ツァーリオによる講義 2


 日の落ちきった山中に、焚火の炎が、ぽつりと灯っている。

 風の無い夜、赤々と燃える火を囲み、ツァーリオの教えに耳を傾ける。



 日暮れ前、使徒は夕餉の支度をすると言って、しばらく姿を消した。戻ってきたときには、その手には野草の束と皮を剥がれた猪の肉が握られていた。どちらも凍り付いている。


「近場の氷室に貯めておるのよ。」


 言うと、使徒は雪と礫を混ぜ合わせて、即席の混凝土を調合した。凝固の度合いには変成術の初歩を用いたらしい。手早く竈を練り上げると、炭を組んだところへ火口を放り込む。召喚術に通じていれば、料理などは仕上がったものを喚びだせば済むそうだが、ツァーリオはそういったことを好まないらしい。


「儂が召喚するのは、もっぱらに使いの獣や、古きともがらの所縁のものよ。何事にも術理を用いるのはアツァーリの時の流れにそぐわぬ。」


 塩と香辛料を摺り込んだ猪肉を、香草で包み、これを土塊で覆って竈の中へ丸ごと放り込んだ。しばらくすれば竈ごと割って、中の肉を取り出すそうだ。


「さてスタフティよ。火が通るまでの暇潰しに、少しばかり深くそなたを鑑定させてもらってもよいかな。」


 鑑定──占術に属する術理の一つだ。スコルの呪師では、僕の名と年齢までしか見通すことができなかった。

 ツァーリオはいつの間にやら、猪の骨を砕いた欠片で、地に陣を敷いていた。促されるままにその陣の中央に手を差し出す。占術に精通した術師が、占術の助けとなる神の恩寵を受けていれば、このような陣法の支えなしにも高度な鑑定を通すことができるそうだが、ツァーリオはそこまで占術に卓越しているわけではないらしかった。


 手の相、顔の相、血の巡り、魔力の反応を、順繰りに確認していく。それは呪師よりも、癒し手が病傷人を診るような仕草に似ていた。

 ツァーリオが視線を合わせながら、噛みしめるように問いを投げてくる。


「そなたはスコルではない。それは良いな。」


 頷きで応じれば、さらに重い口調で言葉が続く。そもそも僕には頭髪があるし、スコルの戦士らとは明らかに骨格の形が違う。


「そなたは──定命の者ともいえぬ。それも、良いか。」


 ぱちぱちと、竈の火が荒れる音がする。

 困惑した視線を返せば、ツァーリオもまた参ったように見返してくる。


「うむ…どこから話すか。三年前、まだそなたの父、ナーブが酋長として集落を束ねて間もない頃じゃ。スコーリアの嘆きが一際深く山に響いたことがあった。儂は応じて占術を行使し、不完全ながら予知を行った。そして、そなたの父にその予知について教えたのじゃ。」


 これは、恐らく僕の出自に関わる話なのだろうな、と、おぼろげに直感した。断片的に知っていた情報に抜け落ちていた欠片を、この老翁は僕に伝えようとしている。


「それはスコーリアの求める供物の在処についてのであった。しかし初めにそれを手にしたのはスコルではなくシディルギアンだったのじゃ。ナーブは一族を率い、シディルギアンの露天鉱床から掘り出された供物を奪い取った。」


 語り始めたツァーリオの言葉は、更に重くなっていく。


「供物──儂は何らかの鉱物と思っておった。実際、掘り起こされたのは射干玉ぬばたまの巨石であった。しかしそこで三〇〇年無いことが起こった。スコーリアが身じろぎしたのよ。そなたの父の肉体に降りてな。」


 神は現世に権勢を振るいながらも、その実体は神域にある。その神が使徒や信奉者の手によってではなく、自らの力を顕現する、降神の儀が起こったのだ。あろうことか未だ認めぬ眷属の肉体を以て、突発的な形で。


「ほんの一瞬のことであった。神降ろしを受けたそなたの父は錆の異能を強く振るい、シディルギアンを一蹴した。儂にも止める術は無い。眷属としての繋がりも持たぬ神降ろしの負担は計り知れぬ。そなたの父が未だに正気を保っておるのは驚嘆するべきことよ。いずれにしても、スコーリアの求める供物とは希少な鉱石の類ではなかった。巨石の内にあったのは──そなたであった、スタフティ。」


 驚きはなく、腑に落ちた。僕は、僕という存在は神に捧げられる供物として、今日まで生かされてきたのだ。そしてそれもまた感傷を感じるものではなかった。集落を発ってからの怒涛のような出来事が、必然のように思われた。


「僕は、何なのですか。」


 どこか投げやりな口調になったかもしれない。ツァーリオは咎めることなく、瞳に憂いを含んで僕をじっと見ている。


「凶星、と出ておる。そなたは天にあるべき星が、地に堕ちたる者。」


 故に、スコーリアはそなたを似た境遇にある同胞と見て捧げさせようとしたのではないか、と。


 凶星──その言葉に、僕は天を仰ぐ。竈の火以外には何一つ光源の無い闇に、星々が煌いている。白く、あるいは赤く。あの星々が僕の同胞であるというのか。そして堕ちたる神の憐憫が、僕に向けられている。


「しかし、そなたの肉体は定命の者と何ら変わったところは見えぬ。不思議なものよ。三神紀トリニティエラの始まりよりスコーリアに仕える儂も、これまでそのような者と出会ったことは無かった。」


 胸の奥がじくじくと痛む。自分が何者なのかという問いの答え合わせを唐突にされた意味を、どう捉えろというのか。


「僕はスコーリアにお会いすればよろしいのですか。」


「儂はそれには反対の立場でおる。今はまだ。」


 では使徒は何のために、僕をここに呼び出したのか。己の神に供物として、自分を捧げるためではなかったのか。


「逸るでない。今のそなたをスコーリアに捧げても、互いに憐憫を深め合い、閨で数百年を過ごすばかりよ。これは予知などせずとも見え透いておる。それは使徒として仕える儂の望むところではない。」


 ツァーリオはそこで話を打ち切り、竈を崩しにかかる。


 蒸し焼きにされた肉の香りが、夜の山に立ち込めた。香草の清々しさと、大蒜にんにくがほのかに香っている。

 供された夕餉は、口にしたことがないほど美味だった。獣の肉がこのように柔らかく、また滋味に満ちて感じられるとは思わなかった。

 リーコスもまた、占術に使い終えた獣の骨をしゃぶっている。


 ツァーリオは、どこからか盃を持ち出して僕に渡した。彼が手をかざすと、その掌から赤い酒が滴り落ちる。


「スタフティよ、儂に学べ。そなたにはスコーリアの目を覚ませてもらいたい。」


 是非もなく、僕はこの鉄の王に師事することとなった。


 山巓から仰ぐ夜空は、どこまでも高い。

 まだ見ぬ神、スコーリアの御座があるという北の山陰が、篝火にほんのりと照らし出されていた。

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