第一節 スコーリアの寵児スタフティ

スコルの子

 

 山の天気は気まぐれだ。

 気まぐれなのは山なのか、それを司る神なのか。

 

 スコーリアは北辺山脈に住まうと言われているものの、その司る権能は山を治める類ではないというし、かの神が現世に介入すること自体が、口伝に継がれるスコルの記憶には無いものらしかった。

 老いた呪師による魔術と薬草、神にまつわる伝承の講座を受け、その後に普段なら群れの長であるナーブ手ずからに剣の稽古をつけられるはずだった。だが僕は今、なぜか雪山を登っている。



 スタフティ、それが僕の名だ。


 僕はこの雪山に無数にある洞穴の一つで生まれた。

 僕らの部族は自らをスコル、と自称している。この山脈を治める神、スコーリアの眷属であることを示す名だと、呪師から教わった。しかしながら肝心の「神」と呼ばれる存在を感じられたことは一度もない。

 集落の呪師や癒し手、多少年齢を重ねた者らに問い詰めても、今ひとつ歯切れの悪い言葉しか返ってこなかった。系統立てて整理されたわけではない情報を繋ぎ合わせれば、要するにスコルは崇める神その人に、らしい。

「自称」「眷属」というのは、何とも寂しい肩書だ。


 酋長ナーブは、僕の父に当たる人だ。僕と父では外見があまりに違い過ぎるし、ナーブは妻と呼べるつがいを持っていないことから、僕と彼の間に血族としての繋がりが無いことは明白だった。それでも目覚めた僕の弱々しい肉体を外敵から守り、日々に訓練をつけてくれる庇護者であることに間違いはない。複数に分かれて争っていた同族をまとめ上げ、現在の集落を作り出した偉大な酋長でもある。


「父よ、あなたは神スコーリアにお会いしたことはあるのですか。」


 ある時、好奇心から尋ねたところ、父は諭すように答えた。


「スタフティよ。スコーリアはお前を望んでおられるのだ。」


 と。

 そう語った父の目には執念めいたものが宿っていた。その真意を問うと父は困ったように言葉に詰まった。お前なら、スコーリアの目に留まるであろう、と父は呟いた。

 それでも、なぜこの山中に住まうスコルが、スコーリアという神を崇めるに至ったのかが、僕には疑問だった。その点について父は呪師を交えて北辺山脈におけるスコルの苦難について語り聞かせてくれた。


 スコルが──猿に過ぎなかった頃、彼らは北辺山脈の向こう、さらに北の地を追われて流れ着いた。しかしこの地に生息する生物はどれも獰猛であり、虎や熊、猛禽の類に襲われれば一たまりも無い。やがて彼らは坑道に隠れ棲むようになる。山脈の狂気は猿を知恵あるスコルへと変えたが、山における彼らの居場所が変わることはなかった。暗く湿った洞穴を彷徨い、細々と集めた虫やら苔やらを同族で奪い合うみじめな生活が長く続いた。



 ある時、事態を一変させる出来事が起こった。剣、の発見である。


 まだ幼かったナーブはある時、坑道に迷った。迷宮のごとく複雑な道を、どれほど歩いたかは覚えていないという。歩き通し、飢え渇きに集落へ帰ることを諦めかけたとき、それまでに聞いたことのない音が聞こえてきた。

 硬質な物がぶつかり合う澄んだ音は、幼いナーブを導いた。しかし音を追って歩くうちに、それは濁ったものへと変わっていく。頭を押さえつけられるような圧迫感が強くなり、呻き声が響いてくる。視界が暗くなり、道はぐねぐねと捩じれていく。ナーブは夢を泳ぐような感覚のなかを彷徨し、気付くと彼は集落へと戻っていた。その手に、錆びた剣を握って。

 集落へ戻った彼は倒れ、七晩に渡って眠りについた。吹き出る汗に熱病を疑った呪師が彼を看たとき、うわ言にスコーリア、と何度も叫んでいたという。その間、決して剣を手離すことなく握りこんでいた。


 目覚めたナーブは幾度となく迷宮を探索し、剣を持ち帰るようになった。北辺山脈の深奥には至る所に魔剣が捨て置かれていた。それは貴重な宝物とは到底呼べない扱いだったが、持ち帰られたそれらを示し酋長の座に収まったナーブによって、然るべき戦士の手に分配された。

 魔力を帯びた剣の力は凄まじく、一族は洞穴を脱し、陽の当たる山肌へ出るようになった。集落は未だに洞穴にあるが、猛獣を調伏し、あるいは狩ることで、それまでは争っていた同族と共に歩む道を切り開いた。剣の恩寵に浴し、スコーリアとは神の名であると判じた呪師の言葉に、ナーブは自らをその眷属、スコルであると称するに至ったのである。



「だが私は以来、スコーリアのお声を耳にしていない。」


 悔しそうに呟く父に、僕は少なからぬ同情を抱いた。父はスコーリアを奉じたいのだ。捧げよ、と言われれば何をも捧げる覚悟でいるのだ。しかし、肝心の神はその心に応えようとしない。


「苦悶に満ちたお声であった。澄んだ鎚の音が、次第に濁っていく様を、私は終生忘れ得ぬ。」


 その懊悩を解いて差し上げたいのだ、と父は続けた。しかし、私には叶わぬ、とも。

 ナーブの子としては、父の願いを叶えるに如くはない。だが力ある酋長が、そのように弱音を吐く姿を見るのは痛々しい。


「父よ、あなたにはまだ時がある。僕も助けとなることは誓います。しかし、そのようなおっしゃりようはいささか寂しく思います。」


 父の目が、何とも言えぬ光を帯びている。諦観と言うべきなのか。


「ならぬのだ。そなたも逢えば分かる。」


 誰に、と問わせぬ威圧感とともに、父は僕に北辺山脈の探索を命じた。ある人物を探せ、と。父も一度会ったきりの人物、名をツァーリオというらしい。

 初めて聞く名だ。少なくとも集落にいる者ではない。スコル以外の種族か。だが、この狂気の山脈に住む理性ある者がスコルの他にいたとは知らなかった。


「我らが神、スコーリアが唯一お認めになられた方だ。」



 ツァーリオ──その名こそ、スコーリアの第一使徒。

 北辺山脈を逍遥する鉄錆の王の名であった。

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