第9話 侵略者の正体

 隕石の保管場所である地下室へと通路を曲がろうとした時、勇達は突然、攻撃を受けた。

 熱線を素早い反射神経で避けると同時に、チャーリィは、自分の武器で応戦していた。キッと小さな声が上がり、確かに手応えありと見て走る。


「伏せろ!」


 勇が叫びながら、チャーリィを床に押し倒す。その直ぐ上を熱線が数条走った。

 相手をろくに確かめもせずに、ブラスターで扇状に薙ぎ払う。甲高い叫びが続けざまに上がった。

 煙も晴れないうちに、勇がだっと突っ込む。チャーリィはいつでも撃てるように援護体制を取る。

 攻撃はあれで終わったようだった。

 勇の側に来て床を見る。黄色の毛皮に覆われたネズミが五匹、焼け焦げていた。


「こいつなのか?」


 信じられないように見つめる。


「まだ、一匹生きてるぞ」


 勇が指差した奴を、チャーリィは摘んだ。

 そいつは指の間で弱々しげにもがいた。キイキイと鳴く嫌らしい生き物をじっと見つめる。狡賢そうな猿顔。

 急にチャーリィは激しい頭痛に襲われた。こいつを捨てたいと思いながら、いっそう強く握り締める。


「勇! こ、こいつ……!」


 頭の中を鋭い針で掻き回される痛み。なんとかこの激しい頭痛から逃れようともがいた。

 勇はぎょっとした。チャーリィの銃が自分に向けられたのだ。

 考える前に彼に飛び掛り、銃を叩き落しながら、その身体を投げ飛ばしていた。訓練によって培われた反射行動だった。

 壁に叩きつけられたチャーリィの手からネズミが転げ落ちる。ネズミはその衝撃で死んでしまった。


「チャーリィ、大丈夫か?」


 頭を痛そうに抱えているチャーリィに、勇は警戒を解かずに訊いた。


「おお痛っ! 死ぬかと思った。何すんだよっ! いきなり! 俺に恨みでもあるのか?」


 勇はびっくりして聞いた。


「お前、覚えていないのか?」

「だから、何だってんだよ? 突然、ひどい頭痛がしただけだったぞ」

「お前は、今、俺を銃で撃とうとしたんだぞ。ほら、お前の銃がそこに転がっているだろ。俺が叩き落したんだ」

「本当か? 全然、覚えがないぞ……!!」


 チャーリィは愕然とした。パズルのように全ての仕組みが納まっていく。


「ちっくしょう! こいつか! こいつらが……」


 チャーリィは、黄色いネズミの死骸を睨みつけた。


「こいつらがどうしたっていうんだ?」

「このネズミの野郎が侵略者なんだよ!」


 叩き付けるように言った時、警報のベルが鳴り響き、辺りの照明が赤く点滅を始めた。


「非常警報だ! 基地の保全機構だ! 奴等、自爆装置を作動させやがった!」


 チャーリィと勇は、ベルが鳴り響き、赤く点滅する通路を駆け出した。一切が色彩を失い、赤い影のコントラストに変わる。

 バギーを置いたハッチまでかなりある。耳に突き刺すようなベルの音が二人を嘲笑っているようだった。


「畜生! 間に合わない!」チャーリィが叫ぶ。

「壁をぶっ壊す! チャーリィ、退いてろ!」


 勇はベルトからロケット弾を取り出すと、背中の背嚢から組み立て式バズーカ砲の部品を引っ張り出す。

 チャーリィは眼を剥いた。


「どっからそんなもの持って来た?」

「へへ、見つけたもんでね。やっぱり役に立った」


 チャーリィは開いた口が閉まらない。


「軍事裁判ものだぞ。それに、そいつを今ここでぶっぱなす気か?」

「爆死するよりいいだろ? ほら、伏せて!」


 勇はてきぱきと組み立ててしまうと、肩に乗せ、片膝たてて構える。チャーリィは急いでヘルメットを閉め、壁からなるべく離れて伏せた。


 ずん! 腹に響く衝撃音と同時に、爆風と壁の破片が襲い掛かる。と、体が浮き上がるほどの勢いで、空気が吸い出されていく。

 瓦礫の山が動いて、勇の黒く汚れたスペーススーツが出てきた。


「出ろ!」


 ヘルメットの通話機から勇の声が怒鳴った。チャーリィも跳ね起きる。穴がまだ小さい。

 勇は手を前で構えると、気合とともに壁に手刀を当てた。弾の衝撃で脆くなっていた壁の残りは、あっさりと敗北して砕ける。

 チャーリィは感嘆する間も惜しんで、穴に飛び込んだ。外へ出ると、駆けられるだけ駆けて、身を投げ出すように飛ぶ。


 直後、薄い火星の大気を震わせて、ESA基地が爆発した。爆風が二人の体を軽々と持ち上げた。勇達は飛ばされまいと手がかりを求めて、地面にへばりつこうとする。伏せた二人の上に、土砂がばらばらと降ってきた。この場合、引力が地球より低いのは幸いだった。

 地の轟きと振動が収まってきて、二人は土砂がまだ降り続ける中に立ち上がった。


「連中、逃げたかな」


 勇がぽつりと言った。

 しかし、チャーリィはもっと身近な事を気にしていた。そっちのほうが、目下深刻だった。


「それより、どうする? 俺達、歩いて帰るしかないんだぜ。酸素が足りない」

「通信、試してみろよ。きっと大丈夫だよ。迎えにきてもらえばいいさ」

「お前は楽天的でいいよ。迎えが間に合ってくれればいいけどね」


 それでも、腕のTELを調整して連絡を入れた。すると、思いもかけず、直ぐ近くから返事があった。


「ムラジだ。今、近くにいる。方向指示を出したままにしておけ。こちらで見つける」


 チャーリィが訊いた。


「爆発は見ましたか?」

「ああ、最初から見ていたぞ。お前たちがやったのか?」


 口調の裏に物騒なものが潜むのを感じて、彼は急いで否定した。


「まさか! もちろん違います。自分達は命からがら脱出したのです」

「一応、信じてやる」


『一応』を強調してくる。彼はこの二人がそのくらいの事は遣りかねない事を良く知っているのだ。


「中尉、基地から何か出て行きませんでしたか? 大きいものではないかもしれません」

「いや、俺が観察していた限りでは、何も見なかったな。それがどうしたのか?」

「お会いしてから、詳しく報告いたします。自分達の酸素がもう残り少ないのでして」


 それから数分後、勇達はマリーナ基地に向かうバギーの中で、ESA基地の一部始終を報告していた、

 通信機の向こうから、ネルソン隊長が緊迫した声で言った。


「解った。早く帰還しろ。緊急に地球に戻らねばならん」


 そして、通信を切ってしまった。


「各班を急いで呼び戻しているんだろう」


 と、ムラジが言う。


「どうしてそんなに急いで? 侵略者の調査をしないのですか?」


 勇が不思議そうに訊く。


「シティで赤ん坊の生存者を発見した。容態が危険なのだ。それに、その侵略者はもう地球に深く入り込んでいる」


 チャーリィ達は、あっと、言葉を呑んだ。

 彼等が基地に帰り着いた時、不明のバギーの報告が入る。シティの宙港にあったという。

 その後、更にまた、発見の報告が入った。こちらはシティからも基地からも遠く離れた砂の中に埋もれていた。中に隊員が一人、死亡している。疾病から逃げだしたのだ。いよいよ酸素が切れて、彼は自らドアを開け放した。

 彼は手記を残していた。


 火星から月ステーションへ向かう中で、ネルソン隊長は隊員の前で、その手記を読み上げた。

 手記は、まず基地から逃げ出し、仲間を見捨ててしまった己の卑怯さ、弱さへの激しい自己嫌悪で始まっていた。

 だが、死神の手が伸びてくるのを見て、逃げ出したくなる人の弱さを責められるだろうか? 生き延びようと努力することもまた、人に課せられた使命なのだ。


 手記の価値は、その後、死ぬまで続けられた克明な記録にあった。

 彼は基地内でどのように疾病が拡がっていったか、さらにシティや周辺の基地の通信を傍受し、その内容を記録し続けていた。

 隊員達は、一人残らず、改めて疾病の恐ろしさに震え上がった。しかも、候補生達は自らそれを経験していた。

 しかし、彼等は生還したが、火星の人々には救いはなかったのである。凄まじい絶望と恐怖、それが彼らを支配したのだ。


 その後で、ネルソンはムラジとチャーリィ、勇を自室に呼んだ。


「あの手記のお陰で、事件の概要がいっそう明確になった」


 ネルソンは直ぐに切り出した。例の黄色いネズミの件は、ほかの隊員には伏せている。

 少なくとも一人、黄色いネズミを持っている人物がいる。NASAのハリス長官だ。ライルを襲ったFBIの隊員が押収したという黄色いネズミは何処に行ったか分からない。誰もネズミなどに関心を持たなかったのだ。

 他にどれだけの奴等が潜入しているか知れない。NASAがハリスに拠って彼らの手に落ちているので、ネルソン達は、迂闊に地球に連絡も取れなかった。


「奴等はすっかり準備を整えて、チャンスを待っていたのだ」

「俺達が実習訓練に来るのを?」


 勇が聞いたが、これは確認にすぎない。ネルソンは頷く。


「さらに同じ時、火星からステーション経由で旅客船が出ている。例のドイツ人はそれで地球に来ている。調べれば、バギーを乗り捨てた基地の隊員も居たはずだ。ネズミに取り付かれた奴がな。そして、何食わぬ顔をして、ポリマーの詰まったカプセルを置いて回ったんだ」


 彼は、それを他ならぬハリスの部屋で見たのだ。覚えがあるはずだった。酵素体を受けておいて良かったと、今更ながら思う。

 奴は当然、それに対し免疫を持っているのだろう。前スレンダー局長を感染させたのは、奴に違いない。


「おそらく、既にハリスはネズミの仲間だったのだろう。そして、ネズミの方は、ライルの正体を知っていたのかもしれない」

「それで、ライルに罪を着せ、計画が危なくなると、今度は殺そうとしたのか!」


 ムラジが、拳を震わせた。


「黄色いネズミの奴は、ライルの正体を完全に知っていたのではなかったんだと思う。彼が自分の体の構造を見せてくれた時、ハリスはひどく取り乱して、急に態度が変わった。直ぐに逮捕しろと、ランフォードに怒鳴ってた」


 と、勇が言うと、チャーリィが思い出させた。


「いや、そうじゃない。ライルが分裂ポリマーを持ち出してきてからだ。多分、その時、奴は、彼がバリヌール人だと知ったんだ」

「ライルは、そのバリなんとか人って言うのか?」


 と、勇。チャーリィが頷く。


「ああ、彼が話してくれた。でも、そのバリヌール星って所は、もうないんだ。破壊されたらしい」


 ええ? と三人がびっくりした。


「それが、この汚い攻撃と関係があるかどうかは知らない。しかし、ライルが最後のバリヌール人であるというのは確かだ。そして、どういう理由だか知らないが、彼はここへ、地球へ身を寄せたんだ」

「もし、彼の世界が破壊されたことと関係があるとしたら……奴らはバリヌール人が邪魔だったんだ」


 勇が考えながら言う。そして、はっとしたように立ち上がった。


「そうだ。彼はポリマーのことも知っていたし。ポリマーが失敗したとなれば、新たな手を考えるだろうが、奴等、きっとその前に、ライルを消そうとするに違いない!」

「ギアソンに連絡が取れれば……。今、ライルは自分で身を守れない。無力なんだ!」


 チャーリィは、苛立たしそうにネルソンを見た。


「国防長官のオフィスに直接繋がる専用周波数があることは否定しない。しかし、連中は火星の基地を失って、神経を尖らせているはずだ。我々が彼らの正体を知ったことを、なるべく隠しておいたほうがいい」


 と、ネルソン。チャーリィは、黙り込んだ。


 ムラジは部屋を出ると、操縦室へ行く。慣性航行中だから、当番の士官と候補生が一人居るだけだった。

 今は、正面の大きな窓は通常視界のままの宇宙が広がっている。物凄いスピードで進んでいるのだが、宇宙の中のその歩みはいかにものろく感じられた。


 実際、船は断続的にブレーキをかけながら、最初に与えられた加速による速度を落としているのである。二十時間後には、ルナステーションに対し、相対的に停止していなくてはならない。ステーションのゆるやかな回転と同調させるのだ。

 もちろんこんな無茶な減速ができるのは、ライルの加速吸収構造を持つからである。

 そのライルはどうしているのだろう。ムラジは、闇の中で小さく輝く青い球体を見つめた。

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