Take-43 映画『チャイナタウン(Chinatown)』(1974)は面白かったのか?

 と呼ばれる200字詰め原稿用紙があります。


 もはや「原稿用紙」ってだけでなんとなく懐かしい雰囲気なんですが、むかし脚本を学んでいる時、そういえばコレ一面にでっかく一言──『バカ』──と書かれて突っ返されたなあ、なんて記憶がふつふつと甦ります。


 注意でも訂正点でもなく、一言『バカ』。


 ああ、なんと簡潔かつ的確な言葉だらう。たった一言で相手の心が手に取るようにわかる。完全拒否。徹底的拒絶。よもやひょっとすると女性が時々使う『もう~、やぁだ……バ・カ♡』の、あの色っぽい『バカ』なのではないかと疑ってもみたがこの力強い『バカ』はどう考えてみてもあの『バカ』ではない。ここまでくると悔しさも悲しさも遥か後方へと霞み、そ~りゃないよふ~じこちゃ~ん、と、ひとり呟くことくらいしかできないのであります。


 さて、これが240枚で二時間ドラマないし映画の脚本が出来上がり。44000文字くらいですかね。これを少ないと思うか多いと思うかは人それぞれ。


 とはいえ大半は台詞です。あとはト書きと言われる「ペイザンヌは部屋から出た。走り去る車を見送るペイザンヌ。──翌日、〇〇会社」なんて簡単な状況描写があるだけ。200字なんてあっさり埋まっちゃいます。


「こう思った」トカ「~のことを思い出していた」なんてのは小説と違ってNG。比喩などはもっての他、よほどでない限りは使いません。


 内面描写なら「ペイザンヌ、横目で時計を見る。額に汗」。なんてそれだけ。味もソッケもない。音読すれば、まんまTVの副音声で石丸博也さん(ジャッキー・チェンの声優さんね)がやってたアレになっちゃう。過去形はあまり使われないのかな。


「おまさん、何が言いたいねん? (*_*)──」という声がそろそろ聞こえてきそうですが、まあ後程、繋がってくるんじゃ……ないかな。そう、こういう時にこそ「プロット」が役にたつのだ。え~と、コレなんて書いたんだっけな?


 映画『チャイナタウン』を久しぶりに観たのである。久々に玄人好みのこの作品を真面目に考察するのである。


 レンタルするのがこれで三度目。とにかくこの映画、脚本の指南書なんかにやたら出てくるのね。「手本にすべきシナリオ」である──なんつって。まあそう言われた日にゃ避けて通るわけにもいかないわけで。と、最初はそんな動機でした。


 ガ、しかし。


 映画『第三の男』の悲劇が再び(※映画『第三の男』は面白かったのか? 参照)

──(´Д`)ぐえ


 微妙~に難解なんすよ。けっこう、ややこしいのね。この御時勢『チャイナタウン』てどう思われてんだろとレビューものぞいてみましたがやっぱり感想が真っ二つ。うん、すっげーわかる気がする。


 ただ、確実に言えるのはひとつ。『難解であろうが複雑であろうが、ジャック・ニコルソンは見てて楽しい』。いやこれマジだから。


 あの方ってハリウッドの中でも格別に不思議な表情する人ですやん? いろんな出演作があるけど本作『チャイナタウン』のニコちゃんは、眺めてるだけでも飽きない。そういや山田孝之やディカプリオが顔真似してたけど、本作の若きニコちゃんはジム・キャリーなんかの顔に見えたりもする。


 楽しいって言っても……なんていうんですかね? 動物的な意味で楽しい──


 そう、どっちかっていうと動物をずっと追って見ていたくなるアレに近い(失礼だな君は)。


 蛇のようにチロチロと舌を出しながらジョークを言った後「ケッヒャヒャヒャ」と下品に笑うアレはまさに『バットマン』のジョーカーそのままだし──


 鼻を切られてデッカイ絆創膏貼ってる仏頂面はイグアナもしくはオオトカゲみたいだし(ひでぇ)──


 ケロッと嘘ついてるくせに「いぢめる?」みたいな顔して目をクリクリさせる姿はゾウアザラシのようであり、はたまた「あらいぐまラスカル」のようでもあったり(怒られるぞ)──



 初見の時はそれだけでもじゅうぶん楽しめた感があったんだけど、脚本がいいとか悪いとかそんな肝心なところはチンプンカンプン。結局そのまま放置して、はや幾年。今回三度目の挑戦となったわけであります。が、ここにきて思わぬ変化が。


 あれ? 『チャイナタウン』面白いんじゃね、と。ついにきたかおれのエボリューション。遅かったじゃないかレボリューション。さようならフラストレーション、そしてバとカの二文字。


 私がよく目を通す映画ブロガーさんなどもこの映画については「三回は見てください」と確かに書いておられました。ただ、三回まわってようやく……てぇのがハタシテ本当にいいホンなのかい兄さん? 一発でわかるのがいいホンってやつじゃないのかい兄さん? と詰め寄りたくもなるところ。


 が、逆にこうも思いました。


 書く側にもよく言われることでしょうが──「わかりやすく書こう」という風潮。はたしてそれがすべてか……というと疑問もあります。もちろん読者対象は大なり小なり存在するでしょうが。


 ただそれだけではこちらが「受動オンリー」なのも確か。あたりまえですが映画なんて流してりゃ勝手に終わりますからね。そもそも眉間に皺を寄せて見るもんでもない。



 でも『大統領の陰謀(1976)』や『マネー・ショート/華麗なる大逆転(2015)』なんてちょっとした社会派映画になるとそうもいかない。少しこちらが気負わないと完全に置いてかれる映画もあるっちゃある。なんなら前倒しで調べていかなきゃならい。なぜにそこまでして見なきゃなんないんだと思う反面、バーベキューやるんだって下準備はいるだろうがと囁く声もある。



 たとえば本作の舞台でもある80年代後半のロスの”チャイナタウン“。どんな感じかもよく知らないや。そもそも中国人たちは何が哀しくてはるばる海を渡り、あんなとこで町作ってますのん? 


──少々そのあたりに疑問を持たないとラストシーンの『忘れろ、ここはチャイナタウンだ』なんて台詞もなんだかボヤけてしまう。ピンとこない。


 かといってそんなことを劇中で『だらだら説明』されても興醒めですからね。まあ邦画なんかではよく見かけたりしますが。



 先ほど言いかけた冒頭の“中国人ジョーク”にしても「なんでこんな場面に尺を取ってるんやろ?」と思いましたが──ハハァあのジョークの内容もちょっとした状況説明なんやな、と。


『今でもチャイナタウンの洗濯屋どもはツバで洗ってるのか?』そんな一見なんでもないニコちゃんの台詞にも背景が凝縮されてたり(初期のチャイナタウンはクリーニング屋で発展したらしいです)──



 そんな背景バックボーンの表現も、きちんと調べて太いわりには雰囲気で匂わす程度。いわゆる10調べて9捨てろって言葉にピタリ。


 チャイナタウンという町は怠惰である、だらだらと適当である、警察だって然りである、それが日常なのである、そうでなければ生きていけないのである→→→なぜか? 


──と繋がってくる。


 この町では大きなものには巻かれて生きねばならない、さもなくば死ねと。



『キジも鳴かずば撃たれまいに』──英国では『好奇心は猫を殺す』というらしいですがそれに近いんでしょうかね。それがこの映画の主人公であり、本作のキモ。余計な詮索をしなければ誰かを愛することもなかった──けれど死なせることもまたなかったのだぞ。そんなトコロ?


 てゆーか、そもそもこの主人公には「俺が不正を暴いてやるぜ!」なんて妙な正義感はまったくないんですよね。そこがまたいい。



 単に主人公は自分を利用しハメられたことがムカついただけで(笑)基本そのくりかえし。そのうち今度はあの有名な鼻を切られるシーンで「ちっきしょー、おりゃあ絶対引っ込まねえぞ、見てやがれ!」みたいな。

 (^_^;)


 何度見てもびっくりするというか、本当に切られてるように見えますよねアレ。鼻の穴にナイフの先を突っ込まれて脅しの台詞がある──そして『ピッ』とやられる。


 普通なら切る前後で編集カットが入ったりするもんだけど、このシーンはそれがないんですよね。だからビクッとなるんだろうなと。


 あのチンピラを演じてるのが監督ロマン・ポランスキーなのは有名ですが、ナイフはどうやら先っぽだけが仕込みらしいです。かなり慎重な扱いを要する蝶番付きの仕掛けナイフらしく、動く方向を間違えると本当に切れちゃう。


 監督はいちいち説明するのがだんだん面倒くさくなって「本当に切った」と吹聴してたらしいですが(笑)


 まあ、そんな感情がエスカレートしていくだけの道中で、勝手に“謎”がくっついてきちゃう。そういや草むら歩いてるといつの間にかズボンにへばりついてる種子がありましたやね。うちらはそれこそ“バカ”って呼んでましたがこっちでは“ひっつき虫”ってのかな? あんな感じ。


 やめときゃいいのに雪玉を転がしながら坂道を登ってっちゃう。途中雑草みたいに目立たない伏線を踏み潰しながら──右肩上がりに。



 なんで最初見たときあんな難解に思えたんだろ? とも考えましたがアレなんすよね……この映画、皆が皆、真顔で嘘ばっかついてるんですよ!(笑)しれ~っと。あと、皆、やたら憶測で喋るもんだから見てるこっちも話半分くらいで聞いてないとわけわかんなくなっちゃう。逆に言えば、観客こっちも登場人物の顔色をうかがいながらしっかり聞き逃さないようにしなきゃいけない。推理しなきゃいけない。小説なら読み返せるんだけど──


「こいつ、こう言ってるけど嘘だろ?」トカ、


「何かコイツのこの言い方、やけに引っ掛かるな」トカ。


 冒頭で述べましたシナリオ書く時のNG覚えてますかね(──繋がった(。´Д⊂)!)


 そう、脚本には「こう思った」トカ「~のことを思い出していた」なんてのは小説と違ってNG。


 これを無くして台詞オンリーにしちゃうと会話って実はとてもわかりづらいんですよね。日常会話も時々「……(´∀`;)??」てなったりしますもんね。


 でも、いかにそれを使わずに会話を成立させるか? てのが──「優れた」なのだろうなと。(あくまで「優れた小説」ではなく)


 まあペイザンヌごときがね、

 σ(o・ω・o)

 ンナこと言ってもね、

 σ(´・д・`)

 信憑性がないんでね、

 φ(・ε・` )


 今日アップする前、Twitterで偶然見かけた作家の森博嗣センセ(『すべてがFになる』など)の言葉に「あ、まさにコレだわ」と思ったのがありましたんでそれに便乗しようかと(笑)



【──日本の多くの小説は会話の魅力に欠けている、と思った。どうも説明的で、「わかりやすい話」しかしない。「え、何のことを言っているんだ?」という台詞が出てこない。会話はもっとわかりにくく、スリリングなものだ(森博嗣)】



 そういうことだ~、みんな、わかったか~?


 ヽ( ̄▽ ̄)ノ(おまえがドヤ顔すんな)


 ならば逆に下手な脚本とはなんぞや? ト考える。


 たぶん誰かに台詞で言わせちゃうんですよね。


○「おい、あいつはああ言ってるが、俺は嘘だと思うぜ。なぜなら──」トカ、


○「おまえ、まさかあの人を疑ってるのか?」

「口には出しちゃいないが俺はハナから怪しいと思ってるよ。信用できねえ野郎だ──」みたいに。


 そんな感じでリトマス試験用の登場人物がこれ見よがしに出てきたり、わかりやすくするための会話が横行してるのは今でもよく見かけます。たぶんこれって小説における地の文がないからつい言葉で言わせちゃうんですよね(笑)


『チャイナタウン』にはそういったあざとい台詞がほとんど見当たらない。そう、そもそもこの映画には『ワトソン』がいないんですよね。主人公に相方パートナーがいないから説明台詞もない──そのかわり、わかりづらい。


 ニコちゃんの変顔ばかり見とれて、ちょっと字幕をひとつふたつ読み逃すとあとあと混乱してきちゃう(実際ホントに読み逃して何度かプレビューしました・字幕なしでわかるようになりたいすね……笑)。


 案外気を抜けない映画であります。


 葉巻をくわえマティーニを片手に──そんな優雅でオトナな鑑賞ができるまであと二三回は観なきゃ……だめか?

 ..._〆(゜▽゜*)


では皆様、また次回に!




【本作からの枝分かれ映画、勝手に三選】


★『黄昏のチャイナタウン』(1990)

 ……『チャイナタウン』の正式続編で10年後1948年のロスが舞台。原題は『The Two Jakes』。脚本は前作と同じくロバート・タウンですが監督はジャック・ニコルソン自らが務めております。が、どうにもパッとせず。


 脚本のタウンによると、もともと三部作の構想があったらしいので、ひょっとすればパート3が制作される……ことも?


『ゴースト・ライター(2010)』など観るとまだまだ現役、そしてあの雰囲気をがっつり醸し出せそうなロマン・ポランスキーですので、ぜひとも監督を彼に戻して“皆さんが元気なうちに”再リベンジしてみてほしいところですやね。


★『黄金』(1948)

 ……本作で巨悪の貫禄をたっぷり見せつけたジョン・ヒューストンの監督作品。

 舞台はメキシコ、ゴールドラッシュの時代。一攫千金を狙う三人の男たちの欲望にまみれた物語。

 私、実はコレTVの深夜劇場で「途中から」見たっきりなんですよね。金塊をゲットした後に三人が互いに疑心暗鬼する醜態に思わずのめりこんじゃって──。

 前半見てないのでできればもう一度頭から観たいな。

(;´д`)

 主演はボギーことハンフリー・ボガード。あんた~の時代は~良かった~。


 このカリフォルニア周辺のゴールドラッシュの際、我も我もと渡ってきた中国人が残留してできた町こそがチャイナタウンだそうです。

 後にできるラスベガスといい、やはり金の集まるところに人間ってのは集まってくんだなと……(^_^;)


★『バグジー』(1991)

 ……さて、我が国でも着々とカジノ計画が進行中でありますが、本作は砂漠の中継地点でしかなかったラスベガスに巨大カジノホテルをぶっ建ててしまった実在の人物ベンジャミン・シーゲルをモデルとしたギャング映画。舞台は1945年。


『チャイナタウン』の舞台が1937年なんで本作で水不足に喘いでいたあの周辺からカジノが生まれてしまうというのもすごい話ですやね。いっそのこと日本も鳥取砂丘のど真ん中辺りに建設してみては……?


 本作でジョン・ヒューストンが演じた黒幕ノア・クロノス。カジノ建設の裏側には絶対あの人も絡んでいたとわしゃは思う、うん、絶対。(クロノスは実在の人物ではございません──)

 監督は『レインマン』でアカデミー賞を獲得のバリー・レヴィンソン。

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