第10話

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 結果から見れば、わたしがそのクジラを甘く見ていたということであった。

 わたしは墓地の地面に座り込みながら、この数分のことを振り返った。

 クジラはゆっくりとした速度でわたしに体当たりをしながら、わたしの体の中に消えて行った。吸い込まれるかのように。

 消えながらとはいえクジラの巨大な質量を一身に受けたわたしは、お墓に植えられた木にぶつかるまで体が押しのけられた。吹っ飛んで、木にぶつかって止まったと言い換えてもいい。

 ある程度は覚悟して歯を食いしばっていたし、クジラの質量をそのまま受けたのではなくあくまでわたしの中に吸収されながらではあったので、全身複雑骨折なんて事態ではなさそうなのが幸いだった。それでも木にぶつかった背中は痣になっているだろうし、着地の時に軽く捻挫をしたかもしれない。

 だが代償と言うべきか、クジラの姿は靄も含めて消え去っていた。

 街灯に照らされたわたしにはちゃんと影があった。

 つまりわたしはクジラを甘く見ていたけれど、事件は無事に解決を迎えたと言っていいだろう。もっとも、警察に説明するつもりはないので満天町で起きた謎の街路樹倒壊は迷宮入りするだろうけれど。

 あのクジラは何だったのか。

 事件の最後を締めくくるのはその疑問だった。

 答えを教えてくれる人はいないので正解は分からないが、わたしなりの仮説はある。怨念の満天水族館の残滓――わたしが置き忘れた想いがあの場所にあった。

 わたしが一人で満天水族館を訪れたときにそれが反応し、実体となった。

 影を媒介としたのは、きっとわたしの中に光と影という意識があり、影こそがわたしの嘘の象徴であると無意識のうちに思い込んでいたからに違いない。わたしなら、そう考えていてもおかしくない。

 わたしの聞いた声、それこそが満天水族館の残滓の証明だ。わたしの後悔が声になって現れた。自分に嘘をついていたから気づかなかった想いがずっと後を引いていたのだろう。


「情けない」


 土をはらいながら、わたしは立ち上がる。怪我をしたとはっきり分かるところ以外も含めて、全身に痛みがあった。


「真里、ありがとう」


 きっとどこかで、あんたに責めて欲しかったのかもしれない。

 あんたがわたしに怒ってないことが、分かってしまうから。あんたは最期に、人の優しさそのものになっていたのだから。

 なんて、どっちも真弓から聞いた話だけど。


「ありがとう」


 何度口にしたって、決して届くことはない。真里はもう死んでいる。だから、これは遺された者たちの自己満足だ。

 でも、それでいい。

 そんな思いに打ちひしがれない方がきっと、嘘だ。

 まったく、今日は四月一日だったことを思い出してしまった。エイプリルフールに本音を吐露するなんて、冗談にもなりやしない。

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