第8話:佐藤刑事は迷いたくない

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季節は5月。


まだ薄着だけで過ごすのは少しばかり心許ないこの時期に海を見に来る輩など到底いないだろう。


佐藤刑事は所々に細かなひび割れが入った防波堤の上に腰をおろしながら、人っ子ひとりいない特等席を独占していた。


時間が時間なだけに風も強くなっており、スーツを着ていてもやや肌寒いというあまり喜ばしい環境ではなかったがそれでも今の自分にはぴったりだと佐藤は思えた。


白熱した追いかけっこを繰り広げた後の冷たい風は佐藤の熱のこもった体を冷やすのには最適で、それは同時に自分の中にあるモヤモヤを吹き飛ばすのにも適しているような気がしたからだ。


どうして事件を解決したというのに胸中にモヤモヤとした気持ちが巡っているのかといわれればそれは少し前にあった出来事が原因だ。


いやこの場合は原因というよりは自己解釈の違いとなるのだろうか。


「………………」


佐藤は刑事らしからぬだらしのない格好をしながら目の前に広がる海を見つめる。


あまりにも広大なそれと自分のやるせない気持ちを天秤にかけるも、はなからつり合うわけもなく結局ただ口から深くため息を吐くだけに終わる。


「おーーーいっ!おっまわりさーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!」


そんなロウテンションな佐藤刑事のもとに騒がしい声と共に駆け寄ってくるのは先の事件の解決に尽力してくれた金髪少女であった。


自分とは真逆の態度にどうにも違和感を感じながら佐藤は駆け寄ってきた笑顔の彼女に言葉を返す。


「おう、お疲れ。事情聴取は終わったのか?」


「うん終わったー。でもでも事情聴取ってよりは終始褒められターンだったよ?事情聴取ってあんなに気分が良くなるものだったんだねー」


「まあ今回はお前は事件解決に尽力してくれた栄誉ある一般市民って事になってるからな。大方後日送る為の賞状の事でも話してたんだろ」


「んにゃ?なら事情聴取って本当はもっとダーティーな感じなの?」


「少なくとも俺は事情聴取でカツ丼なんていうシーンは目撃したことがないよ」


ほぇー…と理解しているのかどうか分かりにくい反応を返す金髪少女。


なんとも適当な相槌をうった彼女はちょっと警察の闇の部分というか裏事情を語った佐藤の横にちょこんと座る。


見るとその表情には今まで見たことがない真剣な色彩が含まれていた。


なにか事情聴取で嫌なことでも聞かれたのだろうか?


何気なく聞いてみようと口を開けようとした佐藤であったが、それより早く隣に座る金髪少女の方が先に言葉を発した。


「……おまわりさんはやっぱりあの子に残ってほしかった?」


金髪少女は佐藤を見ることなく夕陽を浴びて橙色に光輝く海を見ながら尋ねた。


あの子というのはまず間違いなくあのオオカミ男型の夢魔むまの少年のことだろう。


それはちょうど佐藤がナイーブになっている原因のど真ん中にあるものでもあった。


タイムリーなことを尋ねられた佐藤は一瞬答えるのを躊躇った。


というのもその話はどう考えたところで主観的な意見や個人の性格的問題に発展するわけで、そんなものを大の大人がふた回りも歳が離れているであろう少女に語るのには抵抗があったからだ。


しかしながらこちらを見ない少女の顔は真剣そのもので下手にはぐらかすのはそれこそ人としてダメな気がした。


見事に出口を閉ざされた佐藤は自分の後頭部をガシガシと掻きむしりながら、ゆっくりとした口調で答える。


「……別に残ってほしかったわけじゃない。あいつが元の世界に帰りたいと願うのならそれを叶えてやるのが当然のことだ」


「でもじゃあどうしておまわりさんはそんなに寂しそうな顔をしてるの?」


「…俺ってそんなに分かりやすいか?」


佐藤の問いかけに金髪少女は、うんうんと首を何度も縦にふる。


こんな少女に見透かされるとは…と思いながら佐藤は先程尋ねられた問いかけについて答えていく。


「そもそも夢魔むまってのは望んでこっちに来たわけじゃない。色んな偶然が絡まり合った結果の1つであって何かを成し遂げる為にわざわざやって来たなんて奴は1人もいない」


だからこそ叶えられる程度のことであれば拙いこの手で叶えてあげたい。


当人たちからは同情などするなと罵られるだろうが、これが佐藤 剛にとってのせめてもの償いでもあった。


がんじがらめの法で彼らを縛り上げ、こちらの身が危険だとわかるやいなや意見を聞かずに元の世界に返すという身勝手極まりない人間の欲望に対して偽善であろうとこれくらいはしてやろうと思っての行動。


贖罪にも似た行動。


しかしそれは結局その場しのぎのものになっているのではないだろうか。


そう言わざるをえない状況を作り出してしまっているのではないだろうか。


「なかにはこっちの世界に居続けたいと願っていた奴らもいた。けど危険性やら法律の適応外とかなにかといちゃもんつけられて強制送還させられるのが上の連中の常套手段だ」


結局はそれに従うしかない。


世の中は綺麗事だけではまわっていけない。


社会では薄汚れていかなければ生活できない。


「どれだけ悩んでもこんな弾一発ぶち込めば消えちまう。そこにどれほどの重みがあろうとなかろうとこいつは全部まとめて元の世界に戻しちまう」


ポケットから取り出した淡い青色の弾丸を手にとりながら佐藤は語る。


忌々しそうに手の中にある弾丸を睨みつけながら。


「何の取り柄もないこんな平凡な俺が何がよくて世界にふさわしいかふさわしくないかを決めなくちゃいけないんだ?俺はただ夢魔むまと一緒に楽しく暮らしていける世界を作りたいだけなのに。そのために入ったっていうのに」


「だからおまわりさんは夢魔むまに拳銃を向けるのが嫌なの?」


「……あぁ、嫌だよ。たとえ向こうが帰りたいと願っていたとしても人殺しに使われてたものを突きつけるのは心にくる。無罪の子を撃つのは本当に気が狂いそうになる」


目に見えた悲劇がなくとも、かつて多くの血を流してきた負の産物を道理も常識も何も知らない夢魔むまに向けるのは嫌で仕方がない。


そこに込められた弾丸が相手を傷つけるものではないと分かっていても人間としての心が魂がそれを拒絶する。


安易に受け入れたが最後もう人間ではいられないような気がして。


「こんな思いをするくらいなら俺はあいつらを食べててやりたいよ」


「………なんで?」


「そうしたらあいつらは俺しか恨まなくて済む。命を奪ったこの俺だけを恨んで妬んで、それは俺のなかに永遠に刻まれるんだ。俺が出来るのはそのくらいさ。この世界や夢意識むいしきで生んだ汚い感情を一身に引き受けることが俺が出来るせめてもの償いであり最後の偽善だと思うから………」


どうせどこにいても負の感情が芽生えてそれが争いを生むのなら。


その原因の一端を生んでしまった自分にその全てを背負わせてほしい。


そのためなら周りからなんと言われようと恨まれるべき絶対的な悪となろう。


恐れ嫌われ疎まれるだけの絶対悪の存在に。


そうしてそれら全てを佐藤 剛は食べてやりたい。


この世界の誰かが不幸になれば世界がうまく回れるというのならそれは自分にこそ相応しい。


だから彼の願いは今も昔も変わらない。


「俺は夢魔むまどころか恨みや妬みをもってる奴らをまとめて食べてやりたい。食べて食べて食べ尽くしてやりたい。へへ、こんなの聞いてドン引きしたろ?でもこれが俺のやり方だ。これこそが俺の生き方なんだ」


そう言い終わった佐藤のゴツゴツとした手に、そっと金髪少女は自分の小さな手をのせた。


そして手を開き佐藤の手を優しく包み込んでいく。


「……それは言い方が違うよ、おまわりさん」


金髪少女はなにかを愛でるような眼差しで佐藤の手を優しく包みこみながら言う。


柔和な声色に佐藤も言葉を失う。


だから無防備に静かに彼女の言葉を聞いた。


聞いてしまった。


「それは食べたいじゃなくってだよ」


「救いたい……?」


「そ、救いたい。おまわりさんは誰かが不幸にならないように誰もが笑って過ごせるハッピーエンドを作るために頑張ってる。でもそのために別に明確な悪になる必要なんてない。恨まれる為の唯一になんてならなくたっていい」


「じゃあ俺は……どうすれば良いんだ?どうやってこれから夢魔むま達と接していけばいいんだ?」


元の世界に帰りたいと願う者に銃を向けてしまうこの境遇を受け入れろというのか。


それが彼らにとっての願いだから気にするなというのだろうか。


もしかしたらそれが状況に流された偽りのものかもしれないのに。


恨みが恨みをよび誰かが不幸になるだけかもしれないのに。


しかし金髪少女はいたって簡単にその答えを導き出し、そして答えた。


「おまわりさんは誰かの恨みを生むために銃を向けるわけじゃない。おまわりさんは世界の平和なんて大それたもののために命をはってるんじゃない」


佐藤 剛が求めていた答えを。


「おまわりさんは『ありがとう』の一言と笑顔のために銃を向けるの。誰を傷つけるでもない。誰を恨むでもない。とってもシンプルに感謝の言葉をもらうために、おまわりさんは優しい銃を向けるの」


「……優しい…銃…」


ポツリと。


蚊のなくような小さな小さな声で復唱した。


今まで考えたこともなかった答えに。


ずっと聞きたかったその答えに。


ようやくたどり着いて。


ようやく行き着いて。


ようやく手に入れて。


「………ぷっ…あっははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!!」


そうして佐藤刑事は声をあげて笑った。


目尻に涙を浮かべて、腹を両手で抱えて、喉が枯れるまで声をあげて、酸素が尽きるまで笑った。


突然のことに目をパチクリとさせる金髪少女は、しどろもどろといった調子で笑い続ける佐藤に話しかける。


「え、あれ?まさかウチ全然関係ないこと言ってた?素っ頓狂なこと言ってた?ちょ、ちょっと!いつまでも笑ってないで教えてよーー!」


「はははははは……いや違う違う。そういうわけじゃなくってだな…ふふっ、ははははははははははっ!」


「もー何よーー!おまわりさんもしかしてウチのことおちょくってるの!?」


だから違うって、と佐藤は笑い混じりに否定する。


「バカだなーって思ってさ。こんなに簡単な答えにどうして行き着けないで無駄に小難しい答えにすがりついてたのかって。そう考えたらバカバカしくってさ」


「……えーっと…それは結局ウチの言ったことは間違ってなかったってことで良いのかな?」


「間違ってないさ……間違ってない。間違ってなんかいるもんか」


目尻にたまった涙を拭って、佐藤は隣に座っている金髪少女の頭に自分の手を置きワシャワシャと撫で回す。


乱暴な手つきのせいで首を上下左右にぶんぶんと振りまわされる金髪少女であったが、その表情はどこか楽しげにも見えた。


「……ありがとな金髪娘」


「へへっ…いいってことよ。おまわりさん!」


互いの顔を見あって『にししっ』といたずらな笑顔を向ける。


その顔にはもう迷いや戸惑いは見受けられない。


長年にわたる悩みをたった一言で解決してくれた金髪少女と出会ったのはもしかすると何かしらの運命だったのかもしれない。


そう思いながら子供っぽい笑顔をしていた佐藤のもとに、しかしタイミングを見計らったかのように着信がなる。


もう長年の悩みが消えた開放感からか軽快なテンポで着信のある電話にでる佐藤。


「はーい!こちら佐藤さんの携帯ですよー!」


「……随分とご機嫌なものね佐藤刑事」


電話から発せられたその声に、一瞬にして佐藤刑事の顔からサーッと血の気がひいていく。


先程までのハイテンションが嘘のような感情の急降下に表情がついていけないのか力のない笑顔だけが悲しげにはりついていた。


「そ、その声は西内警部…っ!?」


「こっちは君の報告書が来るのを待って勤務を終われずにいるんだけど、そのハイテンションは私に対しての挑戦と受け取って良いのかしら?」


「いやいや違いますって!ご高名な天下の西内警部を待たせているとはさて知らず私の都合でご迷惑をおかけしてしまい誠に申し訳ございませんでしたぁぁぁぁぁぁっ!!でも別に遊んでたとかそんなのではなくてですねぇ!?」


「あーもう、うるさいなぁ。ちゃんと理由は聞いてるわよ。オオカミ男型の夢魔むま事件に巻き込まれたんですってね。さっきそっちに回した子から連絡がきたから安心なさい」


とりあえずこちらの事情は知っているということらしく、ほっと安堵の息を漏らす佐藤刑事。


そんなことを知ってかしらずか西内警部は楽しげにも鼻で笑った後、それでね佐藤刑事…と本題を切り出し始めた。


「事情聴取の子に聞いたんだけど君、今金髪の制服を着た女の子と一緒にいるでしょ?」


「へ?えぇ、まぁ……でもそれがなにか?」


「実は君に会わせたい子がいてね。今日時間をみつけて顔合わせってことになってたんだけどどうやらそれもいらなかったみたいね。いやー偶然って怖いわねー」


「……あのー…話に全くついていけてないんですが…?」


佐藤の弱々しい言葉に西内警部は、あぁごめんなさいねと対して謝罪の意を込めずに言った。


「詳しい説明は署に戻ってきてからするけど簡単に言うわね」


軽く咳払いをして喉の調子を整えた西内警部は、それからいたって普通のトーンで衝撃の事実を口にした。


「佐藤刑事。今日からあなたはその隣にいるバンパイアの夢魔むまちゃんと相棒バディーを組んでもらいます」






















「…………は?」


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