神子の信奉者エイドス
カルエの街の八方位に鍛冶神スコーリアを祀る祠が建立されてから、さらに十日が経った。地精たちは、当初は僕に付き従って各地の祠に分散してくれたが、この頃になると結局は大使館裏の鍛冶場に集まるようになってしまった。どうやら僕の住まいに居つくようになっているらしい。
僕が寝泊まりする場所を、日に日に変えれば済む話だと思ったのだが、事前に察知したイランプシに止められてしまった。
「スタフティ君。君が市中で野宿しようと企んでいることは知っている。頼むから、神の使徒ともあろうものが流民のような真似はやめてくれ。」
最終的に市の郊外、北東部に暫定的に借り受けていた民家を出て、市の中心部に正式な大使館を用意するということになった。
「君はあれだな──使徒である以前に、神子としての器が大きすぎる。本来であれば人里に降りてきていい存在ではないぞ。神域で身を慎んで、自らの神に祈りを捧げて一生を過ごすべきだ。」
以前、師父ツァーリオから言われたことがある。僕は肉体こそ定命の者だが、その魂は尋常の存在ではない、と。天に輝く星の一つが地に堕ち、冷え固まって受肉したのが僕なのだと。故に、人よりも精霊に親近感を覚えるのは、不思議なことではないのだろう。
「しかし今の僕は使徒であり、スコルボレア岳国のカルエ駐在大使です。」
わかっているとも、とイランプシは嘆息する。
「だがな──カルエに留まるつもりなら、人界の流儀に従ってもらいたいものだ。」
今度は僕が嘆息する番だった。人界の流儀と言われても、僕には今一つピンと来ない。
新たに建てられる大使館の意匠一つとっても、ネクタルとイランプシが図面をやり取りした結果が、僕のところに寄越されるだけである。
ネクタルからの書簡には、気づきがあれば申し出るように、という小課題然とした内容が添えられていたが、エリオロポスの王宮様式を狂神の威光を顕すようにと歪められた設計図に瑕疵など見当たらない。
一角に備えられた鍛冶場への搬入路と排熱性が云々と、思いついた内容を書き加えて送り返したが、そういった内容について問われていたわけではない位のことは、鈍感な僕にもわかり始めていた。
両者からは真面目に働け、と言われた気もしたのだが、僕にできることといえば鍛冶仕事くらいだ。ただ、それもイランプシの言うところの「人界の流儀」に従うなら不味いような気がしてならない。
僕の打つ金物は、狂うほどにキレていたからだ。
暫定大使館の隣家に住んでいたシディルギアンの名はエイドスといった。
老境に入った彼が、なぜノストフェオウを離れてカルエに住んでいるのかといったことを、当初の僕は詮索していない。彼は古くなったり壊れてしまった金物廃材を集めてきては、炉で鋳潰して鋳塊にして売るという商売をしていた。
彼に炉を組んでもらった礼に、と求められた料理包丁を打って渡したのだが、普段は呆けて耳の遠い様子を見せていた老人は、それを受け取るなりに豹変した。彼は震える指先を包丁の刃に滑らせながら、その波打つ刃紋を舌で舐めた。
「ああ、あの味じゃ──聞こえるぞ、スコーリアの声が響いておるぅ。」
狭い民家に響き渡るほどの絶叫とともに、エイドスは気絶した。理由があるのだろう、と気付けしてやった後に問えば、訥々とかつてシディルルゴスの第四使徒であった過去を話し始めた。
「儂は魅入られてしまったのじゃ、耳朶は錆びつき舌には絶えず鉄の風味が感じられる──察してはおったが、貴方様はスコーリアの神子様なのじゃろ。これは物切る包丁とはいえ、この老いぼれには過ぎた業物。されどもされども鋳潰すには、ああ手が離れぬ。」
後から知ったことだが、エイドスは街では気が触れていると有名な人物だった。しかし僕からしてみれば、カルエの街で初めて得た協力者だ。しかもかつては他神の使徒まで務めた人物である。狂神の神子としては慶ぶべき縁だろう。
また彼から聞いた話を整理すれば、このエイドスは僕を掘り起こした第一の人物ということになる。いよいよもって、僕はこの老人を取り立てねばならないと思いを強くした。
大使館を移転して間取りを広げるというのに、駐在するのが僕しかいないという現状が変わらないのは、いささか恰好が悪い。渡りに船と、僕はこのエイドスを雇い入れることを思いついた。
「エイドス殿、スコルボレア岳国の大使館で働いてはくれませんか。僕はどうにも世俗の事柄には不慣れで困っているのです。」
老人は一にも二にもなく、首がちぎれるのではないかという勢いで頷きを繰り返した。こうして狂える善なるエイドスは、新たに建てられる岳国の大使館に勤務してくれることとなった。
「そうなると、引っ越しの準備をせねばなりますまいのう。」
驚いたのは、そう言うエイドスの自宅を訪ねたときのことである。
壁一面に備えられた棚には色鮮やか、艶のあるものから、自ら光を発するもの、逆に穴が開いていると見間違うほどに黒々としたもの、大小様々古今東西より集められた奇石が、丁寧に分類されて並べられていたからだ。
エイドスはシディルルゴスの使徒であった当時、第三
「これはもはや
飴玉をしゃぶるように、彼は壁の宝石を口に含んで転がしている。まともな食物は皆、錆びた鉄の味しか感じられず、美しい石だけが風味絶佳、彼の舌を悦ばせるのだという。
エイドスは室の奥から、金属製の筒缶をいくつも持ち出して、石の一つ一つを綿で包み厳重な梱包をし始めた。
その作業を黙々と手伝っていると、エイドスが背を向けたままに切り出した。どうにも気遣いした重い調子の言葉である。
「神子様よ、儂は給金などというものに興味はない。ただそなた様にお仕えできるのであれば、それでよい。ただ一つ願えるならば、湯殿の残り水を下賜いただければ幸いじゃ……」
『炉』の恩寵を強く授かっていた使徒の当時なら、エイドスは溶かした金属を喉から流し込んで味わうこともできたという。しかし、今の彼にはそれも叶わぬ──表皮が熱に傷つかぬ程度である。
湯浴みの風習はノストフェオウにしか無い。炉神シディルルゴスの神域の最奥には、神が湯浴みするための湯殿があるという。
本性を隕鉄とする僕が浸かったあとの湯水を、この老人がどう扱うかについては容易に想像がついた。しかし味わうものが全て錆びついて感じられるという話を聞いたあとでは、エイドスが求めるものが、どれほどの財貨宝物よりも重いのだろうと考えて、僕はこれを許した。
「エイドス殿においては恥を忍んでの申し出とは存じますが……妻、ネクタルにはご自身から折を見て申し開きしてください。その際には僕も臨席いたしますから。」
応応勿論と滂沱の涙を流して請け負う老人を見て、狂が過ぎるのではないかと、今後が少しばかり心配になった。
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