第8話 火星の惨状

 特命を受けた調査隊は、チャーリィ達十九人の候補生と、特に酵素体の接種を受けた正規将校三人で構成されていた。

 軍のシャトルで月軌道ステーションに行き、そこで火星行きの船を自分達で調達しなければならなかった。


 覚悟はしていたが、地上の有様など問題にならない惨状が展開していた。

 船から一歩出ると、物凄い異臭で吐きそうになった。空調調整システムが正常に働いているのが仇になって、あちこちに転がっている遺体が腐敗しているのである。

 ステーション全体が死体置き場になっているはずだった。将校の一人が、近くの空調装置を操作して、気温を氷点にまで下げる。第二次隊が来るまで凍結しておくのだ。

 彼等は手分けして作業を進めた。寒気の所為で手が凍り勝ちだったが、誰も文句を言わない。

 ステーションの遺体は見ないようにしている。ここの死者の埋葬は彼らの仕事ではないのだ。けれども、つい先日会っていた人達なのである。


 船はオーソドックスな細長いペンシル型。火星は大気が薄いので、この形状でも問題がなかった。

 出発の準備ができると、チャーリィ達一同は死者に別れの敬礼を捧げた。誰も歯を食い縛って自分と戦っていた。これから向かう火星では、もっとひどい状態だと予想されるのである。

 火星には、一日で着く。彼等は人手不足を補おうと働き続けることで、考える暇を作るまいとした。


 フォボスがいつもと変わりなく、火星の上空から見下ろしていた。彼等は、その下にあるNASAマリーナ基地へ船を着けた。

 直ぐ、幾つもの班に分かれて、作業に取り掛かる。この場合、調査班を構成する候補生達が最優秀クラスのエリート達であったことは、指揮する将校達にとっても幸いだった。

 遺体を収容する班、記録を当たる班、基地全域の現場調査に当たる班に分かれ、能率よく進められた。


 チャーリィは、記録の調査を担当した。地球で、彼はある事実を発見していた。直ぐそれを、ギアソンに報告し、この調査行が緊急に編成された理由にもなった。

 ライル達が地球到着する前々日に、発症した男が居たのである。小さな町の病院だったので、今まで気づかれず、発見が遅れたのだ。

 彼は火星から帰ってきた。しかも、月に立ち寄った形跡もある。ドイツの科学者で、ESA基地勤務だった。もし、彼がNASA基地に立ち寄っていたら……?


「あったぞ!」


 チャーリィは思わず声を出していた。基地の出入国管理記録を調べていた時である。

 各基地は、その性質上地球の政治的背景を背負っているので、出入りの際は簡便な出入国手続きを取らねばならなかった。そこに、あのドイツ人の名前があったのだ。

 チャーリィ達の出発の二日前だ。訪問理由は、地質学の若干の討論とある。相手はライルだ! 待てよ。確かシャフトナー博士も地質学の権威だった。すると、その時、シャフトナーとも会っている事もあり得る。

 これは二面性をもつ。ライルがその男を感染させたのか、その男が基地やシャフトナーを感染させたのか。

 チャーリィは、ESAアレス基地を訪ねてみようと思い、勇を捜す。勇は上官のムラジ中尉と車庫に居た。


「三台足りないな」


 と、首を捻っている。火星バギーの事だ。

 チャーリィは上官に自分の希望を伝えた。彼は直ぐ承諾してくれ、残っているバギーを使うように言ってくれた。

 チャーリィと勇は直ぐに出発した。


 基地を一歩出ると、荒涼とした火星の大地が拡がっている。人を寄せ付けまいとする過酷な世界だ。それでも人々は、この世界も人のものにしようと、命が育つ大地にしようと努力を始めていたのだ。


 ――しかし、今、この地は再び全ての命を失った。生きているのは俺達だけ。


 その思いは、チャーリィに背筋が冷たくなるような冷え冷えとした感覚を与えた。命を嫌う何かが、まだ飽き足らずに、彼らを狙って見ているような気がして、後ろを振り返る。

 その時、勇ののんびりしたバスが、彼を現実に戻した。


「見えたぞ。真っ直ぐハッチに着けていいか?」


 ESAのドーム基地が目の前にみえていた。この前、彼等が親善と実習の為に訪れた時と少しも変わりないように見える。それだけに心の準備をしておかなくてはならない。チャーリィは、固い声で言った。


「よし、外は異常ないようだ。乗り込もう」


 基地には連絡をあえて取らない。勇は馴れた調子でバギーをゲートに乗りつける。ハッチのドアを潜りながら、誰も居るはずもない基地内に、


「やあ、またお邪魔します」


 と、大声で言った時は、チャーリィはぞっとした顔で相棒を見つめた。

 人気の無いしんとしたメタリック加工の廊下が、ずっと伸びている。一度来た場所だから、馴染みのはずなのに、初めての見知らぬ場所のような気がした。

 勇は平然とそこをずんずん進む。こいつには神経というものが無いのかと、今更ながら呆れる。

 身長はチャーリィより幾分低いものの筋肉質でがっしりしており、ちょっとやそっとでは倒れそうにもない。ヘルメットを後ろにはね上げ、いつも短く刈っている頭が剥き出しになっていた。日焼けした精悍な顔には緊張が見られず、むしろ楽しんでいるかのようなひょうきんな表情さえ浮かんでいた。


 そのうち、彼は異常に気がついた。

 そこら中に転がっているはずの死体がない。ぞっとして、傍らの勇を肘でつつく。勇が頷いて見せた。

 呑気に見せかけていても、気を張り巡らせて油断はしない。こういう状況では、実に頼もしい相棒だった。勇の不意をつくことは、余程の手練の者でない限り不可能なのだ。


 勇が立ち止まった。チャーリィに動くなと合図して、足音を消して進む。

 耳を澄ませたチャーリィにも、しんと静まり返った中に、かりかりという微かな音が聞こえてきた。

 勇はその気になれば、全く足音も立てず、気配も消して素早く動くことができる。非常に訓練された男だった。ドアの一つに身を寄せると、ばっと開けた。チャーリィが銃を構えて飛び込む。

 しんとしている。死体が一つ。後は何もない。

 勇が換気口を見上げて、ぽつりと言った。


「逃げられた。素早いな」


 縦横六十センチほどの穴に鉄の格子が嵌まっている。そこから逃げたとすると、幅が十センチほどの大きさということになる。


「ネズミがいるのか?」


 勇が遺体の向きを変えた。顔と胴の半分ほどが無くなっていた。チャーリィは、吐き気を必死で堪えた。腐敗が進みぐずぐずしている死体を、勇はあっちこっち転がしている。


「歯型が違う」

「何だっていうんだ? ネズミなんだろ?」

「ネズミの歯型じゃない」


 勇が不吉な目付きで言った。


「ライルが居れば、一発で当ててくれるんだがな」

「お前でも解らんのか? 大抵の肉食の動物に関しては専門家並のお前でも?」

「俺の知らん歯型だ。それに、ここにネズミが生きているはずないじゃないか」


 勇に指摘されて、チャーリィはあっと思った。動物は例外なくあのポリマーの犠牲になっているはずだった。

 チャーリィは死体から目を背けて言った。


「とにかく、遺体が見当たらなかった理由が解ったな。何かが居て、死体を喰らっていたわけだ」

「グールかい? しかし、マリーナ基地には居なかったな。あそこの死体はちゃんとしていた」


 チャーリィはまだ胸をむかむかさせながら、


「グールのほうがまだましな気がするぞ。嫌な予感で、ぞくぞくする」


 と、吐き捨てるように言った。

 二人は、いっそう警戒しながら更に進む。最初は、横に並ぶ部屋を片っ端から開けてみていたが、綺麗に食べつくされた骨か食事途中の死体があるばかりなので、寄り道しないで真っ直ぐ司令官の部屋を目指した。記録があるとしたら、まずそこだ。

 人気がないくせに、幾つもの目に見られているような不気味な感じに悩まされながら、チャーリィ達は司令官室に行き着いた。


 別れしなに握手した無骨な手を思い出しつつ、二人はドアをそっと開けた。部屋はがらんとしていて、死体もなく、埃がうっすらと積もっているだけだった。

 ほっとして中に入ると、早速記録を調べ始める。見つけたのは勇だった。司令官の日々の記録を記した手記だった。


「此処を見ろよ。落下物を拾っているぜ」

「日付からすると、俺達が帰る三日前だな。隕石なんか落ちたっけ? メイヤーが発見。基地内に搬入し調査するとある」


 チャーリィはページをスワイプした。


「二日後だ。原因不明の患者が出る。時間を追う毎に増えていく。……同じだ」


 その文章がいきなり乱れた。文脈をなしていないが、文字を拾うと、こう書いてあるようだ。


『間に合わない。あの隕石が。隊員が反乱。命令聞かず。あらゆるところへ。全滅。地球に報せ。緊急。閉鎖の必要。』

「彼は、地球に報せることができなかったんだ」と、チャーリィ。

「隕石を見てみよう。隊員の反乱ってどういうことなんだろう」とは、勇。

「司令官は疾病の重大さに気づいて、全基地隔離処置を取ろうとしたんだと思う。変なのは、それを無視して、他所へ出掛けて行った連中がいたというところだ。普通じゃ考えられない」

「つまり、わざわざ病気をうつしに行ったって事なのか? 承知で?」


 勇が呆れて言った。

 チャーリィは腕を上げた。一昔前は、時計を腕に嵌めていたらしいが、今では、多機能TELを嵌めているのが当たり前になっている。NASAコード専用回線に切り替えながら。


「一人は俺達の所に来て、ステーション経由で地球に行った。他の所にも行ったかどうか確かめてもらおう」


 だが、直ぐに勇に視線を上げて言った。


「通じない。妨害されている。通信を妨害できる奴が、ここにいるんだ」


 ***


 NASA基地では、遺体収容を終えると、新たに班を編成し直して、シティや周辺基地・設備の調査に派遣した。

 一人残ったネルソン隊長は、食堂のテーブルの下で見つけた握り拳大の物体を眺めて、ため息をついていた。

 これと同じような物を何処かで見た気がする。何処だったろう?


 ムラジ中尉以下五名のシティ調査班は、その無残さに言葉を失った。

 絶望した誰かがシティを爆破し、その気密を破ったのだ。薄い大気へ、シティの濃い空気が爆発的に抜けていった時、多くのものが破壊された。

 遺体は吹き飛ばされ、あちこちに折り重なったり、引っ掛かったりしている。救いは、空気の流出のため、遺体の腐敗が進まなかったことだった。

 彼等はここで基地のバギーを一台みつけた。シティの中央通りでは基地の隊員の遺体を発見する。何故、わざわざここへ来たのだろう。

 ムラジはその遺体の横に黄色い毛皮のネズミのような小さな動物の死骸を見つけ、収納袋に入れた。さしたる理由はなかった。見かけない種類だったのと、ほんの気紛れからだった。


 建物は安全のため、二重構造になっており、気密を保っている所も多かった

 隊員の一人がヘルメットのスピーカーから怒鳴ってきた。


「生存者だ!」


 病院の新生児室だった。保育器の中に隔離されていたので、汚染された空気を吸わずにいたのだ。しかし、ずっと世話する者もなく、空気も切れ、赤ん坊は死に掛けていた。隊員達は、急いで圧縮空気ボンベを探し出し、保育器に繋ぐ。

 希望を持った隊員達は、更に病院の中や気密を保つ家屋を調べて回ったが、他に生存者はいなかった。

 赤ん坊は設備の整った病院から移さないほうが良いと判断。その世話に二人を残して、基地に戻る。

 各基地に向かった調査班から、続々と連絡が入ってきた。しかし、何れも生存者は無く、引き続き遺体の埋葬を行うと言って来た。


 アフリカ出身の逞しいムラジ中尉は、備品を揃えてシティの後始末の為に、彼の班を再出発させた後、ネルソンを訪ねた。ネルソンは、チャーリィ達から連絡がないことを心配し始めていた。

 その机の上にある物を見て、彼は眉を上げる。


「それは、何です?」

「何だと思う?」

「人工物ですな」


 彼は手にとって見た。表面は金属質。形状は球型。円周上に細い窪みがあり、やや弾力のある物質が中にあった。両手に力を掛けると、二つに分かれる。球体の中はその物質が詰まっていた。


「それが、基地の食堂の床に転がっていたんだよ」

「それでは、これが、感染源だと?」


 ムラジはぞっとして、急いで机の上に戻し、なおも数歩後ずさった。


「大丈夫だ。これにはまだポリマーが残っているかもしれんが、我々には害はない。でなかったら、とうに発病していただろう。あの酵素は確かに、たいした効き目だ」


 ネルソンは球体をポンポン叩いて、続けた。


「こいつの調査は地球に帰ってから、詳しく行われるだろうが、まず間違いの無い線だと思っていい。これで、誰かが故意に汚染させたという明確な証拠が出たわけだ」

「シティの車庫に基地のバギーがありました。おそらく、シティの汚染はここの隊員によってもたらされたものと思われます」


 ムラジはシティの状況を詳しく報告した。


「多分、捜せば、これと同じ物が発見されるかもしれません。ただ、疑問に思うことは、基地へこれを運んで来た者が誰か、何故隊員がシティを汚染させたのかということです」

「チャーリィは、ESA基地に何かあると考えていた。もし、彼の推測どおりだとすると、あの二人、危険に遭っているかもしれん。実は、彼らからまだ、連絡がないのだ」

「分かりました。私もアレスに行ってみます」

「頼む。調査隊も作業を急がせる。赤ん坊の容態は楽観できないらしい。早く地球に戻る必要がある」

「ライル博士も来れたら、そんな必要もなかったんですがね」


 ムラジが愚痴を言った。中尉は火星実習訓練の係官だったのだ。

 ネルソンは、彼が机に出した袋の中の小動物の死体を目に留めた。


「それは、どうしたんだね?」

「はあ、広場に倒れていた隊員の側にあったんですよ。病気で死んだのか、酸素の欠乏で死んだのかわかりませんが。ちょっと珍しい動物だったものですから」

「薄気味の悪いネズミだな。この頃、そんなペットが流行っているのか? ハリス局長も同じ奴を飼っていたぞ」

「へえ、変わった趣味ですね。とりあえず、預かっといてください。ライルに見せようと思うんですよ。きっと喜びますからね」


 ネルソンは眉を顰めた。


「彼が何者か聞いているはずだが? それでも、彼を親しく呼べるのか?」


 ムラジは精悍な黒い顔ににっと笑いを浮かべて答えた。


「彼が地球人じゃないから? だからどうだっていうんです? 彼は才能に恵まれた優秀な士官候補生ですよ。人々はまだ、差別意識が捨てきれないんですな。世間には、今なお、私の黒い肌が嫌だとおっしゃる上品な方々も多いようで」

「ムラジ、問題が違う」

「いいえ、ネルソン隊長、同じです。私は彼を知っている。彼の訓練課の担当教官として。更に二週間、ここでずっと彼と一緒に過ごしたのです。確かに毛色の変わった奴ですが、良い少年です。私は好きですよ。出身は関係ないですな」


 一つだけ残ったバギーを走らせながら、ムラジはライルの美しい姿を思い浮かべていた。

 彼は、一度だけライルにキスしたことがある。模擬戦闘訓練中に、彼は射撃を受けて倒れたのだ。もちろん本物の弾丸ではなかったが、衝撃は結構きつかった。

 彼は妙に脆いところがあって、あの時も銃を持っているくせに一発も撃とうとしなかった。挙句に標的にされて、集中攻撃を受けてしまったのだ。

 意識を失った彼を医療室のベッドに運んで寝かせても、気がつかない。医者が戻っていなかったので、服を緩めてやっているうちに、彼の美貌に見惚れてしまった。

 彼の目を覚まさないように、そっとキスした。彼が異星人だと知らされた後でも、その時の胸のときめきは消えない。彼を殺そうとした奴は許せん、と、ムラジは腹を立てていた。

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