第11話 ペンタゴンの暴走

 ハリスは――正確に言うと、ネズミが――焦っていた。ライル・フォンベルトを取り逃がしてしまったからだ。報道陣の中に苦労して紛れ込ませた刺客も無駄になったうえに、彼の行方も見失った。

 ハリスは小柄の瘦せた体躯を苛々と歩き回らせた。もちろん、その苛立ちが机上のネズミのものだという意識は持ち得ない。


 ――拙いことになった。こんなはずではなかった。もっと簡単に仕事は片付くはずだった。準備も綿密に整え、一挙に片が付くはずだった。異星人が一人混じっている事に気づいた時も、うまく利用できると思っていた。それが、よりによってバリヌール人だったとは! 一人残らず全滅したと思っていたのに。


 複雑な思いが入り乱れる。

『兄弟』の一人が、手を引いて彼の人に助けを求めたほうが良いのではないか、と言ってきた。

 即座に退けたが、『兄弟』の中で意見の食い違いが出てきたというのは、悪い傾向だった。

 それもこれも、バリヌール人の所為だ。彼の人さえ居なくなれば、『兄弟』もまとまって今度は失敗することもないだろう。


 火星に構えた拠点を失ったのは痛手だが、この任務の達成にはやむを得ない消耗。その為に計画が変更されることはない。地球に侵入を図ることが、その第一の目的であったのだから。

 この人間もそろそろ限界だ。計画の推移に伴い、もっと効率の良い対象に替えたほうが良い。


 ***


 CIAの局員がハリスの部屋に駆け込んで行った時、彼は既に自分の頭を銃で撃ち抜いた後だった。

 報告を受けたアレックスは、歯噛みして悔しがった。情報の出所を辿ってやっと見つけた矢先に、再び彼の手元は白紙に戻ってしまったのだ。


 アレックスは、悪名高い臭い葉巻を猛然と噴かす。まだ、引っ込めずにいる局員が窒息しそうな顔をしている事もすっかり忘れ果てていた。

 疾病発生以来、殆ど局の方に詰めているので、彼自慢のブルックスブラザーズの特注背広もくたびれた皺が寄っていた。


「しかし、何故ハリスがこんな真似をせねばならんのだ? 確かにライルに敵意を持っていたようだが、国を裏切るような真似をしてまでする理由がない。金を貰っていた様子もなかったし」

「あの、火星での特別訓練生のメンバーを最終的に決定したのは、当時副局長だった彼ですよ」


 局員が遠慮がちに意見を述べた。アレックスはぎろりと不機嫌な視線を投げた。


「まだ居たのか! やることはいっぱいあるんだ。さっさと出て行け!」


 不当な叱責を受けた部下は、喜んで大急ぎで飛び出していく。

 アレックスは葉巻を咥えたまま、かなり薄くなった頭を愛しそうに撫でた。


「全くあいつらときたら、わたしの毛を薄くすることしかせんのだから」


 アレックスは、P-Tbの報告を眺めた。各国に手配した部下から送られてきたもの。


「ハリスといい、連中といい、みんな頭が狂っちまったんじゃないか?」


 大統領が誠意を込めて声明を発表したにもかかわらず、各国の姿勢は硬化する一方だった。

 国連はアメリカに対し、厳しい調子で事態の釈明を要求してきた。

 更には、信じられないことに、ロシア・中国・フランス・韓国は、アメリカの野望を即刻阻止すべしという過激なプロパガンダを国民に向けて、盛んに行っている。

 ドイツ・日本の動きも要注意だった。中近東でも怪しい動きが見られる。

 これで、ちょっとした切っ掛けがあれば、ただちに戦争に突入しそうな感触だった。


 ***


 モリス博士と脱出したライルは、後部座席で苦しげに横になっていた。まだ、体が弱りきっていて、これ以上の無理はできなかった。

 モリスはちらりと心配げな視線を投げて思案した。彼の自宅に連れて行くのは問題外だった。病院にいないと解れば、真っ先に狙われるのはそこだろう。

 モリスは決心すると、ハンドルを大きく切った。


 モリス博士の黒いテスラがギアソンの自宅に乗り入れたのは、それでも夜も十二時を回っていた。

 モリスはまず、一人で降り立ち、ひどく緊張してドアのチャイムを鳴らした。このドアが開いて、FBIの一個師団が飛び出してきても不思議はないぞと思う。

 しかし、ドアを開けたのはギアソン当人一人だった。ギアソンは素早く辺りを見回し、車へ駆け寄るとぐったりしているライルを運び込んだ。そして、モリスにテスラを車庫に早く入れろと急き立てた。

 モリスが車を隠して居間に入ると、ライルをベッドに寝かせてきたギアソンが握手を求めてきた。


「家族は親戚へ遊びに行かせたよ。ここには私だけだ。心配は要らない。いや、よくやってくれた」


 ギアソンの笑顔を見て、モリスはほっと息を抜いた。


「私のほうこそ、礼を言います。正直、ここに連れてくるのは賭けでした。しかし、あんな目立つ患者を連れて行ける所が、他に思い浮かばなかったものでね」

「世間も、まさか、私が隠しているとは思うまい。灯台元暗しってやつですな」

「ばれたら、厄介なことになるかもしれませんよ」


 モリスが指摘した。


「なに、ライル君の為だ。覚悟はできていますよ。それより、あなたも思い切ったものだ」


 モリスはもう白くなりかけた口髭を指で引っ張りながら、照れくさそうに言った。


「私の動機はもっと利己的でしてね。あんなに興味を惹かれるクランケを手放したくなかっただけでして」

「彼に惹かれているのは、私も一緒ですよ。一杯やりませんかな」

「私が今、最も切実に欲しいものですな。彼の様子を見てきたら、戴きましょう」


 二階の寝室から戻ってきたモリスに、ブランデーを満たしたグラスを手渡しながら、ギアソンが尋ねた。


「彼の様子はいかがですか? 大分参っているようだったが……」

「少し、堪えているようですね。今は眠っています。あれは、不思議な生物ですな。強いのか、弱いのか、良く解らない」

「と、いいますと?」


 興味を引かれて、ギアソンが促した。


「耐久力は我々人間よりずっと少ない。すぐ弱ってしまう。その一方で、格段に発達した身体のコントロール力を持っていて、我々には致命的と思える状態でも、回復させてしまう。身体のエネルギーを調整して自由に扱えるのですな。信じられん能力だ。彼は皮膚さえ、性質の違ったものに変化させる事ができるのですよ。もっといろいろな事ができるのかもしれない」


 目をぎらぎらと輝かせて、熱っぽく喋りだす医者に、彼は思い出させるように言った。


「食事は? もう、済ませているのですかな?」


 モリスが口を閉じ、物欲しげな顔になったので、ギアソンは著名な医者をキッチンに招待した。


 ***


 翌日、ギアソンがペンタゴンに出向くと、秘書が手紙付きの布を被せられたケージを持って来た。


「ハリスNASA局長からです。ここに置いておきます」


 国防省にも緊迫した空気が拡がっていて、秘書はテーブルの隅に置くと、忙しそうに出て行った。彼も時々刻々の情勢の報告を見るのに神経を集中しているうちに、ゲージの事はいつしか忘れてしまった。


 事態は昨日より悪化していた。世間の世論は、アメリカに対し故意に悪意を抱いているとしか思えない。

 侵略者ライルが地球を疾病で汚染させ、アメリカはその支配下に落ちているという見解までが実しやかに表明されているのだ。

 世界の首脳部や知識人達は、みんなヒステリーでも起こしているのだろうか。どこからこんな途方も無い考えや情報が湧いてくるのだ。まるで、今にも我が国が想像もできないような恐ろしい秘密兵器で、世界中を攻撃して、独裁支配下におこうとしているようだった。


 さらにまずいことに、世界中に張り巡らせている情報メディアが、混乱したヒステリーを迅速且つ広範囲の隅々まで撒き散らし、無責任で刺激的なニュースをあまねく行き渡らせて、大衆を扇動し恐怖を煽っている。

 だいたい、世論を動かす立場にある連中が、宇宙人の存在をこうまでもあっさりと事実として信じ込んでしまっていること事態が異常であった。

 ライルが言うように、これらの事全てがあらかじめ巧妙に仕組まれた陰謀でなければ為り得ない事態だった。

 やはり、これは侵略者の攻撃なのだろうか?

 だが、その侵略者はいったい何処にいるというのだ?


 布の下で、ゲージの小さな金網の扉が開いた。黄色いものが顔を出し、するりとテーブルの脇を走って、ギアソンのデスクの下に隠れる。そして、じっと蹲った。


 このような刺激的なプロパガンダを四六時中聞かされていたら、人々は判断力も麻痺し、恐怖でおかしくなってしまうだろう。パニックに襲われても不思議ではない。その最初の予兆がこの瞬間に始まっていてもおかしくはない。

 いや、絶え間なく流れるニュースを見れば、既に始まっているとみるべきだろう。こんなろくでも無いことを言い出した奴はどこのどいつだ。こんな馬鹿な事を信じる奴等も奴等だ。

 ギアソンはだんだん腹がたってきた。

 このままでは、我々は侵略者に洗脳された敵国として本当に攻撃を受けるかもしれない。それをじっと待っていて良いのか?


 頭痛がする。頭の中のほうで何かがぎりぎりと捻じ込まれているかのよう。

 昨夜遅くまでデスクに詰めていたうえに、夜中に訪問客を迎えて、あまり寝とらんからな。

 頭痛がだんだんひどくなる。


 判らず屋どもには何を行っても無駄だ。我が国は常に世界の主導権を握ってきたんじゃないのか。

 心の何処かで何かが違うと言っているのだが、それを無視して考えを進めていくと、吐き気を催すほどの頭痛がすっと軽くなっていくので、意識にあがっていく思考に甘んじてしまう。

 統合参謀本部に指令を言い渡した頃には、すっかり頭痛も治まって快調と言っても良かった。

 デスクに置いた手の横に、黄色いネズミがちょこんと座っていたが、彼は全く意に介していなかった。


 各国の政府、特に軍事関係者達は、アメリカの陸・空・海・宙の軍事機関が動き出し、その戦力を結集しつつあると言う情報を得て、震え上がった。

 ロシアはアメリカ海軍が大洋を北上していることを聞きつけると、四省の全砲門が自分に向けられていると感じた。

 ヨーロッパ諸国も青くなり、抗議の声明をアメリカに突きつける。

 それより早く軍の動きを知ったアレックスが、大統領に報告するとともに、ペンタゴンに問い合わせたが、ペンタゴンは一方的に連絡を絶ってしまい、鉄壁の防御を敷いてきた。

 ランフォードがFBIの先鋭を差し向けたが、難航している。その間にも世界の緊張は高まるばかりで、いつ戦争に突入してもおかしくない情勢となっていた。


 ***


 モリスはテレビを目を丸くして見ていた。ギアソンの気が狂ったとしか思えない。今朝、ここを出て行った人物と同一人物とは思えなかった。

 背後に近づく物音を聞いて、振り返る。

 ライルがミーナに支えられて、二階から降りてきたところだ。モリスはきつい調子で非難した。


「寝ていなくちゃ駄目じゃないか! まだ顔色が悪いし、第一起きられる状態じゃない!」

「それどころではないでしょう。一体、どうしたというのです? 何故、今頃になって、戦争なんです? これまでずっと、緊張を保ちながらも、不思議なバランスで回避してきたというのに」


 ライルの目は心から地球の将来を案じていた。


「そのバランスが崩れたのだな。君という存在の所為でね」


 モリスは率直に事実を言った。。

 ライルは目を見張ると、うなだれる。


「考えてもみませんでした。私はその戦争をこそ無くしたいと思っていましたのに……」


 ミーナはモリスに非難の視線を投げると、ライルを長椅子に横にさせる。

 彼は薄い水色の開襟シャツと青いスラックスに着替えていた。ギアソンから連絡を受けて、彼女がライルの為に買ってきたものだ。アパートにはとても寄れなかった。

 テレビをしばらく見ていた彼は、モリスに顔を向けた。


「彼がペンタゴンに閉じこもるなんて、絶対におかしいです。何かが彼に起きたとしか考えられません。ここは危険です。早く出たほうがいい」


 彼がそう忠告した時、外が騒がしくなった。ミーナが窓から外をうかがうと、銃や棒を構えた暴徒達がこちらに向かって押し寄せて来るところだった。

 やがて、ドアが勢い良く破られ、殺気だった一団が雪崩れ込んで来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る