らしさ

 最近の人たちからは、『らしさ』が無くなってきているように思います。男らしさ、女らしさ、そして人間らしさ。大人らしさ、子供らしさ、そして日本人らしさ。


 その、『らしさ』が、どうも最近失われていると思うんですよね。


 もし、口論をしている時に女性が「おい、ちゃんと聞いてるのかよって言ってるんだよ。なにか答えてみろよ!」なんて凄んだとしたら、私は恐らくこの女性から知性の欠片も感じないでしょうし、まともな教育を受けてこなかったんだろうと憐れみさえ感じます。ま、昔風に言うならば、『百年の恋も冷める』ってところでしょうか。


「だけど、彼女にだって良いところはあるんですよ」って擁護する発言をする人もいるかも知れませんね。確かに悪いところしかない人間など存在しません。しかし、私の意識としては、人を判断するときに『らしさ』を基準としているケースが多いのは事実だと思います。


 例え周りからは女らしくないと言われても、それは、さばけた性格で異性を感じさせないというだけで、人間的に魅力がないというわけではありません。そう、私がここで問題にしているのは、男としてとか女としてと言う前に、人間としてどうなんですか、ということです。


 例えば、匿名性の高いサイトでは、他人をこき下ろすコメントが多々見られます。時には犯罪に近い行為を仄めかす書き込みも……。


 二年ほど前ですか……。


 STAP細胞の発見をしたうら若き女性がマスコミやインターネットで捏造と騒がれ、博士号をはく奪され科学者としての地位を失いました。その後、ドイツの名門大学の研究者が、この女性の示したレシピとプロトコルとは違った形ではありますが、STAP現象を確認したとの論文を発表しました。


 たしか、このバッシングの先頭に立っていた女性記者はこの問題をテーマにした書籍を出版し、大矢壮一賞を採っていますよね。しかし、何故、この論文が思いっきり表ざたになったのでしょう。何となく裏に何かが蠢いているような気がします。


 それはさておいて、何故、今、この話題を表に出したのか。それは、この問題の中に悪い意味での『日本人らしさ』があるような気がしたからです。それは『出る杭は打たれる』そして、『村八分』の構造です。


 どのような形でマスコミの一記者が、STAP細胞の捏造まで辿り着いたのか。そして、この記者が彼女が捏造をしているとした科学的根拠は果たしてあったのか。恐らくこの記者一人では捏造と決めつける根拠に辿り着くのは不可能だったでしょうね。つまりそこには彼女を貶めるための協力者が居たと考えるのが妥当です。


 そして、彼女は見事なほどにマスコミとネット民によって村八分どころか国八部にされてしまった。


 しかし、ドイツの名門大学で彼女の論文の実証試験が行われ、プロトコルは違うにしろSTAP現象の確認がされたということは……。もしかしたら反撃も有り得るかも知れませんね。今頃彼女を追い落した人たちは戦々恐々としてるのではないでしょうか。


 このように『らしさ』を国民性という見方で見ていくと、時には醜い部分が見えてくることもあります。でも、所謂、良い方の見方で『らしさ』を追いかけるならば、そこには『謙譲の美徳』であったり、『強きをくじき弱きを助ける』姿であったり、お互いに労わり合い助け合う相互扶助の精神であったりするわけです。


 世界中の人々は大震災の時の食事が配給されるとき、みんなが一列に並んでお年寄りや子供を先に並ばせる姿を見て感動しました。大震災や大災害がこの国を襲った時、世界中の人々が感心するのは秩序を失わず行動する姿だそうです。他の国ならば火事場泥棒や強奪が当たり前のように発生するのに、日本人はその様な時こそ秩序を守る。そのような姿の中に外国の人々は『日本人らしさ』を見ているようです。


 私自身、この様な『日本人らしさ』を失わないように生活していきたいものです。

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