けたことは、僕の彼女への知的好奇心と復讐心を同時に満たす絶好の機会となったのだ。


 ガラリ。


 躊躇なく扉を開ける。

 はっとしてこっちを向いたのは、保健室の矢尾やお先生だった。いつも近寄りがたい雰囲気を醸し出している矢尾先生が、なぜか今は隙があるように見える。でもまぁそんなこと今の僕にはどうでもいい。


 ベッドを隠すように囲んだカーテンには、仁王立ちになった女生徒の影。

 笑ってしまう。ミス北高の多岐佳奈子かなこさんなら、ベッドの上に立ち上がって高らかに玉の輿こしうたうなんてことは決してしないだろうに。

 なんてミス。

 痛恨のミスだと言える。それを僕に聞かれるなんて。


 僕はベッドの前までてくてくと歩き、カーテンをひょいとめくって中を覗き込んだ。

「元気そうだね。多岐さん」


 パシ。



 とっさに身体が反応して、彼女のパンチを受け止めることができたのは、幼い頃から空手と柔道をやっていたおかげだろう。

 さすがの僕もびっくりだ。まさかいきなり攻撃されるとは思わなかった。

 よし多岐さん。そちらがその気ならこうだ。

 僕は彼女の肩を押してベッドに倒れさせると、その上に覆いかぶさった。相手の力を受け流し、その流れを読めば軽い動作で相手を倒すことができる。



 多岐さんが、信じられないと言わんばかりに目を見開いていた。

 なんて大きな目だろう。


《なんなんだ》


 彼女は心の中でそう呻く。

 うーん。

 困ったな。僕は勝にも劣らないS気質なのかもしれない。

 なぜなら今、こんなにも楽しい。

 僕はにっこりと笑った。


「さて、どうしてくれようか?」


「まずはベッドから離れなさい。荻原君」



 そう言ったのは矢尾先生だった。

 先生は立ち上がり腕を組んで、こちらを冷たく見ている。この人のこういう無愛想な所が、生徒達が保健室を倦厭する理由の一つだ。僕は肩をすくめ、ゆっくりと多岐さんから離れた。


 多岐さんは、まるで手負いの猫のように息を荒くし肩をいからせ、僕を激しく睨んだ。顔が赤い。彼女は僕から離れるように後ろに下がりながら、身体を起こした。



 僕は思わず笑ってしまった。


 それがまた、彼女のカンに触ったらしい。



「何笑ってんのよ」

《最悪。最悪。最悪》



 可笑しい。


 今、彼女の脳はすさまじい速さで回転してるに違いない。どうやってこの場を収拾するか。彼女にとっては、これまでこの高校で築き上げてきたイメージを崩壊させるかさせないかの瀬戸際だ。



「多岐さん」



 一方で、僕もこの状況をより面白くする方法を考えていた。

 そうだな。多岐さん観察日誌をステップ2に移行して考察を深めるというならば、何か課題を決めて検証してみようじゃないか。

「取り引きをしない?」



 僕は確信していた。


 君はこの申し出を断らない。


 僕はこの一年以上もの間の君の努力を知ってるし、それを無に帰すくらいならいくらでも膝を折るのが君の強さだと知ってるからだ。



「君は僕の願いを三つ叶える。三つ叶った時点で僕は今日、この保健室で見聞きした事を忘れる」



 よし決めたよ多岐さん。検証内容はこれだ。

『多岐佳奈子さんは、自分の本性を知る人間に対してどういう行動をとるか』


「どう?」


 そう問うた僕に、多岐さんが苦虫を噛み潰して青汁を飲んだ上に中に砂が入っていた時のような顔をしたのは、言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る