第5話  狙われたライル

 シャフトナーが扉を開けて入ったそこは、小さな部屋だった。通路と同じ馴染みのない物質の壁に囲まれており、その壁全体から柔らかな光が滲むように出ていた。部屋には様々な色の光で瞬く複雑な機械があり、ガラス様の透明なケースが置かれていた。

  中に、栗色の長い髪の子供が一人眠っていた。

 シャフトナーは恐る恐るケースに近づく。一見、自分達となんら変わりなくみえた。だが、この異質な宇宙船の中で、地球人の少年が眠る異常さは理解できた。

 地球人のレベルで考えると11歳ほどにみえる。裸体なので、少年と知れた。

 と、そのケースの蓋が開きだす。

 薄い霧のようなものが少年に吹き付けられた。


 シャフトナーが驚いて見ているうちに、少年が眼を開き、身体を起こした。櫛も入れてなさそうなぼさぼさの髪は腰近くまで長い。

 少年の目は深い紫色だった。初めて見るほどの美しい少年だった。

 

 声も出せずに見つめていると、少年がこちらをじっと見る。何の表情もない。ロボットなのだろうか、と思った。

 ややあって、視線をそらすと、両の手を上げてその動きを確かめた。そして、ケースの中から出て、シャフトナーの前に立った。

 少年は耳慣れない言葉を壁に向かって発した。どこからか、無機質な声が同じ言語と思われる言葉を話してきた。それに対し少年はうなずいて、改めて博士へ視線を向けた。


「この言語はわかりますか?」


 少年は英語で話しかけてきた。ちょっと甘みのあるテノールだった。


「解るよ」


 まだ混乱しているシャフトナーがドイツ語で答えると、少年はドイツ語に切り替えて自己紹介をしてきた。


「私は、ライル・フォンベルト・リザヌールです」


 この時の衝撃を、シャフトナーは一生忘れないだろうと思った。

 フォンベルト!

 少年はそう言った。彼の唯一の、そして宇宙の彼方に永遠に失われた友の名だった。


***


 FBIとCIAが厳しく目を光らせて常時うろつくようになった。研究所の職員達はおかげで落ち着かない思いをしている。

 保菌者ではないことが認められたのでライルは隔離室から出て活動していた。ギフォード博士も、今では積極的にライルに協力していた。政府筋の方から支援の要請が来ていたからである。

 感情面は別として、全員がライルの指示に従って活動していた。彼は厳しかった。何処までも、厳密な正確さを要求した。

 それでも、ライルが望む酵素を合成するのは難航した。これまでの無理が祟って、体力の消耗が激しかったが、彼は休みも取らない。この一刻一刻のうちにも、大勢の命が失われるのだと思うととても寝てはいられなかった。

 彼にしてみれば最新の設備を誇るこの研究所も初歩的で不備極まりなく、その事一つとっても歯がゆかった。アミノ酸を合成し、高分子に育て、試薬を加え、一定環境の下で技術的操作を行う事によって、求める酵素を作り出す。たったそれだけのことが、なかなかできない。


 隔離された病室以外の所内は、原則通常の衣服で活動できる。研究者や医師達は、各々好みの私服に白衣を着用していた。ライルは紺のTシャツとカーキのチノパンに白衣を着ている。

 それを見たミーナは、ライルがどうやら火星帰りのあの日からずっと着替えもしていないらしいことに気が付いた。決然として、彼女は新しい服一式を手にライルの所へやってきた。


「さあ、これに着替えて。そっちは洗濯してあげるから」


 薬品を慎重に計って混ぜ合わせているライルに、白衣とお仕着せに用意された服を押し付ける。彼は上の空でそれを受け取ると、その場で服を脱ぎだした。

 仕事中のスタッフ達がぎょっとした視線を向ける。ミーナはもっとびっくりした。

 彼は、白衣とTシャツを渡し、チノパンに取り掛かっていた。


「ライル! 部屋で着替えて。シャワーも浴びたらいいわ」

「シャワーは後でするよ」


 彼は上の空で返事を返すとチノパンを彼女に渡し、びっくりして見ているスタッフの方へ歩いて行った。


「分留は終わりましたか? 次にこれを加えてください。加熱処理します」


 その男は青のトランクス一つのすらりとした姿に目を丸くして言った。


「早く服を着替えちまったらどうだ? 彼女が困ってるじゃないか」


 言われて初めて彼は自分の姿を見下ろし、ミーナを見た。頭を掻きながら戻ると、トランクスに手を掛ける。ミーナは慌てて叫んだ。


「そ、それはいいわ。早く着て!」


 ミーナは脱いだ服をまとめると、急いで出て行った。

 スタッフの間でどっと笑いが起こる。ドアの向こうのFBIの男もくすくす笑っている。ライル一人が、どうして皆が笑うのか解らない。


 ***


「もう! 嫌んなっちゃう!」


 ミーナがチャーリィ達元患者用のリビングを兼ねるミーティング室に戻ると、PCに齧りついているチャーリィに愚痴を零した。

 回復して以来、再発の兆しは今のところない。まだ、所内に閉じ込められていたが、行動は自由だった。


「ライルを引っ張って来るのに、失敗したようだな」


 チャーリィはたいして同情も見せずに言った。


「今のあいつに何を言ったって無駄だよ。何かに夢中になったら、てこでも動きやしないんだから」

「何をしているの?」


 ミーナがディスプレイを覗き込んできた。


「もう一度、今回の罹病経過を洗い直しているんだ。アクセスさえうまくやれば、世界中の医療機関データぐらい手に入る。火星帰りは、俺達ばかりじゃないはずだからね。そして、ライルの濡れ衣の証拠をあのFBIの野郎に突きつけてやろうと思ってさ」

「彼の無実を信じてくれるのね」


 チャーリィがまだ疑念を捨てきっていないと疑っていたのだろう。ミーナが嬉しそうに言う。


「さあてな。俺としては、あのランフォード野郎が気に入らないだけさ」


 そして、ミーナを見た。


「何で君はまだあいつが好きなんだ? 彼の体の中を見ただろう? 俺達と全く違うんだぞ。君の想いは一生報われないかもしれないんだ。あんな奴、想うのは止めて俺を好きになれよ」


 ミーナはデスクの端に腰を下ろすと、所在なげに足をぶらぶらさせた。チャーリィと同じく、研究室お仕着せのそっけないグレーのTシャツと白のコットンパンツを着ている。せっかくの脚が見えなくて残念だ。横目で見ながら、チャーリィはにやっとした。

 しかし、ミーナはチャーリィの視線を軽く無視して切り替えしてきた。


「どうしてそうこだわるの? あなたのほうこそ変よ。別に私が誰を好きだっていいじゃない。今までだって気にしてなかったのに。それがライルだと、あなたは面白くないのよね。ライルが私に関心を示すから」


 一旦言葉を切ると、真顔になって据わった眼をぐいっとチャーリィに近づけた。思わず、彼は顔を引く。


「あなたのほうこそ、ライルに関心があるんだわ。最初は、あんなに敵意を持っていた癖に。あれも、彼が気になっていたからだわ。チャーリィ、ほんとうはあなたが好きなのは私じゃない。ライルのほうなのよ」

「馬鹿な。あいつは男じゃないか」


 思いがけないことを言われて、チャーリィは狼狽えて呟いた。


「今時、男や女なんて関係ないわ。それに、ライルは中性よ。今まで、彼と二人っきりで過ごすチャンスもあったけど、彼は一度として、男がしそうな事は何一つしやしなかったわ。ちょっと、自信無くしかけてたけど。どうしてなのかやっと解ったわ」


 ミーナは一人で納得したように頷く。


「きっと、考えもつかないのね。私たち地球人の男女の常識は通じないみたい。キスだって、いつも私から。彼からしたことはないわ」


 そして、何か思い切るようにデスクから勢いよく降りた。豊かな金髪がふわりと揺れる。まだ戸惑った顔のチャーリィに、ミーナは宣言するように告げた。


「私は彼が好きよ。彼がもっと感情に乏しくて、箸にも棒にもひっかからなかった頃から。きっと、私は本気で彼に恋してる。彼がどう思っているのかはわからないけど……、でも、私は彼が好き。異星人だって関係ないわ。チャーリィ、こればっかりはあなたに譲れない。ライルは、私のものよ」


 挑戦的な視線をチャーリィに投げて彼女は部屋を出て行った。彼はミーナに言われた言葉に心が泡立ち、落ち着かない思いになる。


 ――あいつは男だ。確かに、気にはなってたが、そういう意味ではないはずだ。だいたい、ありえないだろう? 奴の異質性に気づいていたからだ。そうに違いないじゃないか。俺は、あいつの正体を無意識のうちに感づいていて、それで無性に気になっていたんだ。


 自分なりの結論を下し、少しほっとする。


 ***


 やっとできた酵素を分析器に掛ける。スタッフ達がその後ろから見守った。ライルは、ディスプレイ上にものすごい速さで流れていく分析結果の数字と記号の羅列を読んでいたが、やがて首を横に振る。人々から落胆のざわめきが上がった。

 何回目になるだろう。ライルはさすがに疲れを覚えて、肘をついた手で顔を覆った。息をするのも重く、辛かった。

 その肩に手が置かれて、彼は大儀そうに振り向いた。ギフォード博士だった。


「疲れたろう。ずっと休みなしだったからな。君はよく頑張ってくれた。少し、休んだらどうだね?」


 うっとりするような美貌が、げっそりとやつれていた。だが、彼は歯を食い縛って言った。


「そんな暇はありません。早くこの酵素を造らなくては」

「しかし、これまでのやり方では、また失敗しそうだ。少し、皆で話し合ってみよう」


 ギフォードは、時計を見て全員に言った。


「一時間後に、第二会議室に集合だ。それまでに、各自、考えをまとめておくように」


 スタッフ達がばらばらと散って行く。ライルも立とうとして、ぐらりと倒れ掛かる。

 ギフォードの腕がライルを支えた。所長は彼の軽さに一驚した。


「大丈夫か? 会議が始まるまで、休むといい」


 上背のあるライルに肩を貸して、隣の所長室に連れて行った。そこの長椅子に横にしてやる。彼はたちまち寝入ってしまった。ギフォードはしばらくその寝顔を見ていた。驚くほどあどけない。まだ子供のような年だったのだ。嘆息して首を振ると、ライルを残して外へ出て行った。

 この地下研究所は、所内に入るまでは極めて厳重な保安対策が取られていたが、地下であるせいもあるからか所内に入ってしまうと、中は結構オープンだった。所内の警戒は、むしろ、病原体の漏洩に重点が置かれていた。

 見張りのFBIも今なら大丈夫だろうと、トイレに行った。その後姿を見送って、影から男が出てきた。

 男は辺りを見回すと、さっと部屋に入る。

 長椅子でぐっすり眠っているライルに近づくと、服の下から小型のブラスターを取り出した。


 ***


 結論を出したはずなのにまだ納得しきれていないもやもやを抱えて、チャーリィは研究室へと足を運んだ。無性にライルの顔が見たくなっていた。

 すると、所長室に誰かが入っていくのを見た。挙動に不審を覚えて、彼は足音を忍ばせて後を追う。

 男がブラスターを構えた。その先に長椅子に眠るライル。

 とっさに飛びついた。

 不意を突かれた男は、闇雲にブラスターを撃つ。チャーリィの髪を一部焼ききって、壁に穴を開けた。

 チャーリィは腹に二発、屈んだところを、後頭部にとどめの一撃を喰れて相手を沈めた。


 長椅子を見ると、ライルはそれにも気づかずに眠っている。よっぽど疲れているんだなと、半ば呆れながら寝顔を覗き込む。

 彼が自ら正体を明かしてから初めて、しみじみ眺めた。あの時のショックはまだ薄れていない。それなのに、見慣れている美貌にうっとりと見蕩れる自分に気づいて首を振る。

 邪気の無い無垢な寝顔だった。

 ふと、キスしたいと思った。

 彼の上に屈もうとした時、人が慌しく駆け込んできてぎくりと顔を上げた。


「何があったんだ?」


 FBIの見張りが、目を丸くして叫んだ。


「この男がライルを殺そうとしたんですよ」


 床で伸びている男を指で指す。アカデミーで訓練を受けている自分が手加減なしで叩きのめしたのだ。まだ、当分、目は覚めないだろう。

 FBIは上司に報告するべく、男を引き摺って行った。

 チャーリィが振り返ると、ライルがやっと目を覚まして、起き上がったところだった。まだ、ぼーっとしている。


「チャーリィ?」

「疲れているんだろう? 休めよ」


 チャーリィが言うと、ライルは頭を振って眠気を払おうとした。


「あと十五分で会議があります。もう、起きなくては」


 時計を見て立とうとした身体がぐらりとふらつく。


「座っていろ。コーヒーを持ってきてやる」


 チャーリィはライルの肩を押さえつけて座らせた。

 スタッフ共有食堂のサービスコーナーからホットコーヒーのカップを手に戻ってみると、ライルは長椅子にもたれて眠っている。仕様がないなあと呆れていると、はっと目を覚ましてチャーリィを見た。

 

「いい加減にしろよ。身体がまいっちまうぞ」


 コーヒーを渡してやりながら言わずに居られない。

 熱いコーヒーを吹いて冷ましながら飲むライルのうなじの細さに、どきりとした。

 ミーナが余計な事を言うから、変に意識するじゃないか、と、半分腹をたてながらうろたえる。

 意識をそらそうと、ふと、疑問に思っていたことを訊いた。


「お前、どっから来たんだ? 何で、地球なんだ?」


 ライルはコーヒーを飲みながら答えた。


「私はバリヌール人なんです。ここから、二万光年くらいでしょうか。でも、もう存在していません。破壊されたのです」


 あっさりと言う彼の言葉に、チャーリィは目を剥いた。


「どうして⁉」

「さあ、どうしてでしょう。突然、攻撃を受けました。見知らぬ艦隊でした。私等としては、滅びるしかありませんでした。リザヌール達が、急造したたった一つの船に私を乗せて脱出させました。外縁にある宙港惑星は、真っ先に破壊されので、バリヌールで生き延びたのは私だけだと思います」


 淡々と他人事のように言う彼に、苛立ちを覚えて訊いた。


「反撃しなかったのか? 誰も?」


 チャーリィは初めて、彼が本当に驚く顔を見た。


「戦う? 私達が? 暴力と破壊を? 考えられません。そんな忌まわしいこと、できるわけがありません」


 チャーリィは、一瞬、口も利けなかった。そして、ようようと、


「まさか、全く無抵抗に、やられちまったんじゃないだろうな?」

「相手をひょっとしたら傷つけるかもしれないよりは、ましです。それに、誤って殺してしまうかもしれないじゃないですか」


 唖然として、チャーリィは女よりも美しい友の顔を見つめた。

 ライルは友の当惑も知らず、言葉を続けた。


「皆、バリヌールと運命を共にしました。私もそうしたかった。でも、リザヌールが私は死んではいけないと命じました。私が次のリザヌールだから。そして、地球へ行くようにと。そこが、私の故郷となるだろうからと」


 ライルは空になったコップをじっと見詰めている。その表情には何の感情も映していない。しかし、チャーリィは彼が心のどこかできっと泣いていると思った。そうに違いないと信じたかった。


「時間です。有難う。少し楽になりました。もう少しだから頑張ってみます。完成したら、ぐっすり眠りますから」


 ライルはにっこりと微笑んだ。

 チャーリィの不意を突く、大輪の花が鮮やかに開く美しさ。

 気がついたら、彼はライルを抱いてキスしていた。

 一瞬ライルは当惑したようだったが、そのまま素直に応えている。

 ふと、このまま押し倒しても彼はきっと抵抗もしないだろう、性を知らないんだと、思い至る。


 ライルがそっと彼を押した。


「時間なんです」


 ライルが合金張りの廊下を向こうに曲がって行くと、交代したFBIが妙な目つきでチャーリィを見てから、後を追って行った。

 見られた。

 ランフォードに報告するんだろうか? 彼はどんな顔して、報告を受け取るだろう。

 チャーリィが部屋に戻ると、勇が血相を変えてやってきた。


「ライルが襲われたって? 大丈夫だったのか?」

「ああ、無事だったよ」


 チャーリィが答えるとほっとした顔になり、ベッドに腰かけてもっともな質問をしてきた。


「どうしてライルを狙ったんだろう?」

「理由は二つ。彼を憎んでいるのか。彼が邪魔なのか」

「犯人は?」

「確か、スタッフの一人だったと思うよ。FBIで調べているだろう」

「それなんだよ」


 勇は身を乗り出し、言葉を続ける。


「FBIがいるってのに、わざわざ捕まるようなことすると思うか? 普通ならさ。どんなに殺したいって思っても、常識のある奴だったら自粛するよな」

「すると、彼が邪魔なので殺そうとした」


 頷く勇を見やってチャーリィは続けた。


「なぜ、邪魔なのか。なぜ、今なのか。彼がこの疾病を解決しようとしているから。病気を抑えられたらまずいから。FBIなんか気にしていられないくらい、緊急だから」

「そうさ。そうに決まってる」

「すると、犯人はこの疾病をばら撒いた犯人でもあるということになる」


 立ち上がったチャーリィは勇に来いよと顎で示し、歩きながら提案する。


「犯人の部屋に行こう。何か解るかもしれない」

「どの部屋か解るのか?」

「FBIに聞きゃあいい」


 チャーリィは真っ直ぐFBIの宿舎になっている部屋に行った。すっかり馴染みになっていて、やあっと手を挙げて挨拶しながら入っていく。それを見て、チャーリィのこの社交性にはついていけないと、勇は首を横に振った。

 中に居た二人がさっと振り向いた。勇は殺気を感じて思わず身構える。男達はチャーリィを認めると緊張を解いた。

 犯人がぐったりと縛られている。詰問に手加減がなかったと知れる様子だ。


「よう、色男。時間がなくて残念だったな」


 チャーリィの顔がぱっと赤くなった。勇が不思議そうな顔をした。


「何だ?」と、聞くのへ、

「何でもない!」と、乱暴に答える。

「それより、そいつがなぜライルを襲ったのか、解りましたか?」


 チャーリィが訊くと男達は顔を見合わせた。


「すまんな。教えるわけにはいかないんだ」

「じゃ、彼が何処から派遣されてきたか、教えてもらえますか?」

「ああ、それは秘密でもなんでもない。NASAからだよ。此処の職員の大半は、そこから派遣されてきている」

「彼の部屋を見せてもらってもいいですか?」

「探偵の真似事かい? なかなかやるんだってな。長官が言ってたぜ」

「それは光栄だって、伝えといてください」


 部屋を教えてもらって出ようとした時、チャーリィはFBIの小柄な男の胸ポケットに視線を走らせた。


「それは?」

「ああ、これか?」


 訊かれた男は、ポケットから小さな生き物を引っ張り出した。

 黄色い毛皮に覆われた猿みたいな顔をしたネズミ。確かハリスのポケットにも、似たようなのが顔を覗かせていた。器用そうな指がついている。


「奴の部屋を捜索した時に見つけたんだ。飼っていたんだろう。そのまま放って置いて餓死させても可哀相だからな」


 小柄な瘦せた男が、意外に人懐っこい笑みを見せた。


「こいつ、無類の動物好きでな。それさえなけりゃ、女にももてるのに」


 もう一人の同僚が呆れたように言った。

 チャーリィはそのネズミの目付きが気に入らなかった。いやに人間染みた狡賢そうな目付き。


「噛まれないようにしてくださいよ。また、おかしな病気が流行ったら困りますからね」


 男達は気の利いたジョークだと思って、どっと笑った。

 しかし、チャーリィは笑わない。半分本気だったのだ。どうも、そのペットは虫が好かない。


 犯人の部屋に入ったチャーリィは、勇と不審なものはないかと捜し回る。プロのFBIが散々捜査した後だけに、余り期待はしていない。

 見たところ、ごく平凡な研究者だった。几帳面な性格らしく、スケジュールをP-Tbにびっしり書き込んでいた。

 調べれば調べるほど、なぜ彼がライルを襲ったのか解らなくなる。彼は火星どころか、一歩も地球を出ていない。だいそれたことを仕出かすような人間にも見えない。

 チャーリィは、やっぱり火星に行ってみなければならないと思った。

 全てはそこから始まったのだ。

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