《砂の街》5-1
霧雨が傘に当たる柔らかな音を聞きながら、
「《砂の街》じゃ、本当にまったく雨は降らないんだ?」
雨を味わうように天を仰いで舌を出していた睡羽の腕を掴んで傘の中に引き戻すと、柊真は睡羽を覗き込むようにして尋ねた。睡羽が小さく頷く。
「不思議だね。僕の住む《雨の街》は本当に毎日雨ばっかり。太陽の恵みなんて稀も稀。《蝶》があるこの辺りもこんなに雨が降るのは珍しいんじゃないかな」
柊真が静かに言うと、睡羽は「でも、この手には」と囁くように言って柊真の手をそっと掴んだ。
「雨が似合う」
睡羽は柊真の手に包むように触れながら、花が咲いたようににっこりと笑う。
「雨が? 僕に?」
「そう。お兄ちゃんが言ってた通り。あなたのピアノの音は、雨の色や音や匂いにとてもよく似合う」
「初めて聞いた」
「……あ」
「え?」
「雨、やんじゃった」
この街路を抜ければ《砂の街》が見える、という区画まで来ると、睡羽の言う通りさっきまで降り注いでいた霧雨は嘘のようにぱたりとやんでしまった。柊真は傘を下ろして丁寧にたたんだ。
「僕、《砂の街》に入るの初めてだな」
「何もない街だよ。……でも、もうすぐ星祭りだから街中も普段よりは賑わってるはず」
「へえ、星祭りか」
「街に入れば見えるよ、赤い星」
睡羽に手を引かれて、柊真は《砂の街》に足を踏み入れた。
「ほら、星祭り用の鐘楼」
細い指がさす方を見ると、鉄骨が空に向かって高く組み上げられている。その周りに集まっている男達が造ったものなのだろう。談笑を交わしながら酒を飲んでいる者もいる。
祭りの当日には、頂上であの鐘が威風堂々と高らかに打ち鳴らされるのだろうか。ぼんやりと眺めていた柊真の頬を、砂塵まじりの風が撫でるように吹き抜けた。噂に違わず、此処は瓦礫と砂に埋もれた街なのだ。
「お兄ちゃん!」
ふいに睡羽がぱっと瞳を輝かせ、鐘楼の下の人垣にいた人影に手を振り上げた。
「睡羽! お前こんな時間にこんな場所で何やってんだ……、」
いや、ていうかお前は何? と、睡羽に駆け寄るや否や叶哉は柊真に向かって訝しげな視線を投げつけた。
「《蝶》にね、行ってみたの」
取り成すように、睡羽が叶哉の袖を掴んで言う。
「トウマのピアノが聴きたかったから」
「だからって何で敢えて今日!」
「お兄ちゃんが一緒に連れてってくれる訳ないもの。だから敢えて、お兄ちゃんが居ないうちに行ったの」
「お前なぁ……」
「何事も無く帰ってきたんだからお咎め無しだよね?あ、送ってくれたトウマにも、お兄ちゃんからもちゃんとお礼言ってね」
「はあ?」
これって兄妹喧嘩なのかな、と思いながら柊真は二人の会話を見つめる。どちらかと言うと、真っ直ぐで強気な姫君に、執事が言いくるめられているようにも見えるのだが。そう考えると、《蝶》でどんなに客に言い寄られようとも澄ました顔で受け流している叶哉が可笑しく思えてくるのだった。
「笑ってんじゃねえぞ」
唐突に叶哉に頬をつねられて、柊真はその緩やかな痛みで我に返った。
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