《蝶》7-1


 そろそろ日付も変わろうかという時刻。《蝶》にとってはまだ宵の口である時間帯にも関わらず、客は遠浅の波のように引いてしまった。皆、夜通し繰り広げられる星祭りへと赴いたのだろうか。

 小蝶コチョウは《蝶》の扉にClosedのプレートを下げて店内に戻ると、手近な場所以外の照明をぎりぎりまで落として薬缶やかんを火に掛けた。


「こんばんは」


 小蝶がカウンターの奥でぼんやりと焜炉こんろの青い炎を眺めていた時、静かに《蝶》の扉が開いて声が響いた。支度中だろうが閉店後だろうが、小蝶自身が此処に居る限りは客を拒んだりはしない。小蝶は扉の向こうの影に目を凝らした。

 だが、入ってきたのは客ではなく柊真トウマだった。柊真は店内を真っ直ぐ突っ切っると、カウンターを挟んで小蝶の前に立った。そのまま煙草に火を点ける。


「お疲れ様です」

「あら、星祭りの帰りにしては早いわね。あっちはまだこれからでしょう? ……ま、お陰でウチはこんな時間に店仕舞いだけど」


 灰皿を差し出して言った小蝶に、柊真は曖昧に微笑みながら紫煙をくゆらせた。


「どうしたのよ、冴えない顔しちゃって。まさか、叶哉カナヤ睡羽スイハの奪い合いでもした?」

「ちーがーいーまーす、って」


 苦笑いする柊真に、とりあえず座れば、と小蝶が手振りで促す。柊真は咥え煙草で椅子を引いて腰を下ろした。小蝶がカップを並べたり布製のフィルターに挽いた豆を量り入れたりするのを見つめつつ、柊真は、煙草の灰を落として口を開いた。


「小蝶さん」

「何? ……まさか本当に叶哉と喧嘩でもしたんじゃないでしょうね。あのね、ふたりしかいない従業員なんだから仲良くしてくれなきゃ困るわよ?」

「小蝶さん、前に言ってましたよね。叶哉と睡羽は血が繋がってない兄妹だって」


 柊真が言った瞬間、散々軽口を叩いていた小蝶の動きが、呼吸さえ忘れたかのようにぴたりと止まった。そのまま、沈黙が見えない澱となって辺りを覆い尽くす。柊真はその濃密な空気の中、ただ静かに煙草を吸った。


「ええ、確かに言った、……けど」

「けど?」


 唐突ね、と返す小蝶の乾いた声は、薬缶が沸騰を告げる甲高い音に掻き消されて柊真には届かなかった。柊真は続ける。


「小蝶さんは何があったか知ってるんですよね、睡羽が叶哉の『妹』になった夜」

「……まあ、概ねは。推測も含め、だけど」


 やっぱり、と呟く柊真に、彼女はふっと笑みを零した。

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