交渉


 重厚な石造りの卓を挟み、黒髪黒衣の美女と銀髪に深紅の外套を纏う魔術師が、喧々諤々の議論を交わしている。女の名はネクタル──僕の妻であり、北方スコルボレア岳国の宰相だ。魔術師はイランプシ──中原クリソピアトを治める油神エライオンの第一使徒である。


「労働力が足りぬならば、亡者を使役すればよいでしょう。」


「かしこくも聖油を注がれたカルエの地に不死者など入れられるものか。」


 彼らは今、スコーリアとエライオンの領地の境界となるカルエの街の統治について交渉していた。


 時は遡って──僕がイランプシと夜明けまで議論を行い、カルエの街に帰る頃。北東の空に払暁を遮る黒雲が、低く立ち込めた。轟轟と聞きなれぬ雑音が空から響き渡り、黒雲は更に低く、平原に腹を擦り付けるようにして着地した。

 背後でイランプシが苛立たしげな舌打ちをするのが聞こえる。振り向けば欺瞞を濃くした相貌は、目深にかぶった深紅の頭衣によって隠されていた。


 夜を破る朝日よりも黒く、日輪を遮って平原を歩み来る──災厄は蝗災の魔女と渾名される。黒雲と見違えたのは、魔女の使役する蝗の群れだった。

 女は黒く染められた礼装に、枯れ花をあしらった腰衣を巻いた装いである。黒く塗りつぶされた二つの眼の上に、細く翡翠色の複眼を開いている。黒と緑の四眼をぎらぎらと輝かせながら、彼女は眷属を霧散させた。


 結論から言えば──僕がイランプシと一晩中かかって詰めた案は白紙撤回された。貯水池に刻んだ呪文字ルーンが破損したことを察知したネクタルは、即座に北辺からカルエまで飛翔してきたのだった。


「わかっていたことですが──スタフティ、あなたには政治的なセンスというものが全くありませんね。」


 僕はなぜか、カルエ市中の石畳の上に正座させられている。

 ネクタルは召喚した椅子にかけて足を組んで僕を見下ろしている。複眼は閉じられているものの、黒々とした目は厳しく睨んでいた。

 カルエ市街の中央に境界線を引いて、市を二分してそれぞれが統治するという案は彼女に言わせれば悪手なのだという。実際に住む者らは、スコーリアに祝福されたとはいえどエセーリオである。スコルボレア岳国の統治下に最初は入ったとしても、隣に慣れた生活様式の市街が広がればいずれは人心は離れるだろう。

 はっきりと境界線を引けば、なし崩しに軍を駐留させられることは目に見えている。


「祖母様の恩寵を受けて、スコルの人口はこれから爆発的に伸びるでしょうから、植民してしまえば良いのですが、建国当初から隣国との国境線を争って緊張状態を悪化させるなど、ありえません。」


 腐敗の邪神の司る四権の一つ、『増殖』の権能は『多産』、『安産』の小権能を内包している。いずれ洞穴の内側だけでは人口を養いきれぬことが予測されていた。彼らを養うための新たな土地が、スコルボレア岳国には必要なのだ。


 崩れた外壁をイランプシが変性術で修復する様を見て、ネクタルは溜息をつく。


「もしも前線地としてカルエを治めるのであれば、あの第一使徒を抑え込める人物でなくては代官が務まらなかったでしょうが、そのような者はツァーリオ翁しかおられないのではなくって。譲歩を引き出したまでは良かったですが、その後の処理が考え無し過ぎでないこと?」


 妻である女から、厳しく叱責される僕を見かねてか、イランプシが言葉をかけてくれた。


「その辺で許してあげてはいかがかな、神子殿は生後四年足らずなのであろう。」


 微笑を含んだイランプシと、造った笑顔を張り付けたネクタルが向かい合う。交渉の卓を、とイランプシが造りだした蜜色の卓を無視して、ネクタルは自身が召喚した大理石の卓に就く。


「油の卓などべとべとして気持ち悪いですから、慣れた椅子にかけさせていただいてもよろしくて。」


 欺瞞に包まれたイランプシの面相から怒気が漏れる。この第一使徒は凄まじい占術の腕を持ちながら、その性質は実のところ激情家なのかもしれない。


 その後に始まった二人の交渉に、僕の口を挟む場面は一切なかった。僕は手持ち無沙汰に崩れた壁の礫片に地精を宿らせて挨拶がてら、鍛冶鎚で鍛えてやったりしていた。新たに訪れた地の精霊と縁を結ぶのは大切なことだ。


 ただ話がプロドシアの処遇に及んだ際には、一言添えずにはいられなかった。


「メティオーテは神族にありながら正悪神に唆され王を謀殺した逆臣。その種も本来であれば罪咎に問うところであるが、寛大にも神族の末席に加えて育てようというのだ。」


 イランプシの主張の根幹にあるのは、第四王弟メティオーテが引き起こした政変である。無論のことプロドシアが王宮を脱したのは、その事件以前であるのだが、大罪人に累する者は等しく罰すると主張していた。


「占宮司の長であった貴殿の責も問われるべきではありませんの。よもや結果を知った上で看過したのでは──」


 イランプシが欺瞞を解いて強く否定する。烈火の如く怒りを露わにして、銀の眼と額の印が輝きを増す。


「私が王宮にいたならば、このような事態にはなっておらぬ!当時にはシディルルゴスの神域に訪問しており、術の行使を禁じられておったのだ!」


 ネクタルとて本心からの言葉ではない。不正神アディケオによって覆い隠された謀略と、忘却神ゼキラワハシャによって消去されていく痕跡は占術ですら追い切れぬ。そのことを理解した上で、彼女はイランプシを挑発しているのだ。


「イランプシ殿──プロドシア殿は潔く罪を贖う覚悟でおられる。しかし、事の経緯を知った上で僕から言わせてもらうなら、プロドシア殿にも、その子にも──メティオーテ殿下にも罪咎は無いのではないか。」


 エライオンの第一使徒は再び欺瞞を引き締めて、静かに唸り──持ち帰り、我が神に伺いを立てる、と答えた。


 改めて結ばれた協約においては、カルエは中立都市としていずれの勢力下にも置かれないものとなった。疲弊した北部の現状を鑑み、一年内は無税とし、それ以降は南北で徴税したものを折半することが定められた。

 暫定的に、北部郷士連盟による行政府が置かれることとなったが、いずれは住民による自治に委ねられることとなる。

 つまり軍の駐留は相互に禁じるものの、いかにして住民を互いの神に帰依させるかという影響力の戦いが水面下で始まるということに変わりは無かった。ただ、その結果が目に見えづらい形になったというだけのことだ。


 一方でイランプシによって、既に政庁に入り込んでいたミーセオニーズの官僚らは排除された。


「彼奴等は有能ではあるのだが、『統治』の恩寵を授からぬものには理解できぬ機構を構築されるのだ。行政機構を継続して利用しようとすれば、海を隔てたミーセオ帝国から人材と合せて輸入せねばならん。」


 イランプシはミーセオニーズの『不正』を差し引いてなお、彼らを有能と評する一方で、体よく排除する口実を探してもいたようだ。


 この会議の最中も、プロドシアは教会の地下に蟄居していた。恐らく彼は沙汰が降りるまではそうして身を慎むつもりなのだろう。『疎水』の呪いは適度に緩められて、水を飲む程度には許された。ただ水をまたぐ、ことはできないらしい。

 アツァーリアンの墓所の傍で、子の卵を抱いて眠るプロドシアの姿は、父よりも母を思わせた。


 僕はネクタルから課題を与えられ、カルエの街に新たに置かれる大使館に駐在することになった。

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