第9話

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 とあるお寺に隣接した墓地。すっかり暗くなっていたが、わたしにとってここに来るのは必要なことだった。

 真弓は自分の両親が真里をいなかったことにしたと言っていたがお墓を作っていなかったことから、真弓の見た両親の姿だけが真実ではないことを示していた。だから真弓から、提案したのだと言う。

 しばらくして、わたしたちも墓参りに行った。青い薔薇を持って。

 姫乃には明日また会おうと告げ、別れていた。明日はきっと、ただ遊びに行くだけになると思うと言い残して。あいつは察してくれたようで、爽やかな笑顔で返してくれた。

 夜といっても都内では街灯も明るく、視界には困らなかった。いくつも並んだ墓石の中から、たった一つの名前を探す。

 ――中延真里。

 墓石に刻まれた名前を見るだけで、こみ上げて来るものがある。この墓地には大勢が静かな眠りについているだろうが、真里は間違いなく、その中で若い方に入る。若過ぎる。

 わたしは青い薔薇を一本、お墓の横に立てた。真里にはこの花が似合う。わたしたちの誰もが、自然とそう思っていた。


「さあ、出て来て」


 少し間を開けてから、わたしは自分の頭上に向かって声をかけた。

 声に呼応して、靄がかった影が姿を現した。この時点でわたしの予想が当たっていたと言える。

 わたしは今、真里への罪悪感を覚えている。あのやるせなさを思い出している。

 影は徐々に形を作り出し、クジラの形に変わっていった。


「考えれば当たり前のこと。砂夜が生み出したものなんだから、砂夜が助けようと思えば消えるのは当たり前だよね」


 満天水族館の中で、クジラの標的になったであろう人たちを助けようとした時、わたしはクジラにいなくなるようにも願っていたのだ。それは指示でもあるから、従うのは当たり前だ。

 反対に、繁華街で現れたクジラ。あれはわたしが見ていなかったから制御を失い、進路にあった物を破壊した。方向で言えば、制服を着てはしゃいでいる連中がいたのと同じ方向だったことを見落としていた。

 クジラは何も語ることなく、ただその巨大な頭をわたしに向けていた。静かな静かな、黒い雲のように。

 ここからは、わたしの独白だ。


「砂夜は、嘘をついてた。真里にありがとうって伝えられなかったことを自分への罰だって割り切って、気にしないようにしていたんだ。そう決めつけることで、砂夜は楽になろうとした」


 言葉にしてしまえば、容易く受け入れられることも多い。そういうことだ。

 悩みがある時人に電話したり、ネットの掲示板に書き込んだり、友達にメッセージを送るのは全て、正体不明の悩みと向き合いたくないからだ。言語化することで悩みの実態を把握し、向き合うことができる。

 大抵の場合は、一人で悩んだ後で行動に移す。そういう時人は悩んでいることに気付くまでにまず時間がかかるからだ。

 だがわたしはどうだ。

 決して叶うことのない願いだからこそ、正体不明のもやもやと向き合うことなく、悩むことをしなかった。これは罰だと言い切って、実は本気で向き合ってはこなかったのだ。

 わたしの抱えた、様々な後悔に対して失礼だった。

 自分が素直じゃないことなんて、自分が一番よく知っている。自分に対してすら、正直でいられなかったのだから。


「ずっと、恐かったんだ」


 わたしがのうのうと生きていくのが。

 満天水族館において様々な責任を抱えているわたしが、幸せに生きていくことが。

 父の罪を糾弾することなく、過去として割り切って。

 五年前、真里を深海魚ブースに誘ったのはわたしであるにもかかわらず、その罪を償うこともせず。

 真弓や姫乃、未来と肩を並べて生きていきたいから。


「砂夜は反省している――そういうことを言葉にして示さなきゃ、嫌われる気がして、恐かった」


 だって、わたしは他の三人とは違う。

 わたしが真里に深海魚ブースを見せようとしなかったら、今真里は中学三年生として、高校生になった姉の後姿に人並みの憧れを持つことができたのだ。


「わたしも来年は高校生だなって、言う事ができたんだ。姉と同じ高校に行きたいなーって、悩むこともできたんだ」


 その道を断った原因はわたしにないなんて、口が裂けても言えない。

 想像し得るいくつもの可能性を否定して、わたしは後悔するべきだったのだ。

 わたしを受け入れてくれた真弓の笑顔を見る度に、遣り切れない思いにうち震えなければならなかった。

 それを繰り返して少しずつ、乗り越えていくべきだった。

 裏ワザを使ったようなものだ。

 真里の気持ちなどまるで無視して、勝手に罰に置き換えてしまったのだから。

 これがわたしがわたしについた――嘘だ。


「砂夜は本当はずっと、あんたに謝りたかった!」


 何もいない方向に向かって、わたしはそう叫んでいた。

 当たり前だ。

 真里はもう、死んでいる。怨念の満天水族館も存在しない。真里の思念も残ってはいない。


「砂夜ばっかり幸せになって――ごめんなさい」


 頭を、下げていた。

 あのクジラが少女や制服を着た連中を狙ったのは、自分に嘘をついていることを認めたくなかったからだ。破壊して飲み込んでしまえば、見なくてすむから。どこまでもわたしは素直じゃない。

 彼らを見ることで真里のことを思い出し、罪悪感も思い出してしまう。わたしはそれが耐えきれないから割り切ったのに、徹底することはできなかった。

 嘘をつき続けるのはもう、限界だった。

 なんて、弱さなのだろう。弱さがあることを受け入れられない、みじめな弱さ。

 去年の夏、わたしの闇で深海魚ブースが染まったとき、真里の心がわたしを救ってくれた。あの時からわたしは、一歩だって成長していない。

 新生活を目前に控えることで、いよいよ逃げ場がなくなった。

 こんなことをしなくたって、みんなは笑って迎えてくれるはずだ。わたしは知っている。今日だって、あいつらは助けてくれようとした。

 でもこのままでは、わたしはきっといつか真里の笑顔まで忘れてしまう。


「砂夜は、悲哀も後悔も罪悪感も全て抱えたまま生きるから。あんたの過ごしたかった姉との――真弓とのこれからを認めて欲しい」


 クジラは巨大な輪郭をはっきりと描き出していた。薄い煙のような靄が、周囲にうごめいている。闇夜に浮かぶその姿は言いようもない迫力があった。

 あれが、わたしがわたしにつき続けてきた嘘の大きさだ。

 もう、逃げない。


「砂夜はあんたを受け止める」


 あんた、なんて。それはわたしそのものであるのに。わたしの影であるのに。

 わたしはクジラの真下に両手両足を広げて仁王立ちをした。クジラはゆっくりとまとった靄をゆらめかせ、鼻先をわたしに向けた。

 そしてクジラはわたしに向かい、ゆっくりと動き始めた。

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