《砂の街》5-2


 窓枠の向こうに見える赤い星。柊真はその昏い煌めきを眺めながら、睡羽から手渡されたカップに口を付けた。


「あ、おいしい」


 思わず呟いた柊真に、でしょ、と嬉しそうに睡羽は笑う。ただ、このコーヒーを入れたのが自慢げに微笑んでいる睡羽ではなく叶哉だというのが、柊真には驚きだった。


「これ食べる? お兄ちゃんがお店で女の人から貰って来たチョコ」

「はは、詳しいねスイハ。……有難う」


 睡羽を家の前まで送ったらすぐに《蝶》へ戻る予定だったのだが、睡羽に「お茶でもどうぞ」と腕を掴まれた事と、叶哉がそれに否と言わなかった事とに引き留められて、柊真はぐずぐずと居座っている。


「いつから?」

「え」

「ピアノ」


 床に胡座をかいて、いつものようにタブロイドを捲っていた叶哉が柊真に問う。


「ああ……いつからかな。気付いたら常にピアノの前に座ってたから」


 あんたらしい、と叶哉が瞼を伏せる。


「それ飲んだら帰れよ」


 ぶっきらぼうに呟く叶哉に、睡羽が「もう!」と頬を膨らませて立ち上がった。


「すぐそういう事言う」

「俺は毎日こいつに会ってんの。家でまで顔突き合わせて仲良くする事ないだろ」

「あたしは初めて会ったんだもん」


 無表情に言う叶哉と拗ねたように言う睡羽とのやり取りに、ふと柊真が口を挟んだ。


「スイハ、」


 くるりと兄妹が振り返る。


「じゃあ、今度は《雨の街》に遊びにおいで」


 にっこり笑ってそう言うと、古びたソファのスプリングを軋ませて柊真が立ち上がった。


「叶哉、ごちそうさま」


 空になったカップをキッチンのシンクまで運ぶと、柊真は睡羽の頭をぽんぽんと軽く叩くようにして撫でた。


「本当に遊びに行ってもいいの?」

「叶哉のお許しが出れば、ね」


 睡羽はちらりと叶哉に一瞥をくれてから「大丈夫」と頷いてみせた。


「じゃあ叶哉、また明日」


 其処まで送ると言う睡羽を制して、柊真は傘を手に兄妹の部屋を後にした。



 扉を閉じ、通りに出た途端に柊真は砂塵風に吹き付けられた。星祭りの鐘楼の下で集まっていた男達も散会したらしい。真夜中、という時間でも無いのに、静けさの中で荒廃した街並み。盛り場のように酔っ払いがたむろしていないのは喧嘩に自信の無い柊真には助かるが、街自体に生気が感じられないのは淋しい事だった。


 《雨の街》においで、と言った時の嬉しそうな睡羽の表情が脳裏をよぎる。《砂の街》で育った少女は、瑞々しい緑に包まれた街で、雨を眺めながら何を想うだろうか。その時は、彼女が望むままにピアノを奏でよう。雨が似合う、と言われたこの指で。柊真は赤い星の下、息をひそめて小さく笑った。

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