第7話 鳴らないスマホ
「おおう、悪ィ悪ィ。すっかり待たせちまったなぁ」
数十分後、現れたのは意外と小柄な紋付袴姿の初老の男性だった。髪の毛はまだ黒々と艶があり、涼しげな目つきは一見優しげで、僕たちの前にどっこいしょと座る。少しやんちゃな言葉使いと服装だけど、少し歳を重ねたチョイ悪オヤジのように思えた。
が、後ろに先ほどのガタイのいい黒服が控えているところを見ると、やはりこの人が親分さんなのだろう。
「いやー、この歳になると落し物や忘れ物が酷くていけねぇ。ありがとよ、お前さん達。恩にきるぜ」
親分は右手で僕を、左手で彼女の頭をわしわしと撫でる。撫でるというより、まるで頭を洗う時の様な力強い動きだなと感じた。カスミを見ると、やはり僕と同じように強張った表情を浮かべていた。無理もない、これはまさに嵐の前の静けさに過ぎないのだから。
「ところでよ」
不意に手が止まった。僕たちもついに来たかと緊張で体が一瞬ビクっと震える。
「このスマホ、どこで手に入れたか、素直に教えてくれや」
見た目からは想像出来ない物凄い力で、頭を畳に押させつけられた。
「イタタタタッ! そこの、道端に、落ちてたんですよっ」
僕は慌てて弁明する。
「本当かい、兄ちゃん? 本当にその言葉、信じていいんかい? うちの若いもんが言うには、お前ら、このスマホを巡って道端でひと悶着起こしてたらしいじゃねぇか」
僕をぎろりと睨みつける目は、まさに命のやり取りを繰り返してきた事を彷彿とさせる鋭さだった。
「本当ですって。信じてください。僕たち、中身も見てないし、何も知らないんですってば」
僕の必死な訴えが通じたのか、親分はふぅと息をつくと、僕たちを解放してくれた。
「そうか。ならひとつ、兄ちゃん達には悪ィが試させてもらうとするか」
そして袖から見慣れたスマホを取り出す。件のウサ耳カバーのついたスマートフォンだ。
「実はな、このスマホ、落としたよりも、盗まれたって可能性のほうが高いんじゃねぇかと思っててよ。こないなもん、落としたら音もするし、何よりお供の誰かが気付くからなぁ。それよりもワシに気付かれずスリやがったヤツがおるんちゃうかって睨む方が自然だと思わねぇかい?」
スッと親分の後ろにいた黒服が、僕たちの背後に回ってくる。
逃げ道を塞がれたようで、なんだかとても嫌な感じだ。
「ワシは機械が苦手でな。こいつもよう分からん。が、履歴を見れば勝手に使われたかどうかぐらいは分かる。で、戻ってきたこいつを調べてみれば、多数の不在着信の中に一つだけ、ワシの知らん番号からの着信に出ている通話履歴が残ってあってなぁ。コレはなんだって疑問に感じるだろ、普通?」
親分の目がスーと細くなる。今なら蛇に睨まれる蛙の気持ちが分かった。
なんせ僕は声ひとつ出すことすら出来ない。
ウサ耳スマホに残っていた通話履歴、思い当たる節はそう、あの路地裏での通話しかなかった。
「もちろん、道端に落ちていたスマホが鳴っていて、偶然そこを通りかかった誰かが出たという可能性も考えられる。が、しかし、昨夜電話させた舎弟たちからの呼び出しには一切応じず、どこぞの誰かがかけてきた電話にだけ応じるってのは、これ、さすがにおかしいよなぁ? だったらどんな事が考えられると思うよ?」
親分の質問に僕たちは目を合わせる。カスミが頷いたので、僕は恐る恐る期待される答えを言ってみた。
「つまり、何かの理由があって、僕たちがそのスマホで連絡を取り合った。そう思われているんですか?」
「ほぉ、素直ないい答えじゃねぇか。いいぞ、その通りだよ。まぁ、さらに付け加えるなら、そこの女!」
いきなり自分に話題を振られて、カスミはビクっと体を震わせた。
「あんた、昨日、駅前でパチンコ屋のティッシュ配ってたなぁ? ああ、覚えてるさぁ。あんたからティッシュを貰った事。それから、そのあたりからコイツがなくなった事も、な」
「わ、わたし、盗んでないです。信じてください。お願いします」
必死に無罪を訴えるカスミを、親分はつまらないものを見るような目で見つめる。
「ふん。だったら二人ともさっさと携帯を出してみろや。今から通話履歴のある番号に電話をかけるからよ、お前達の携帯が鳴ったらジ・エンド、だ。おい、斉藤、やれ!」
斉藤と呼ばれた黒服の男が、座っていた僕たちを無理矢理立たせてボディチェックを始めた。
両手を上げされて、いかつい黒服男に上から順に体をパンパンと軽く叩かれる。ボディチェックなんて初めての経験な事もあって、緊張がハンパない。
やがてズボンの前ポケットに発見したスマホを取り出した斉藤がすくっと立ち上がり、僕に両手を下ろしていいと命じた。
斉藤の体で親分の姿が見えないまま、僕は両手を言われるがままに下ろし。
そしてようやくホッと一息ついた。
時間にしてほんとにわずかな時間だったけれど、僕にはとんでもなく長く感じられた。
が、しかし。
本当に長かったのは、カスミのボディーチェックの方だった。
とにかく色々なものが出てくる。
僕もスマホとは別に財布も取り出されたけれど、所持品はそれだけ。なのに、カスミは財布の他にも手帳だ、小さなポーチだ、信楽焼きのたぬきストラップだ、ぷくぷくデコシールだ、白の麻雀牌だ、かまぼこの板だと節操なく次々と出てくる。
てか、かまぼこの板ってまったくこいつは……。
「女の方は持ってないようですが……」
カスミのボディチェックはニ十分近く行われたものの、結局斉藤は携帯を見つけ出す事が出来なかった。
「おい、斉藤、おんどれは甘いなぁ。女は男よりも隠すところが一つ多いもんだ」
ところが、親分はニタニタ笑いながら、非情な事実を告げる。
カスミの顔から血の気が引いた。
「お、親分さん。お願いですから、カスミには手を出さないでやってください」
そんな様子に僕は損得を考えるよりも早く、言葉が出ていた。
「カスミのボディチェックをする以前に、親分さんが電話して全てが終わる事もあると思うんです。どうかお願いします!」
「どういう事だ、小僧? それはつまりお前のスマホが鳴るって言ってるのかい?」
親分がますます下卑た笑いを浮かべる。
「仕方のないヤツだ。まぁ、そいつが鳴った時は二人ともどうなるか、覚悟は出来てるようだ。だったら、その子を引ん剥くのも早いか遅いかってだけの話。それぐらいは願いを聞いてやるとするか」
斉藤が僕から取り出したスマホの電源やマナーモードなどを調べ、問題なしと判断したらしく畳の上に置いた。
親分がウサ耳スマホの操作に入ろうとする。
が、手を止めると斉藤にジロリと視線を飛ばした。
「おい、斉藤。おんどれもそれと同じスマホを持ってたはずだが、それもここへ出しな」
慌てて斉藤が胸ポケットに手を伸ばす。僕とカスミの表情が少し引き攣るのを、親分は見過ごさなかった。
「相手は手癖の悪いヤツだからなぁ。いつ、斉藤と自分達のをすり替えてもおかしくないからの」
そして改めて手元のウサ耳スマホを操作する。
僕たちはただその様子をじっと見つめ、祈るしかなかった。
「発信した……そろそろ、お、呼び出しに変わったな」
みんなの視線が自然とふたつのスマホに集まる。
が、にもかかわらず、僕のスマホは一切鳴ることも無く、それどころか斉藤のもまたピクリともしなかった。
「ッ! おい、ふざけるのもたいがいにしな! なんじゃこりゃ!? やっぱりその女の体に携帯を隠してやがるんじゃねぇか!」
親分が激昂する。でも、僕とカスミはまだひたすら祈っていた。
ここまでは上手くいった。後は本当に運のみだ。
「お前ら、何か言ったらどうやっ!」
「親分さん、静かにしてください。もうすぐすべてが明らかになりますから」
「な? どういう意味だ?」
「この二つのスマホが鳴らないとなれば、カスミが携帯を隠しているんじゃないかと疑うのは分かります。でも、今、親分さんがかけた電話に誰かが出たりしたら、どうなりますか?」
「そ、そりゃあ、その時は……な、なんだとっ!?」
親分が驚きの声を発して、思わずウサ耳スマホを落とす。
僕はすかさずそれを手に取り、電話に出た誰かに話しかけた。
「もしもし、どちら様ですか? できれば大きな声で言ってみてください」
「あ? いきなり大声で怒鳴ったかと思ったら、そっちから電話掛けておいてけったいなやっちゃなぁ。まぁ、ええわ。こちらはカツラ法律事務所のトウカイドウさんですよー。借金問題から、離婚相談。会社でのセクハラ・パワハラ、学校でのイジメ。他にも痴漢に間違えられてもーたーとか、暴力団に監禁されてまんねんって相談にも快く応じる、正義の法律事務所やでー」
電話口の向こうで、妙な関西弁の男がやる気のあるんだか無いんだか分からない声で話すのをその場にいるみんなが耳にした。
「他にも浮気調査やペット探しが得意な倉庫街の一流探偵とか、任務達成率九十九%を誇る女性エージェントまで格安で紹介しまっせー」
このまま話させておくとなんだか危ない気がしたので、僕は静かに通話を終了した。
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