第3話
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今日、わたしが満天水族館を一人で訪れたきっかけは友人の未来からとある噂を聞いたことであった。
「あのな、満天水族館のことなんやけど……」
春休みのある日、ライブハウスの帰りに歯に物が挟まったような口調で、未来が切り出して来たのだ。湊未来は今日もふわっとした甘い服で、身長は相変わらず伸びていない。
満天水族館の話となると、わたしは身構えずにはいられなかった。
「何?」
「また変な噂が流れててな。満天水族館に行くと、小さな女の子の声がする――って」
「くだらない。去年都市伝説を話してた連中が、何かのきっかけで思い出してあることないこと言いふらしてるだけじゃないの?」
「それなら、ええんやけど。うーん、よくはないんかなぁ。ただ、去年の時もそんな噂はなかったやろ? 女の子の声を聞いたのは、まゆちゃんだけやったと思うんよ」
「女の子の声がするなんて、怪談じゃ一番オーソドックスでしょ。噂が広まれば、火がなくっても立つ煙」
「うーん、砂夜ちゃんの言う通りならなぁ。でもうちは結局まだよく分かってないんやけど、『もう一つの満天水族館』っていうのは完全に消えたんよね?」
未来は手で三角形を作って、首をかしげた。未来のよくやる癖だ。何か考えているかどうかは、手を見れば分かるのだ。
この場合、事が落ち着いてからわたしたちが未来に話した事実を思い出しているのだろう。そう簡単に信じて受け入れられることではないから、記憶も曖昧なはずだ。未来はただの被害者だったのだから。
「間違いない。まあ、砂夜は大事なところで病院のベッドだったんだけど。あいつがそう言ってたから間違いはない。今日まで何も起きていないしね」
わたしたちは見回りと息抜きを兼ねて、定期的に満天水族館を訪れるようにしていた。客として、純粋に。期間限定の特別展もあるから、飽きはしない。
あの事件あってから最初に行った時の特別展示が『猛毒をもつ生き物』だったのはさすがに皮肉かと思ったけれど。
と言っても年が変わってから満天水族館には来ていなかった。あいつらの勉強もピークの時期だったからだ。もっとも、昨年の秋にはすでに満天水族館の噂なんて廃れていたから心配はないはずだ。
わたしの言葉に納得したようで、未来は手の三角形を解き頷いた。
「分からんけど、分かったよ」
「何が?」
「心配、いらなそうやね。噂ってよく分からんときに流れたりするし……。さすがに何かしらのきっかけがないと噂は立たんやろうけど……もしかしたらテレビとかで都市伝説の番組を見た人がふと思い出したのかもしれんなぁ」
「だとしたら余計にくだらないね」
そこまで話し終えた頃にはもう駅に着いていた。泊まって行くか尋ねたが、この日は未来の母親が帰ってくる日らしく、わたしたちはそこで別れた。
この時にした会話がどうにも胸につっかえていて、一人で満天水族館に赴くことに決めたのだ。といっても新学年の始まる直前――4月1日まで悶々と渋っていたのだけれど。
未来が一緒に行こうと言わなかったのは、あるいはわたしのそわそわした様子を察していたからこそあえて言い出せなかったのかもしれない。
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