《蝶》6


 赤い星が昨年と変わり無く巡ってきた事を寿ことほぐ星祭りでは、《砂の街》の住人達が総出であるのは勿論の事、普段は見えない溝と壁で遮られているような《雨の街》の人々も、互いの土地も歴史も血も神も関係無しにひしめき合って街路を行き交う。

 そんな夜でも此処に逃げてくる人は居るのだ、と、小蝶はいつもと変わらない《蝶》の店内を眺めた。低く落とされた照明、時折鼻をくすぐる誰かの香水の匂い、さざ波のようにたゆたう客の声。ほんの僅かにいつもと違って見えるのは、叶哉カナヤ柊真トウマ睡羽スイハを連れて星祭りに行っている、と小蝶コチョウが知っているからだろうか。


「……星祭り、ね」


 ふと呟いた小蝶に、カウンターで飲んでいた馴染み客が視線を寄越す。小蝶は何でもない振りをして、棚に並んだレコードに手を伸ばした。柊真が居ない夜は、こうして小蝶の気分次第でレコードを掛けるのだ。

 流れ出す音の粒。懐かしい旋律に誘われるように、小蝶は遠い昔の出来事を思い出していた。あれは幾つの年の星祭りの夜だったか。小蝶は、静かに瞼を下ろして溜め息をついた。




-10years ago-



「……妹、ですって?」

「そうだ」


 眉を寄せて怪訝な声で尋ねる小蝶に、叶哉は頑なな表情で頷いた。彼がその背におぶっていたのは、ぐったりと昏睡しているらしい少女だ。背中まで伸びた髪はバサバサと乱れ、頬には涙で引きれたような痕がある。


「あのね叶哉。何の因果か同じ日に同じ産院で生まれて隣同士のベッドに寝かされてからずっと……、もういやンなるくらいずっとあんたと一緒に育ってきたあたしが、そんなごと信じるとでも思ってるの?」


 小蝶の言葉に動じる様子も無く、叶哉はまっすぐに小蝶を見つめ返した。


「信じなくても構わない」

「ちょっと叶哉あんたね!」

「何」

「……何、って……」


 生後間も無く両親を失くした叶哉と、まるで姉弟のように着かず離れず育ってきた小蝶は、今叶哉が何を考えているのかまったく理解出来ない自分自身に狼狽していた。

 ぐらぐらする頭を支えるように髪を掻き上げながら、小蝶は叶哉がベッドに横たわらせた少女を一瞥した。華奢な体躯。まだ4つか5つのこの子を、叶哉は一体何処から連れてきたのだろう? まさか誘拐? だとしたら、今あたしの目の前に居るのは幼なじみの叶哉、ではなく犯罪者、なのだろうか。


「名前は」

「スイハ、だ」

「……この子が名乗ったの?」

「此処へ来る道々、背中越しにそう呟くのがずっと聞こえてた」


 そう、と短く答えて、小蝶は冷蔵庫から炭酸水を出して煽るように一息に嚥下した。視界の端で、赤い星が鈍い光を放っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る