日本の文化を考える
文明と文化
文明と文化の違い。そんなことくらい知ってるよ。これを読んだ方々からは、そんな言葉が聞こえて来そうですよね。
簡単に言うならば、文明とは物質主体であり、文化とは精神主体ですよね。
私の感覚では、もう一つの解釈が有って、自然との調和が文化、自然破壊が文明だと思ってます。そう、特に日本の文化は、自然との調和の中で育まれたものが殆どですよね。
例えば、漆塗り。これは、漆の木の樹液で物をコーティングするんですが、漆塗りの器や飾りの歴史は、有史以前から受け継がれてきているという事をご存知でしょうか。そう、旧石器時代から既に漆塗りが始まっていた。信じられない人もいるかも知れません。しかし、国内の旧石器時代遺跡からは漆塗りの土器や装飾品が見つかっているのです。
そして、漆の樹液を取るために着けたと思われる掻き傷のついた木片なんかも見つかっているらしいです。
本来、旧石器時代というのは、狩猟民族による貧しい生活文化であったというのが、西洋からアジアの考古学の常識であったのですが、青森県の三内丸山遺跡が発掘されてから、特に日本の旧石器時代というのは世界の常識を覆すものだったようです。
実際西欧では、旧石器時代の集落など発掘されてはいないのですが、三内丸山遺跡に於いては、約一万数千年の間、旧石器文化を継続させており、世界最古の土器も出土しているそうです。この一万数千年の間にこの遺跡では、王の存在も認められていないようです。
つまり、相互扶助や共存の意識が確立されており、また自然との共存の意識も高かったと、世界中の考古学者が驚きの声を上げています。
現代社会に目を向けると、工場排水による河川の汚染、スモッグによる大気汚染、森林伐採による自然破壊など、地球との共存ではなく地球という美しい星を破壊しようとしているとしか思えない状況です。
そして、文明に毒された人々は、自分さえ良ければそれでいい。人の事など構っていられるか、とでも言いたげな人間の集まりになってきたようです。
我が国は、折角多様な文化の花を開かせ、自然との調和、自然との共存をするにはどうしたらよいかを学んできたはずなのに、いつの間にか文明に圧され、精神を病み大きなストレスに国自体が潰されようとしています。
最近では少し数が減ってきているようですが、一年間の自殺者数がそれでも二万人以上の状態を続けているのを皆さんはご存知でしょうか?
この十年間だけでも二十万人以上の人が自らの命を絶っているのです。何故こんなにも多くの命が、全うすることなく途中で失われて行かなくてはならないのか。そこには確かに経済的な破綻からくる絶望感が有るのかも知れません。
はたまた、あっけらかんと勝手に自分の命を削ってしまったのだから仕方ないという人もいるかも知れません。しかし、この様に思う人は、他人の事まで面倒見切れないという心にゆとりの無い人たち。即ち文明の虜になってしまい、文化の素養を亡くしてしまった人たちなのではないかと、私は思っています。
文化とは個の力では成し遂げられないものです。そこには必ず周囲の人との相互扶助的な協力関係が無くては成り立ちません。人と人、人と自然というようにこの自然界と人間との繋がりから生まれるのが、真の文化だからです。
これは人と自然を分断し、自然を破壊する行為である文明の中では成り立たないものだと私は思っています。
同じマンションに住みながら、隣の人がどんな人なのか会ったことも無い。いや、知ろうとも思わない。こんな状態で、周囲の人との相互扶助なんて有り得るはずがない。
というよりも、人とのコミュニケーションを取ること自体がまどろっこしい。こんな風に思った人が居るならば、その人は完全なる文明依存症であると僕は思っています。
さあ、自然の中に飛び出してみませんか。自然界は美しい世界です。そして有機の世界なのです。私達人間はシリコン製ではありません。れっきとした有機の存在です。即ち自然界の有機の存在と私たち人間の有機の存在が融合したとき、心が洗われ、そして新たな繋がりの中で美しい文化を生み出すことができるのではないでしょうか。
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