第2話:佐藤刑事は事故りたくない
どういうわけか車体の横が大きくへこんでしまったパトカーに乗り込んだ佐藤刑事は先程書いた書類をファイルに丁寧にしまいこみ、それを誰も座っていない助手席にへと置く。
それからアクセルを軽く踏み込み、ゆっくりと車体を発進させていく。
ついさっき仕事とはいえ慣れない…というよりもやりたくないことをしてしまったせいか、佐藤はどこか憂鬱そうな顔をしている。
「……………」
車内には運転手である佐藤1人しかいないため当たり前ではあるのだが静寂とした空気が流れている。
ただその空気はまるで葬式終わりのどんよりとしたものに近く、とてもではないがこれから仕事場に帰って溜まりに溜まっている仕事をこなそうとしている人間には見えなかった。
佐藤自身も自分が気が滅入っていることに気づいてはいた。
が、しかし
そもそもそんなことが出来るのであれば
このままではいかん、と窓を僅かに開けそこから吹いてくるやや強めの風を浴びる佐藤。
ボサボサの頭が向かい風を受けてより一層アグレッシブにはね散らかるが、このどんよりとした空気の中で静かに運転しているよりは幾分かマシであった。
「こんな歳になってまだそんなところで悩んでる段階で終わってるよなぁ……どうりで出世の話もないわけだ」
あはは…と定年間際の哀愁漂うおじさま状態の佐藤は苦笑いをしながら車を走らせる。
さきのデュラハン型の
ついでにさっき使った覚醒弾が最後の一発だったということもあり補充もせねばいけないだろう。
覚醒弾も警察署に戻って申請書さえ書いて渡せばいくらでも補充できるので、特に面倒くさがることもない。
どのみち警察署には行かなければいけない事に変わりはない。
幸いにも素早さでさえ一流だったデュラハン型の
何時間も走っていたとはいっても同じところをグルグルグルグルと終わりのない永遠無限ループを繰り返していただけなので、実際のところ警察署がある街の中心部まではさほど距離が離れているわけではない。
「よくて20分ってところか。時間も時間だし、ちと昼飯でも食ってから帰りますか」
パトカーに備え付けられているカーナビに目を配ればそこには12時30分と表示されておりご飯の1つや2つを腹にいれたいお昼頃を佐藤に知らせた。
この近隣の情報であれば刑事という仕事柄いやでも詳しくなってしまう。
だがこういう飲食関連の店に詳しくなる事に関してはなかなかのメリットだろう。
「この時間だと商店街の定食屋が空いてるな。安くて量が多いだけが取り柄だが、まあ安定をとってそこにしますかねーっと」
ここ最近残業続きでカップラーメンとエナジードリンク祭りだったということもあり栄養面の補給と考えれば良い決断だろう。
定食屋の良いところは自分では絶対に作ってまで食べないであろう野菜系の料理がそこそこの味で出てくるところだと佐藤は思っている。
そんな大変失礼な考えからか佐藤が商店街の定食屋を利用することは多い。
単に警察署から近いということもあるが、もともと下町生まれの佐藤刑事にとって商店街は心が休まる数少ない場所でもあるわけで、もしかするとそういった理由も本当のところはあるのかもしれない。
とはいえズボラな佐藤が果たしてそこまで深く考えているのかは定かではないのだが……。
そんなこんなで車を走らせること十数分。
気分も完璧にとはいかないまでも大分晴れやかになった佐藤が運転するパトカーがお目当の定食屋がある商店街に近づいてきた辺りで佐藤の前におかしな光景が現れた。
「……なんか随分と騒がしいな」
いつもは商店街で買った食材の入ったレジ袋を籠一杯にいれた奥様方がママチャリに乗って徘徊するだけの歩道には人だかりが出来ており、車内からでも外の声が聞こえるくらいガヤガヤと大勢の人の声が発せられている。
頻繁に商店街を利用する佐藤でも見たことがないその光景に自然と興味がそそられる。
大特売セールでも豪華景品クジ引き大会でもここまでの人だかりは出来なかった。
となれば客寄せの為に手近なアイドルでも呼んでなにかしらのイベントでも行っているのだろうかと思っていた佐藤であったが、直後にそんなことも言えない状況に陥ることになる。
というのも佐藤が運転しているパトカーの前に歩道で溜まる人だかりの中から1人の少女がいきなり飛び出してきたからだ。
「あっ、ぶねぇ…ッ!!??」
いちいち驚いている暇もない。
反射的にブレーキを強く踏み込みパトカーを急停止させる佐藤。
だが車は急には止まれないとはよく言ったものである。
どれだけ強くブレーキを押し込んでも明らかに間に合わない。
このままでは刑事ともあろう者が交通事故を起こしてしまう。
「(まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいっ!?止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれぇぇぇぇっ!!)」
強く念じながらもう全身全霊の力をもってブレーキを踏み込む佐藤だが、そんな頑張りなど皆無とばかりに一向に車は止まる様子をみせない。
アスファルトの地面とタイヤが奏でる嫌な音を聞きながら、それでも最後の最後まで諦めるようなことはしなかった。
というのも諦めたらその段階で、か弱い少女の見るもグロテスクな光景の一丁あがりであり同時に人生の終わりを指していたからだ。
たとえ少女が生きていたとしてもブタ箱行きは確定だろうし、もれなく大事な職まで失ってしまう。
この歳で前科持ちの職なしなど誰からも需要がない。
世間から氷河期もびっくりな冷たい視線をあびることひっしだろう。
考えれば考えるほど頭の中でおぞましい闇しかない未来が増殖していく。
ダラダラと嫌な汗を頭からつま先に至るまで全身びっしりとかきながら佐藤 剛は口角をひくつかせる。
「ふざ、けんな…こんなところで……こんなところで人生の終わりを迎えるなんて冗談じゃねぇぞこんちくしょぉぉぉぉぉぉっ!!こちとらまだ結婚もしてねぇわ子供を抱いてもねぇわ親をおじいちゃんおばあちゃんって呼んでもねぇんだぞこの野郎っ!!!」
自身の非リア充ぶりを恥ずかしげもなく口にした佐藤 剛御歳30の目に力が宿る。
最後の手段とばかりに佐藤はハンドルを強く握りそれから反動を無視して力任せに勢いよく右へと回した。
もちろん急ブレーキした車のハンドルを強引に回せばどうなるかは明白である。
操作性を完全に失ったパトカーはタイヤをいたずらに滑らせて大きくスリップする。
普通の運転であれば望まぬアクシデントだが今回に限ってはそれが良い方に向かうことになった。
スリップしたことによって一直線に進むよりもブレーキがかかる時間が延長され、そのおかげでなんとか飛び出してきた少女の数センチ前ギリギリで止まることに成功する。
「(ほ、ほ、ほぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?あ…あっぶねぇぇぇぇ!危うく前科持ちの無職になるところだったぁぁぁぁっ!!)」
未だに心臓をバックバックと鳴らしながら息を荒げる佐藤。
もうここ数年分の幸運を使いきったような気分でいると、自分が座っている運転席の窓を外から叩く音が耳に入ってきた。
さっきまでおっかなびっくりの体験をしていたせいか、そんな些細な事にもまるで天変地異を目の当たりにしたような大袈裟なリアクションで反応してしまう御歳30の佐藤刑事。
が、そこで目にしたのはそんな心を癒してくれそうな可愛らしい容姿の制服姿の女子高生であり同時にいきなりパトカーの前に飛び出し佐藤の三十路の弱々しい心臓に大打撃を与えた張本人でもあった。
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