カルエ駐在員スタフティ
緩衝都市カルエには三つの勢力がある。
一つは旧来から居住していた住民らによって運営される自治府──北方郷士連盟を基盤とした現状のところ街の実権を握る勢力だ。市長以下、エセーリオが要職にあるもののプロドシアの追討に関わって街を包囲されたことから、エリオロポス王宮に対しては反発が強い。
二つ目がイランプシが送り込んできた告解師らだ。プロドシアの幽閉蟄居する教会は、彼らが管理することになった。軍閥とは系統を別にするために、街を実効支配する力は無いが、市内での街宣活動と慈善事業を通じて影響力を発揮している。
そして三つめが──僕、鍛冶と錆の神スコーリアの第二使徒スタフティだ。
カルエ市街を囲む外壁には、南北に二つの大門がある。
北門から入って伸びる大路からすぐに東にはずれ、外壁の陰になる場所にスコルボレアの暫定大使館が置かれた。
建屋は既にあった民家をそのまま、住民が供出してくれたために利用させてもらっている。というより街はずれの人通りの少ない地域をあてがわれた、と理解するべきなのだろうか。
そもそもが大使館と言いながら駐在しているのは僕しかいない。スコルボレアからの移民は未だに予定が無く、街の住人は恐れて近づかないために、仕事と呼べるものもない。
本来であれば、エリオロポスとスコルボレアの間で結ばれた不干渉中立地となるカルエの街に、片方の使徒だけが駐留するというのは不公平極まりないはずなのだが、何故だか許されている。
妻であるネクタルと、エライオンの第一使徒イランプシが喧々諤々の議論の最後に二人そろって僕を街に置くことを告げたのだった。
要するに武力を持たない宗教集団と、振るう先の無い使徒の暴力が天秤の上で釣り合ったということなのだろう。
神同士の権勢の綱引きは、目に見える形で河の水色に表れる。壁外の貯水池には赤く染まった水が流れ込んではいるものの、池の色を変えるには至っていない。
「あなたの役割は、最悪の状況におけるカルエの破壊よ──でも、そんなことは誰も望んでいない。あなたは使徒である前に神子なのだから、民に神への信奉の示し方を広げなさい。」
ネクタルは諭すように僕に言い含めた。カルエにおけるスコーリアの威光が失われたなら、僕はこの街を破壊する使命を負っている。
これはイランプシも承知のことだ。故に卓越した占術師である彼の第一使徒は、僕が暴発せぬ程度に街を支配し、最終的には僕が自ら街を出ていくように仕向けるだろうとネクタルは予見した。
「と、言われてもなあ……。」
僕がカルエに駐在し始めてから、七日が経った。それまで僕が行ったことといえば、大使館の裏にあった空き家を潰して、ノストフェオウ様式の炉を備えた鍛冶場をこしらえたくらいのことだ。
カルエにはエセーリオ以外に、少数ながらシディルギアンも住んでいた。
『炉』の権能を司る神、シディルルゴスの眷属である彼らは、商人集団としてクリソピアトでは知られている。鍛冶師、細工師としての力量に優れた者も多くいるが、理由としてはアツァーリ地方において唯一流通する貨幣を鋳造しているのが、シディルギアンであるからだ。
一時期、ミーセオ帝国から流入した大量のミーセオ銭貨は、シディルルゴスの支配するノストフェオウ神山の神炉で鋳潰されることになった。イランプシが政変の往時に神域へと出向いていたのは、この協約を結ぶためである。
ミーセオ銭貨は悪銭の割合が高く、金属の純度も低かったが、とにかく一気に大量に流通したために、南部では人々の手に渡り切って、商いに用いられることになってしまっていた。
イランプシは市場に跋扈するミーセオニーズを嫌い、シディルルゴスは価値を積み上げてきた貨幣の立場を侵されることを疎んで、この悪貨を協力して回収放逐することにしたのだった。
ネクタルから講義された経済というものについて、僕は今一つ理解できなかったが、要するにこれは神の信奉の具現なのだろう。定命の者にも扱い得る形へと具象化された信奉──より多く、より広く、より高い価値を認められた銭貨は、そのままに信奉へと変わり得る。
手の中で一枚だけ手に入れたノストフェオウ長幣貨を弄びながら、僕は自分がカルエの街において何をするべきか考えていた。
ここ数日で付近の地精との面通しは一通り終わっていた──はずだった。
小石に宿った地精らは、特段呼び出しもせずとも鍛冶場に集まってゴロゴロと転がりまわるようになっている。気安く恩寵を授け過ぎただろうか。精霊には精霊の伝手があるらしく、日に日に見知っていない地精が増えていく。
巷の精霊術師には、精霊の個性を識別する能力は無いらしい。地精は地精に過ぎないと言う。しかし僕の目にはそれぞれに違いがあり、嗜好の別を持つように見える。
逆に人間の区別がつかない場合の方が多い。エセーリオはエセーリオにしか見えぬ。神の恩寵を受けた使徒ともなれば、その力量によって判断がつくのだが。
地の元素術が盛り上げた石の長椅子に寝そべり、僕は鍛冶場に置かれた炉に目をやる。蒼く燃える高熱の炉の内部には、契約によって縛られた火精が置かれている。『炉』の恩寵の篤い者であれば、炉の外見すら必要なく、火精のあるところを炉とするそうだ。僕はといえば、たまたま大使館の隣に居住していたシディルギアンに頭を下げて炉を組んでもらった。
青天の鍛冶場の一角には、祭壇が供えられている。我が神スコーリアを讃える鉄床と、妻の母であるアクリダを讃える水鏡、そして『炉』を司るシディルルゴスへの感謝として精錬された鉄塊が捧げられている。
北辺の鍛冶師は炉を用いない。自らの鎚の勢いで打ち付けて鉄を熱するからだ。
しかし、
スコーリアは三神の長の座を巡ってシディルルゴスと争った過去があるにもかかわらず、否定的な想いを抱いてはいないらしい。
正しき善神であるエライオンに対しては窮屈さを覚えるが、狂にして善なるシディルルゴスとは互いを理解し合える余地があると考えているようだ。
アツァーリの地の神々は
──結局、鍛冶場の整備と集まる地精への祝福以外のことをせぬまま十日が過ぎた。変わったことといえば隣人のシディルギアンに礼を兼ねて料理包丁を贈ったくらいだ。
昼を過ぎたころに、鍛冶場に寝そべって空を仰いでいると、何者かが傍に立ち、ぬっと視界を遮った。気配を察することもできず、面相も不確かであったが、深紅の頭衣を被っていることからそれがイランプシであることは明白だった。
「おいでになられるなら事前に使者を寄越してください、僕だって歓待の準備くらいはしますから。」
身を起こしながら突然の訪問を咎めてみたものの、イランプシは酷く不機嫌そうに答えを返してくる。
「スタフティ君、私は君が鍛冶場を造るだろうということくらいは知っていた。裏手の家を丸ごと磨り潰して露天にしてしまうとは思っていなかったが、まあ、
それはどうも、と要領を得ない返事をしたところ、かえってイランプシの機嫌を損ねたらしい。
「しかしここまで非常識だとは思わなかったぞ、なんだこの地精の数は。人里に精霊宮でも造るつもりかね。特にアレだ──あの山は何だ!」
言われてみれば尋常な数ではない気がする。目に見える範囲でも百以上の地精がたむろしているのは精霊に慣れない者からすれば卒倒する光景だろう。
なかでも鍛冶場の一角にはシディルギアンから仕入れた屑石の山があるのだが、そこに無数の地精が寄り集まって、さながら祠のようになっている。
僕は鉱石を叩いて純鉄を弾き出すという
『炉』の精錬とは全く違う手法で鋳鉄を加工する様子を見て、シディルギアンは唖然としていたが、ノストフェオウ式の精錬とは生産量が違い過ぎるために比較にはならないと指摘された。
おそらく地精らは、その鋳鉄加工の様子を見て、石山に貼り付いていれば『鍛冶』の恩寵のおこぼれに預かることができると思ったのだろう。僕の方もまとめて祝福することができて楽だ、程度にしか考えていなかった。
「いいから、すぐに解散させるんだ。」
解散と言われても、僕が集まれと命じているわけでもないのだから困ったものだ。
「僕が使役しているわけではありませんから、イランプシ殿が命じてはいかがですか。」
欺瞞を深くする銀髪の魔術師が歯噛みする様子が伝わってくる。
「当地の精霊が懐いているのに、無下な命をくだせるものか!君は分かっててやっているだろう!」
何が問題なのか全く理解できず教えを乞えば、イランプシは深い溜息を数度吐きだしてから僕に説明し始めた。
曰く、秋の収穫量が異様に北東の農地に偏るという予知が出ているのだそうだ。
カルエ壁外には豊かな農耕地が広がっているが、南部の農地の収穫量が例年の半分以下に落ち込む一方で、北東部だけ三倍近い量が採れるのだという。事はカルエだけに収まらず、周辺の村落にも同様の影響が出るらしい。
全体の収穫量で見れば益の方が多いというのだから、僕には何が問題なのか理解できなかった。その点をイランプシに問えば、最初は平等だの均衡だのとはぐらかされたが、村落を治める王族の系統が違うために王宮内の勢力図に影響が出るのだと、観念したように答えてくれた。
「では、僕の方でカルエの八方にこれと同様の祠を建てさせてもらいましょう。」
僕の提案に対して、イランプシは諦めたように、それが最善であろうと許可を出した。何がしかの条件を示されるかと思ったが、特別に付け加えられる言葉は何もなかった。
ふと、この全知の占術師が予知しうる事象の範囲の限界が見えたような気がした。少なくとも──精霊の動向を占うことはできないのだろう。
目頭を揉むイランプシを見ていると、どうにも可笑しみのようなものが芽生えてきた。
「そのように欺瞞を深くしなければよろしいのに。」
冗談めいて言えば、イランプシは低い声音で否定した。
「全知の者が顔色を明るみに出せば、誰しもが私の顔色を伺って過ごすことになろう。」
その言葉には他者とは隔絶した力を持つ者の孤独がにじんでいた。
去り際──いずれは君にも分かる時が来る、と言い残した言葉は、占術による予知だったのだろうか。それとも第一使徒による内面の吐露だったのだろうか。
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