スタフティの占術


 日の昇りから、いつの間にか季節が移っていたことに気付く。

 北辺山脈の高き場所は万年の雪を纏うが、遠く見下ろす平野には緑の芽吹きがある。

 心なしか、この辺りの雪も緩んだように思われた。


 細流に流れ込む、赤く色づいた雪解け水は、神の血潮に見立てられる。クリソピアトの民がこの水を忌避するのは飲用に適さないからだという。山鉄の滋養を豊富に含んだ水を、平野の民が直接口にすることをためらうのは、それが狂神の血と見なされるからだろう。エライオンは正しき善なる神であり、狂と対する属性にある民にとっては、狂神の赤き水は身を害する。



 師より命じられた、アクリダの第五使徒ストラティオの討伐まで三日間の猶予を与えられた。

 師は僕に、備えをせよ、と言い残して、また何処かへと消えた。


 この三日をどう扱うか──つまりはどのようにして、アクリダの第五使徒ストラティオを討つか。

 その方策を練らねばならない。


 僕がまず初めに手を付けたのは占術だ。

 師は占術を得手とはしないものの、熟練の域にはあった。情報を扱う術理である占術を通じて、ストラティオが如何なる敵かを知らねばならない。

 最も難しいのは未来を知ることだ。予知に分類される術の強度は最高に近い。一方で手掛かりの残された過去を知ることは占術においては比較的容易な分野にあたるだろう。


 師がストラティオを一撃に磨り潰す様を、僕は実際に見ている。敵の統帥する不死者アンデッドの群れを、師の召喚した英霊の傀儡群エレメンタルクルスが打倒する様も。

 過去に師の施した手管を見取り、ストラティオの弱点を探るという案は、今一つ有効な結果を得られないかもしれない。第一使徒にして永劫の時を逍遥するツァーリオと、第五使徒ストラティオでは実力が違い過ぎる。

 いずれにしても、師の真似は僕にはできない。分かっていることは、示唆されたとおり退魔術の準備をして、ストラティオを取り巻く不死者アンデッドを、まずは一掃するべきだろうということだ。


 師は、僕とストラティオが一騎打ちになる未来までは見通していた。

 ──そこから先は、死闘になるであろう、ということも。


 死闘とは、いかなる意味であろうか。文字通り、生死をかけた戦いになるだろう、ということか。しかしストラティオ自身もまた不死者アンデッドであり、仮に肉体を破壊しても三夜の後に蘇る。

 ならば、この戦いは僕にとってのみ、死闘になるということか。


「気に入らないな。」


 久しく感じたことのない苛立ちが、僕に剣呑な声を出させた。付き従うリーコスが、背後でびくりと首をもたげた気配がする。

 死闘──ならば、相手にも本当の意味での死をかけてもらう必要がある。


 ストラティオにとっての死とは何か。

 僕がこの三日間の内に探り当てるべき秘密が定まった。


 主の気配の変化を察して、リーコスが背を差し出してくる。主従の序、というものを十分に弁えた態度である。この相棒を背嚢と背負って山岳を踏破したのは、一度や二度ではない。今では短距離に限れば僕の方が速いくらいだ。


 そうは言っても愛い背に跨れば、命じずともリーコスは駆けだした。常に傍に置いた猟獣は、機微をよく知る。リーコスの嗅覚や聴覚は僕に捉えられないものを教えてくれるだろう。

 僕の拙い占術でも、ストラティオの秘密を暴くためには、彼の死にまつわる痕跡が必要だ。その手掛かりを目指し、山岳を駆け抜けていく。


 辿り着いたのは、ツァーリオと邂逅した、その日にストラティオが討たれた場所だった。

 投擲の余波と舞い上がった雪飛沫によって、決着の瞬間を僕は見逃している。


 リーコスの首筋を撫でながら、地に呼びかけ、小高い塚を盛り上がらせる。周囲の残雪を掃き清め、褐色の大地を露にし、礫片を積んで陣を敷く。随分大掛かりな補助陣になるが、やることは大層なものではない。


 知るべきことは、ツァーリオの一撃を受けたとき、ストラティオは死を想ったのか、ということだ。山脈を揺るがした投擲を平然とした態度で受けたのであれば、ストラティオに対して物理的な攻撃を仕掛けても、相手に真の死を賭けさせることはできない。


 陣法の中心に座し、地霊に問う。骨片を研磨した賽の目を振りながら、朴訥な地霊から言を引き出そうと魔力を餌に撒いていく。占術というよりは精霊術に近しいやり口であろう。スコーリアの寵児となる可能性を秘めた僕に、山脈の地霊は協力的だ。

 賽の目を振るたびに、集まった地霊が往事について教えてくれる。是と非の質疑を繰り返し、正しい情報を手繰り寄せる。


 日暮れ近くになって、知るべきことは概ね知ることができた。

 暴くべき秘密は、未だ完全とは言えないが、有力な仮説を得るまでには至った。



 山巓の高きに慣れた身には、中腹の空気が甘く感じられる。

 今一つ落ち着かず、僕はまたリーコスの背に乗ると、普段に野営をする高度にまで斜面を登った。


 尾根にまで登り、簡易の結界となる祓字を刻んだ礫を周囲に積む。師の守りが無い夜に、胡乱な女が現れても困る。

 野営の準備を一通りに終え、塩水でもどした干し肉を腹に収める。


 自らの出自が天に瞬く星であるとは、未だに実感を得られずにいるが、師に告げられて以来、夜半には極北に強く輝く星に祈りを捧げるようになった。


 今宵の星々は一際赤い。凶兆と捉える向きもあるかもしれない。


「赤は良い色だ。」


 聞き知らぬ声にぎょっとして祈りの姿勢を崩す。だが、周囲には何者もいない。穏やかな風が頬を撫ぜるばかりだ。

 ふと気づき、スコーリアへの祈りを捧げる。瞑目し、『鍛冶』の恩寵を給うことへの感謝を伝える。日々に祈りは捧げているが、神より何事か返ってきた例は無い。


 小さな手が、背後から僕の髪を撫でた。恐る恐る、という手つきだ。振り向くことなく、目を閉じたまま手の為すままにする。

 数度、細い指が髪を梳き、離れていく気配がした。


 夜気の強まりを感じながらも、僕はしばらく姿勢を崩せずにいた。

 風に乗って、スコーリアの気配が山陰の方角へと去っていく。


 リーコスの遠吠えが、少しく離れた場所から聞こえてくる。最近には、夜になると彼は無毛の狼の群れを教導しているらしい。

 ややもすれば相棒を僕から解き放ってやることも考えるべきかもしれない。


 数度、リーコスに呼応するように遠吠えが響いた。

 神との逢瀬に、僕は勝利への決意を強くする。


 赤き凶星は、良き兆しであると、このときより北辺に定まった。

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