第6話 絶体絶命
「オヤジが来るまで、ここまで待て」
黒服男に連れてこられたのは、下手したら百人ぐらいが宴会出来るんじゃないかという和室の大広間だった。
数分前。
「いえいえ、そんな落し物を拾ったお礼なんて要りませんよ」
「そうそう、お気持ちだけで十分デスヨー」
頑なにお礼の申し出を固辞する僕たちを「黙ってついて来い」の一言で黙らせた黒服男が鉄の門を開かせると、中には壮大な日本庭園が広がっていた。マツやヒノキ、ツバキやツツジといった常緑樹が品良く配置され、池の周りには春には見事な景観を作り出すであろうしだれ桜。その池にはこれまた見事な模様の錦鯉が何匹も優雅に泳いでいる。
池を跨ぐ橋を三つほど越えて辿り着いたのは、宇治平等院鳳凰堂もかくやと言わんばかりの純和風木造平屋建て。玄関はおろか、廊下にも塵一つ落ちておらず、おまけにとても静かだった。
だというのに僕たちときたら。
(ちょっと! なんで私を巻き込むかなぁ、キミは!?)
(だって仕方ないだろう。僕ひとりでこんな所に乗り込むなんて怖くて出来るかっ!)
(まったく。これはキミのテストなんだから。試験官の私まで巻き込むなんて、キミ、ろくな死に方しないよ?)
(それはこっちのセリフだぁぁぁ)
てな具合に、黒服に聞かれないような小声でやり合っていたのだった。
「なぁ、いつまでもいがみ合っていても仕方ないだろ。無事に切り抜けるため、お互いに協力しようじゃないか」
黒服が出て行き、大広間に残された僕たち。それでもしばらくはお互いに罵り合っていたものの、カスミの右手が僕の髪の毛をひっぱり、僕の左手が彼女のほっぺたをつねる状況になって、ようやく僕は建設的で前向きな方向へと路線を変更することにした。
「とりあえず、近所であのスマホを拾った事で押し通すから。口裏を合わせてくれよ」
でも、カスミは相変わらず僕の髪の毛をひっぱったままぶーくれている。
「何だか不満がありそうだけど……どうしたの?」
「……だよ」
ボソリと彼女が呟いた。
「はい? 聞こえないよ」
「『そんなの、ムリだよ』って言ったの!」
髪の毛を引っ張る力がさらに強くなった。
「イタイイタイ! 禿げるからやめれ。てか、なんだよムリって? 本当の事がバレたら殺されちゃうかもしれないんだぞ!」
「でも、そんなウソ、信じてくれるわけないよっ! もう、どうする事も出来ないよ。盗んだのがバレて私たち、殺されちゃうんだ……」
盗んだのはあんたで、僕は単に巻き込まれただけどなっと言い返してやりたかった。でも、髪の毛を引っ張る力が弱くなって、ついには手を離したカスミの様子に、僕は何も言えなくなっていた。
そう、その時になってようやく気付いたんだ。
カスミが小刻みに体を震わせている事を。
出会ってこの方ずっと余裕をかまし続け、さっきまでじゃれあうような喧嘩をしていた彼女。その唐突とも言える、想像もしてなかった弱い姿に、僕は動揺した。
自然とほっぺたをつねっていた手が離れる。と、彼女は両手で顔面を覆い、小さく嗚咽を漏らし始めた。
「……死にたくない……死にたくないよぅ」
時折聞こえる小さな呟き。僕はどうすればいいのかと、一度緩めてしまったら僕まで崩壊してしまいそうな感情の手綱をしっかりと握りながら思考を巡らせる。
はっきり言って、心のどこかでこんな状態でも大丈夫だとばかり思っていた。
カスミが、彼女なら何とかしてくれる。そう、僕の師匠面をして、実際僕よりも技術も、踏んでいる場数の数もずっと上の彼女なら、きっとどうにかしてくれると頼りきっていた。
極道相手に盗んだ携帯を返してこいと言われた時は驚いたし呆れもしたけど、その反面、極道を相手にしても躊躇しない彼女に少し憧れも抱いていた。
だけど今、僕の前で弱さを曝け出す彼女はやっぱり年相応の女の子で。
でも、だからと言って、その姿に幻滅するわけにもいかなかった。
僕が幻滅し、諦めてしまったら、もう本当にどうする事も出来ない。
カスミはただ、今は混乱しているだけなんだ。彼女が思い描いていたシナリオが崩れたから。
だったら僕が新たなシナリオを描くしかない。
そう、僕が突破口を開いてみせるんだ。
「大丈夫だよ、師匠」
僕は出来る限り優しく、小さく蹲る彼女を抱きしめた。
「ここは僕がなんとかするから。ちょっと深呼吸でもして落ち着こうよ」
カスミが両手で覆っていた顔を上げる。
目にいっぱい涙を溜めているのを見て「やるしかない」とさらに気合が入った。
でも。
「あ、ウソ泣きじゃなかったんだ?」
と、軽口が出てしまうのは僕の悪いクセだろう。
「マジ泣きで悪かったぬ。というより、キミ。なんとかするって言うんだったらコレ、どうにかしてよ?」
そして彼女はスーツの懐から二台のスマホを取り出す。
ひとつは紛れもなく僕のもの。でも、もう一台は一体誰のものなんだろう?
疑問符を頭上に浮かべる僕に、そっと彼女が耳元で囁く。
明かされた事態の深刻さに、今度は僕が泣きそうになった。
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