第9話
村から十分に離れ、辺りを轍を踏む
「……いい人たちだったのね」
「ああ。いい人たちだったよ」
「目的を果たしたら、ちゃんとお礼をしに戻らないといけないわね」
俺は無言を肯定として返答として、周囲を眺める。
――そうだな、魔王を倒せたとしたら、このハンカチを彼女に返すのも良いかもしれない。
「ルエルは、リカルドやアール、エリカ達とあの後どうしたんだ?」
「……実はね、全然覚えてないのよ」
ルエルは正面を向いたまま自嘲する。
「取り乱しててね、気づいたら駐屯地のテントに居て、エリカに散々慰められてたの」
「まあ、なんつーか、ありがとうな」
俺の返答がルエルの琴線に引っ掛かったのか不思議な様子で訊ねる。
「コウ、ちょっと雰囲気変わった?」
「生死の境目を彷徨ったからな。そうかもしれないな」
そこから、ルエルは会話を続かせようと口をもごもごと動かしたがついぞ何も話すこともなく順調に帰路を進んでいった。
共に進む騎士たちとも何事も話すことなく淡々と時が過ぎていく。
木々の隙間は広くなり、更に道は平たんに。もうそろそろリカルドたちが陣を構えているという平原に差し掛かろうとしていた。森を抜ければすぐにでも陣地へと一直線に辿り着けるようだし、変な警戒もしなくて済むだろう。
じくり、と不意に首の裏が疼いた。ひりひりとその疼きは無視できない程に大きくなっていく。俺は後ろ髪を引かれる思いで背後に振り返った。
じりじりと首筋に不快感がまとわりついている。それを振り払うように俺は後方の空を見上げた。
「戻るぞ」
脈略もなく、俺はルエルにそう言った。
「え、え? なんでよ」
状況が読み込めず、ルエルは俺と隣の騎士たちを交互に見た。
「兎に角っ、戻るんだよ!」
謂れのない焦燥感が我が身を襲う。首の裏のひりつきを一度認識してしまうと嫌にでも意識してしまう。
声を荒げて指示をしても誰も動かない。否、動けない。
俺は舌打ちをしてルエルの脇を抱え、彼女と座る位置を交換する。
「えっ、え?」
馬の手綱を握り、反転させる。馬が嘶き、振り落とされかけたルエルが咄嗟に俺の腰に抱き着いた。
「ちょっと、コウ!?」
「掴まってろ!」
背中から小さな悲鳴が聞こえたが、無視して来た道を折り返した。
馬を駆り、行きよりもおおよそ倍の速度を出して戻ると、村にはいつもの穏やかな様子はなく騒然としていた。
入口近くの木製の簡素な柵は破壊されている。その残骸の傍にいつも門番を買って出てくれている顔見知りの男性が背を預けていた。
俺は下馬し、その男性の元へと近づく。
「コウイチ君かい……」
男性は俺の存在に気付いたのか、苦しそうな表情で俺の名前を呼んだ。出血や目立った外傷はないものの顔色が悪く、声を出すだけでも辛そうだ。
「何があった」
「緑色の鎧を着た兵士たちが、来たんだ」
緑色、己の中にある苦い記憶が呼び起こされる。
遠ざかる悲痛な表情、下で嘲笑う緑鉄鎧の男、岩に激突する衝撃。俺は瞼を伏せ、開く。
大丈夫だ。痛みを思い出したからといって自分を失う事はない。
「彼らは……」
男性は激しく咳き込み、口から血を吐き出した。
「無理をするな。ヤツらは村の中だな」
男性は無言で頷いた。
「ルエル、彼の介抱をしといてくれ。遊撃騎士の連中が追いついたら」
俺の言葉を遮って同じ証言を聞いていたルエルが二の句を継いだ。
「山賊軍のやつらが居る。って伝えておくわ」
緑鉄鎧の粗野な兵士たち。リカルドたちが俺を探す為に調査隊を派遣していたのと同じ理屈で、俺たちを襲撃した敵軍――マクロッテ山賊軍のやつらも調査隊を編成したのだろう。その可能性の一端にでも気が付いていれば……。自らの浅慮さに唇を噛みしめて強い情動に身を任せそうになる。
「コウ、」
馬から降りて門番の男性を介抱しているルエルが大きめの声で、だけれど静かな想いを込めて云う。
「死なないでね」
彼女のあまり見る事のない真剣な表情に肩から力を抜く。
「“今度も”、死なないさ」
俺はそう嘯いて村の中へと駆け出した。
村の中は思っていたほどの惨状が繰り広げられてはいなかった。家の扉は開け放たれ、家財道具などを荒らされていたが死体も血痕も一切ない。
村長や大人たちが賢い選択をしてくれたのだろう。抵抗せずにどこかで拘束されるように誘導して被害を最小限に留めようとしたのだろう。
「だとすると大人数が固まれる場所といえば」
やはり村長の家付近だろう。一番敷地が広く、見たことはないがそこそこの物品も死蔵されているという。
俺はアタリをつけて村の中を駆けていく。小さな村だ、目的の場所へはすぐに辿り着いた。
案の定、村長の家にある広めの庭に村民たちが集められていた。手や足は縛られていないが、すぐ近くで粗野な緑色をした鉄鎧の兵士が睨みを利かしている。家の傍に建てられた納屋から様々な物品が運び出されては地面に並べられている。
俺は隣家の陰からその様子を窺う。人質たちの中にはもちろんレナや、子供たちもいる。今は財物の運び出しや確認の方に人手が回っているが、それが終わったあとはどうなるのか分からない。山賊兵の事だ、女子供を効率よく利益にする方法なんて熟知しているだろうし、男衆に限っては命の保証はない。
俺は歯ぎしりをして背に手をまわす。しかしその手はむなしく宙を掻く。そうだ、弓矢はない。駐屯地にリハビリで使っていたものよりも良い物があるからと、狩人のおっさんに返したままだ。
次に腰に手を触れる。鋼鉄のひやりとした柄頭が指先にあたる。こっちは一応念のためとルエルからぶんどった短剣。
ひい、ふう、みい、と俺は冷静に視界に映るかぎりの敵兵を数える。
蔵の中にいるのを加味してもざっと十数人、多勢に無勢、一人で挑むには些か蛮勇が過ぎる。人質の中には狩人であるリュミシラ氏を筆頭に腕に自信がありそうな若衆が数名。それでも、相手は兵士で戦闘のプロだ。“山賊”を名乗っていて、たとえ練度がそこまで高くなくとも素人とは戦闘力、経験に差があるからはっきり言ってアテには出来ないだろう。
どうするべきか、爪を噛んで考えていると背後から気配無く、近寄ってきた人物に肩を叩かれる。
咄嗟に短剣を抜きかけ、その人物が先ほどまでお供をしていてくれていた遊撃騎士の一人であることに気付いて寸での所で押しとどめた。
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