第6話  ライル 凶弾に倒れる

***


 異星の船で眠っていた少年の年齢は13歳だった。だが、もっと幼く見えた。その種族の特徴なのだろう。少し話しただけで、シャフトナーはこの少年がとんでもない知識と頭脳をもっていることにすぐに気づいた。

 もっとゆっくり話していたかったが、腕のTELを見てだいぶ時間が経っていることに気づく。あんまり遅いと調査船の連中が心配して、捜索隊を出すかもしれない。

 この少年のことを、彼らには秘密にしたほうがいいと、判断する。レオンハルト・フォンベルトの子供を――シャフトナーは、そうだと決めて疑いもしなかった――奴らの手に渡して、めちゃくちゃにさせてはいけない。

 シャフトナーは腕のTELを少年に示した。賢い彼はすぐに理解したらしい。船に向かって、幾つか指令を出すと、彼の腕のTELに通話回線が開いた。そこから、無機質な声が出る。


『この周波数を記録するように。地球上では使われていない周波数です。これで、いつでも通話可能です』

「きっと、うまくいくさ」


 彼は、こちらを見上げてくる人形のような少年に、ウインクして船を後にした。


***


 第二会議室では、スタッフ達の熱心な討論をライルは辛抱して聞いていた。彼としては、早く酵素の作成に取り掛かりたくてたまらない。こんな事は時間の無駄だと思っていた。

 だが、一方では今までの遣り方では旨くいかないことも承知していた。試行錯誤を繰り返していけば、そのうちできるだろう。だが、その頃には地球は死に絶えてしまう。どうしたらいい?

 

「酵素を全く一から作り出すということに、無理があると思うんです。完全な酵素の合成は、まだ成功していないのです」


 研究者の一人の発言に、ライルははっとして顔を上げた。


 ――そうなのですか?


 バイオ技術を専門としているミシガン博士が意見を述べた。銀髪を短く刈った五十台前半の男で、いかにも研究者という堅物だった。


「既に存在している酵素を使って、組み変えるなどの加工をして作り出せないだろうか。例えば、ヌクレオシターゼのような加水分解酵素は?」

「それです!」


 ライルが突然立ち上がって声を上げたので、皆びっくりして見た。

 しかし、ライルは夢中だった。


「どうして気がつかなかったのでしょう。ミシガン博士、あなたの言う通りです。生物体から酵素を抽出すればいいのです」


 ライルは席を回って、ミシガンに握手を求める。感謝や敬意を表す時は、そうするものだと教えられていたのだ。博士はどぎまぎと握手を返す。

 ふと、ミーナが嬉しいときはキスしていいのよ、と言っていた事を思い出した。今もその時だろうか?


「あの……。キスしましょうか?」


 ミシガンは真っ赤になった。慌てたあまりに、椅子ごとひっくり返る。


「いや、その、気持ちは嬉しいが、わ、わたしは、遠慮しとくよ」


 ライルは、彼の取り乱した様子に、不思議そうに訊いた。


「どうしたのです? 私は間違った事を言ったのでしょうか?」

「いや、そ、そういうわけじゃないが……」


 言いよどむミシガンの代わりに、ギフォードが答えてやった。


「ライル博士、男同士がキスする習慣は、余りポピュラーじゃないのでね。まして、君のようにたいへん美しい青年から言われると、その、誰でも慌ててしまうのだよ」


 ライルはまだよく解らなかった。さっきもチャーリィがキスしてきたではないか。

 首を傾げている美青年に、ギフォードがいささか性急な調子で言った。


「それより、何か解ったようですね。それについて話してください」


 ライルは頷くと、今の件はまるでなかったかのように説明し始めた。

 彼は当然ながら、酵素の完全な合成しか考えていなかった。だから、他の手段によって酵素を求めるなど、考えてもみなかったのである。


「なるほど、言われてみれば確かにそうですな」


 ミシガン博士が盛んに頷く。


「その分裂ポリマーは、蛋白質のペプチド結合を分解して縮合重合しているわけですからな。それを逆手に使う。面白い」

「しかし、ポリマーから酵素を分離するのは、容易ではありませんよ。時間がかかるでしょう」


 スタッフの一人から、もっともな意見が出た。


「私がやります。二時間で取り出します。その酵素に、重合抑制分解酵素の働きができるように修飾するのは、皆さん、手伝ってください。酵素の働きと構造のモデルは、既にPCにデータ化されています。修飾の方法や媒体は、ミシガン博士を中心に進めることができるでしょう。無血清培地の用意も必要です。さあ、始めましょう。今日中に、解決するのです」


 ライルの確信に満ちた言葉に、誰も疲れを忘れ、新たな熱意をもって立ち上がった。

 時刻は午後五時だった。研究室は活気に溢れて活動を始めた。希望が見えてきたのだ。今度こそ、やれる。



 ライルは無菌室に閉じこもり、酵素の分離に掛かった。

 それは事実、分裂ポリマー本体の一部であった。ある意味では、ポリマーは酵素体そのものといっても過言ではないのである。

 まず、抽出したポリマーに慎重に調合した分離活性剤を与え、結合を弱めてから、遠心分離器にかける。その作業を何度か繰り返すのだが、分解しすぎて酵素自体まで壊してはまずいので、非常に慎重な作業となる。

 ライルにしてみれば、それほど難しい作業ではないのだが、切迫した時間が失敗の余裕を許さず、機材の不備が作業の能率を妨げた。

 しかし、やがて、小さな抽出器の底に、分解酵素の堆積が静かにもやるまでになった。これから、その塊を電子顕微鏡下で操作しながら、必要な酵素を選り分け取り出さなければならない。

 技術と神経の集中がもっとも必要とされるのは、これからなのである。


 分離器の作動が終わった頃、研究室では出来上がった培養液をしばらく寝かせて熟成させるところへきていた。

 スタッフ達はその間に小休止を取るために席を外す。無菌室を覗いたミシガンは、作業に集中している彼の邪魔をしないように、そっと引っ込んだ。

 それで、この時、研究室ホールには机に向かって記録を纏めている研究員が一人残っているだけとなった。

 ホールのドアが開いたが、その研究員注意を払わなかった。スタッフが年中出入りしているので、ドアの開閉に一々気を止めたりしなくなっていた。

 ドアから滑り込むように入ってきた小柄な痩せ顔の男は、鋭い目をホール内に走らせると、足音も立てず、無菌室へと向かった。



 男がドアを開けると、ライルは彼に背を向けて没頭していた。

 ドアは微かにきしんだが、それが耳を押さえるほどの大きな音でも、今のライルには聞こえなかったに違いない。その常識外れの集中力が、彼の長所であり短所でもあった。


 それは苛々するような細かい作業だった。分解酵素と増殖置換酵素の連結体がポリマーの本体ともいうべきものであるから、酵素の抽出が不完全で、後で培養される過程で、それがポリマーに成長してしまっては困るのである。

 有機化合物は複雑に絡み、連結しあっている。その中から不必要な核や物質を排除し、純粋な酵素分子だけを切り離さねばならない。

 彼は背後に忍び寄る気配に気づかなかった。あと少し。このナトリウム分子を取り除いて。

 ……完了。


 その瞬間、左の背から胸へ、ブラスターの熱線が貫いた。

 彼は声もなく突っ伏すように倒れる。

 侵入者は入ってきた時と同様に、音も立てずに素早く去った。


 電子顕微鏡の前面に突っ伏したライルの身体が傾き、床へとずり落ちる。大量の血が磨かれた金属の表面に付着し、なおも筋をつけた。倒れ伏した身体から、真っ赤な鮮血が床に広がっていく。

 が、倒れた彼の手が痙攣するように床を這い、支えを求めた。椅子に触れると、その脚に縋って身を起こす。左胸に無残な穴が開いていた。心臓を直撃されていた。

 即死のはず。

 しかし、彼は椅子にすがったまま、肩で激しく息を継ぐ。右手を傷口に当て神経をコントロールし始める。

 全身がぼっと紫の輝きを発した。皮膚が陶器のような異質の硬度を持つものに変化した。

 出血が止まっていく。傷ついた心臓の動きを止め、それに出入りする動脈と静脈を凍結させる。

 応急処置が終わると、紫の妖しい輝きがふっと消えた。


 それから、やっとの思いで立ち上がると椅子に座り直した。

 震える指で、たった今分離し終わった酵素を顕微鏡の被検走査プレパラートから吸引する。これに不活性処理液を一定量加え、今一度分析器に掛けて確認する。

 データが出るまでの間、彼は操作台に両手を突いてしばらく息を整えた。

 目がかすんでくるのを堪え、画面の数字を読み取ると、ふっと息を吐いた。

 満足するものが手に入ったのである。


 彼は血で汚れた白衣を脱ぎ捨て、壁に掛かっている新しい白衣に着替えた。それから、酵素の入っている小さな容器を手に、無菌室を出た。

 まだ、時刻は午後六時四十分を過ぎようとしている頃だった。スタッフ達が戻って培養液の最終段階を終えようとしていた。

 ライルはミシガンに容器を渡して言った。


「これをK-培養液で増殖してください。酵素体のR-アミノ基と組み替えれば、旨くいくはず……です。組み換えの終わった抑制酵素体はK-培養液で簡単に…ふ…増える…はず……」


 息が切れる。ミシガンは相手の顔色の悪さに驚愕し、思わず支えようと手を伸ばした。


「君、真っ青だぞ。気分が悪いんじゃないか? 横になったらどうだ?」


 ライルはその手を振り払おうとして、ぐらりとよろめく。手近な椅子に支えを求めて腰を下ろした。


「私はいい。早く作業に入って!」


 彼らしくなくきつい口調で突っぱねる。ミシガンは頷くとスタッフに声を掛け、最終作業に掛かり始めた。

 その時、無菌室から叫びが上がった。部屋に入ったスタッフが、床と顕微鏡装置にべったりと付着している大量の血痕に仰天したのである。そして、脱ぎ捨てられた血だらけの白衣。

 ミシガンが振り向いた。ライルの顔色は、紙よりも青かった。


「君、ライル博士?」


 だが、彼は返事を返さず、そのまま崩れるように倒れていく。

 駆けつけたギフォードやブライアンが彼を抱き起こそうとして、叫びを上げた。

 白衣の胸がみるみる朱に染まっていく。

 慌てて引き剥がした白衣の下に、無残な銃創。夥しい真っ赤な血が溢れ出す。

 

 診療ベッドで運び去られる彼を、ブライアン達は茫然と見送った。ギフォードが気遣わしげに付き添っていく。

 ざわざわと動揺が広がっていく中で、ミシガンが声を張り上げた。


「彼の健闘を無駄にしないためにも、早く完成させましょう!」

「そうだ。ぐずぐずしている暇はないんだ!」


 ブライアンも自分に言い聞かせるように怒鳴ると、培養器の方に屈みこんだ。他のメンバーもばらばらと自分の仕事に戻っていく。誰も無駄話もせず、黙々と作業を急いだ。



 抽出された酵素はすぐに培養器に移され、増殖作業に掛かった。ライルが倒れた今、手に入る酵素はこれだけと言えるので、担当の者は過度なほど慎重に作業する。

 この酵素が確実に安全なものなのかどうか、彼らには調べようがなかった。この組み換え作業は、ひょっとすると新たな恐ろしい危険を生産することになるのかもしれない。


 しかし、彼らはまだ十八歳の青年を信じた。信じるしかなかったのである。彼が何者かを知っているのは、所長のギフォードだけ。研究室のスタッフ達は稀に見る天才だと思っていた。

 もし、彼の正体が皆に知られたら、彼らはどう反応するのだろう。手当てを受けるライルを見ながら、ギフォードは胸の中で呟いた。


 治療を施しているのは、アカデミー付属病院院長のモリス博士。ライルがインターンをしている病院の上司でもある。事件の連絡を受けたアレックスは、直ぐに彼をネバダに招聘した。

 世界的に屈指の医学博士モリスは、始め目を丸くしたが、直ぐにぎらぎらと輝かせた。異質の組織に夢中になる。

 正直、ギフォードには生理的な嫌悪感のほうが強い。そして、世間はモリスのような人間よりも、自分のように感じる者のほうが圧倒的に多いはずだった。


 吐き気を押し隠し、ギフォードは首を振りながら医務局を出た。応急手当が済めば、モリスの付属病院へと移されることになっている。

 ライルの秘密は当分極秘扱いされねばならない。秘密を知るものは、少ないほうがよいのである。スタッフが始終出入りできる此処の医務局よりも、アカデミー付属の特別隔離病棟のほうがその危険が少ない。

 ギフォードが研究室に顔を見せると、スタッフ達がライルの容態を訊ねてきた。


「何とか一命は取り留めそうだが、まだ、楽観はできない」


 答えながら、無菌室に目を配る。ミシガンは出て来ない。作業に集中している。組み換えの一番難しい所にきていた。


 ***


 ポリマーから酵素を抽出したところで、一つの山場を越したといえる。

 酵素の組み換えは、ライルが示した地図もあるので、ミシガン達にも残りの作業をこなすことは不可能ではない。まして、ミシガンは酵素組み換えに関しては権威である。ここはどうしても、ライルの助けなしで完成させたい意地もあった。


 既に準備のできた媒体を使って、この酵素に修飾していくのだ。共役結合した有機物質を触媒促進剤として、媒体には加水分解触媒を用い、ヌクレオシターゼを酵素に修飾していく。



 21:10。

 酵素ができあがった。走査分析にかけ、現れる数字を固唾を呑んで見守る。走査が打ち出し、描いて見せた構造式は、ライルが示したそれと一致した。


「できたっ」


 喜ぶスタッフをミシガンは制する。まだ早い。これが果たして、期待通りの効果を示すかどうか確かめるまでは、完成とはいえないのだ。


 重合抑制分解酵素。酵素の名前である。これをポリマーの培養液に入れた。一分、二分……。人々が見守る中で、時間が時を刻んだ。だが、分裂ポリマーの数は減らず、分解する兆しもない。



 22:15。

 一時間が経過して、誰かが呻くように声を出した。


「失敗だ」


 ミシガンはじっと電子顕微鏡を見つめる。ライルが示した地図は、結局役にたたないのか? 地球を救う手立てはないと言うのか?

 ギフォードがもう一度地図を出してみろと、怒鳴っていた。気落ちしたスタッフがどうミスしたのか、地図が裏返しに現れた。

 苛々している所長が雷を落としているのを、ぼんやりと聞いていたミシガンが、はっと顔を上げた。


「酵素体の構造式を地図に表してみろ」


 ブライアンが走査器を操作して、さきほどの構造式を地図に直す。


「あっ……」


 ブライアンも悟って、口を開けた。

 構造式は同じなのだが、分子の配列の図式が違う。できあがった酵素は、ライルが示したものと左右が逆転していたのである。

 異性体だった。


「これか……」


 ミシガン達は唸った。



 22:30。

 ミシガン達の試行錯誤が始まった。

 刻々と時が過ぎる。

 次の日に日付を変えても、誰も部屋に戻らない。この瞬間にも、世界中至るところで大勢の人々が死んでいくのだと思うと、ライルでなくとも寝てなどいられなかった。

 酸素濃度を変え、気圧を変え、反応速度を変え、考えられる限りのあらゆる条件を変えてみた。

 だが、出来上がってくる酵素は、左右逆転した異性体だった。


 今こそ助言の欲しいライルは意識不明で、生死の境を彷徨っている。ミシガン達は途方にくれ、頭を抱えてしまった。

 疲労に色濃く染まったスタッフ達にミスが目立ってくる。



 7:00。

 ギフォードはついに、仕事の切り上げを告げ、全員八時間の睡眠を取れと命じた。



 11:30。

 ギフォードは顔に深く皺を刻んで、研究室のドアを開けた。皆に八時間の睡眠をと命じたのだが、彼はろくろく眠れず、結局四時間半、休んだだけで出てきてしまったのだ。

 だが、眠れなかったのは彼だけではなかったらしい。罰の悪そうな笑いを浮かべて、スタッフのほとんどが振り向いた。

 何か言おうとするブライアンに、片手を上げて制し、


「もう少しの踏ん張りだ。みんな、頑張ってくれ」


 と、告げる。

 助手と頭を寄せあって話し込んでいるミシガンのところへ行き、


「どうだね? 何か打開策でも浮かんだかね?」と、訊く。


「打開策となるかどうか。まだ、試していない方法を、ちょっと思いついたもので」

「どんな方法なのだ?」


 ギフォードが訊くと、ミシガンは薄くなった頭をぽりぽりと掻いた。


「なに、基本的なことです。触媒を変えてみようかと……」


 そして、あっけにとられているギフォードを残して、無菌室へと行ってしまった。

 触媒を変えて、もう一度同じ手順を繰り返した。



 14:25。

 スタッフ達は走査器の前に集まった。

 構造式は宜しい。

 皆、疲労と寝不足で真っ赤に充血した眼を無理やりこじ開けるようにして、画面を見つめた。

 地図が描かれた。


「できたぞ。逆転していない!」


 誰かが叫んだ。ミシガンが頷く。

 ギフォードが急き立てた。


「直ぐに、ポリマーに試してみよう」


 数分が経過した。

 電子顕微鏡の映像の中で、分裂ポリマーがみるみる分解し、小さくなっていく。それはポリマーに襲い掛かり、小気味よいほどに画期的な速度で効果を発揮していた。

 組み替えた酵素体は培養基中の分裂ポリマーを、一掃したのである。

 ポリマーから、構造分子を剥奪したうえで、体外に排出可能の物質に変換したのである。即ち、ポリマーは二酸化炭素、水、尿素に分解されたのだ。



 14:38。

「やった! ついにやった!」


 研究室の中は、これまでの疲れも忘れたように沸き立った。

 続けて、生体への影響を調べに掛かる。抽出した組織で調べ、殆ど同時進行で動物で試し、双方に確信ができた時点で、臨床に踏み切った。


 酵素の性質を考えれば、当然といえば当然なのであるが、この酵素は、分裂ポリマーにのみ反応することが、それで明らかになった。ほかの構造物に対しては、全く反応を示さない。ポリマー自身の構造を一部に保有していることが、その理由なのかもしれない。さらに、K-培養基でも、着実に増えている。



 19:00。

 此処で、ギフォードは酵素を発表することを決断した。

 

 あらゆる機関、医療機関、研究所と、研究室の全ての通信手段を最大限に酷使して、全員が手分けして、情報を世界中に送り出したのである。

 培養された酵素は、培養基とともに、これも即座に送り出される。同時に製造法、培養のノウハウの処方書きをファックスとネットで送り続ける。


 

 それから二十四時間、ネバダの研究室は眠りを許されなかった。

 翌日の午前五時になると、送信係りは交替制になったが、ベッドにやっと潜り込めた研究員達も、なかなか眠れなかった。極度の精神の疲労と興奮が、眠りを妨げるのである。

 しかし、疲労困憊していた彼らは、やがてぐっすり眠り込む。だが、恵みの眠りは短く、目を真っ赤に腫らし、ふらふらした仲間に叩き起こされて、TELやファックス機やPCに向かわなくてはならなかった。


 やがて、酵素は一定期間が経つと、自然に分解され、体外に排出されることが確認された。また、一度、体内に取り込まれると、人体に免疫ができ、二度の接種は不要となった。ライルが示した酵素とは、そこまで考えられていたのである。

 ミシガン達が、やっと充分な休息の眠りを許された頃、世界中の医療機関は、不眠不休の活動に入っていた。


 ***


 小惑星帯に相対的に停止している調査船にシャフトナーが戻った時、船長が何か怒鳴りまくり、副船長がやれやれとわざとらしい溜め息をついていたが、彼は全く気にしていなかった。すぐに、船室に引っ込んで、異星の宇宙船の中の少年と今後の打ち合わせを始める。あれほど楽しみにしていたはずの小惑星帯の調査も、もはや、彼にとってどうでもよいことになっていた。


 調査隊の日程が終了して、数日経ったある日、ルクセンブルク市からだいぶ離れた山の中に、無灯の宇宙船がそっと降り立った。船はまったく異質の推力で動くらしく、静かに無音で着地した。中から出てきた少年が車に乗りこむと、その船は再び静かに夜の空の中に消えていった。


 それを車の中から見送ったシャフトナーは、助手席に座った栗色の髪の少年に微笑んだ。


「おかえり、フォンベルト。そして、地球にようこそ、ライル」

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