第7話

 意外と早く、旅立ちの時は訪れた。

 レナに無意識的に告白してしまったその日、滔々と彼女に『自分が抱いているのは家族の親愛であって恋心ではない』と説得、もとい熱心に説明をして誤解をさっぱり解いてから数日後。この日もリハビリの一環として軽く運動しようと村に近い、森の浅い所に入って柔軟体操をして身体を解していた時だった。

 突如感じた人の気配に俺は咄嗟に身構えた。朝早くに森の、こんな浅い場所に人が来ることはこれまで無かったのだ。猟師などの森で生計を立てている人間はまず動物もいないこんな浅い場所には来ないし、山菜や薬草を摘みに来るとしてもこの辺りにそういった類の植物は存在しない。

 そんな場所に見知らぬ気配が現れたのだ。十分警戒するに値するだろう。俺は警戒したまま近くに立てかけてあった短剣を取り、柄に手をかける。

 ヒトや“動物”でない可能性も考えられる。森奥からここまで降りてきた魔獣の類かもしれない。この辺りは穏やかといっても、当然に魔獣魔物の類が存在していない訳ではないのだから。くさむらに向かって叫ぶ寸前に、ひと際大きく照葉が揺れその人物が姿を現す。


「――ルエル?」

「はぇ? コウ?」


 気の抜けた返事をしたのは栗色の髪を一本の三つ編みに束ねた少女、ルエル・フリージア。動きやすいズボンと長袖シャツに革の胴当てと脛当てを身に着けている。腰にはさほど重そうではない枝葉を払うためだけの短剣を帯びている。そして、その装備のどこかしこにも木々に擦ったであろう細かい傷があった。


「コウ! ホントにコウなの!?」


 感極まって、ルエルは髪に葉っぱをつけたまま俺に抱き着いた。


「生きてるのよね、幽霊とかじゃないわよね、ね」


 存在を確かめるようにぺたぺたと俺の顔や上半身を触る。


「ああ、この通りぴんぴんしてるぞ」


 俺は再会の嬉しさに眦を下げながらルエルの頭を撫でる。

 次第にルエルは俺に体重を預け、胸元に頭をうずくめる。


「ひぐっ、よかったぁよぅ……」


 嗚咽とすすり泣く声が胸元から聴こえる。


「心配かけたな。俺はこの通り生きている」

「ほんとぉよぅ! よかったぁ……」


 それから暫くルエルは再会を噛みしめるかの如く泣き続けた。数十分くらいか、それなりに長い時間二人で抱き合っていたと思う。ルエルは落ち着いたのか赤く腫らした目元を上げて俺の顔を覗き込む。


「落ち着いたか?」


 そう訊ねるとルエルはコクコクを頷いた。


「どうしてここに?」

「うん、それはね――」


 時折しゃくりあげ震える肩を抑えながらルエルは語る。

 俺が崖下へ落下したのち、リカルド達遊撃騎士隊は敵勢力を殲滅、そのまま山間部を抜けた平野で陣を構えているらしい。

 討伐軍、本隊の到着までに周囲の探索と安全確保をする為に調査隊を出すことになったのだが、そこで幾人かが気を利かせて調査隊の隊長にルエルを抜擢したのだ。

 やることはあくまで周辺の調査、斥候ではなく調査なので人員も最小限でルエルの他には騎士が二名付くだけだった。隊長はルエルで調査方針も彼女が決める。名目上は調査という事になっているが、実質的にはコウ・ヘンドリクスの捜索という事であった。

 彼女らは来た道を戻っている途中で俺が落下した谷底に通ずるであろう河川を発見。そして蛇行している川沿いを遡っているうちに、俺の世話になっている村が生活に使っている道を見つけたのだ。


「そこからしばらく探索してるとね、頭にびびっと来たのよ」

「頭に?」

「うん、『こっち行ったら何かありそうだ』ってね」


 ルエル曰く、乗っていた馬と騎士たちを置いて単独で森の中を駆け抜けてきたらしい。馬に乗っていると進めない道なき道を走り抜けてきたようだ。


「結果、こうしてコウを見つけられたのだし私の勘も捨てたもんじゃないわ」

 泣きはらした眼でカラカラと笑う。やはり彼女には笑顔が似合う。

「それで、コウは? どこでどうやって……」

「コウイチ?」


 ルエルが疑問を全て吐き出そうとしたところで二人の背後からそれを遮る声がする。

 姿を現したのは、少し物憂げな表情をしているレナ・マルティネスだった。


「コウイチ? そのは……」

「ねえ、コウ。この女は誰?」


 ぴしり、と空気が軋む音が聴こえるようだ。

 女性二人の間に威圧じみた圧迫された空気が漂う。


「……そう。この娘が、この女性ヒトがルエル・フリージアさんね」


 ふと、二人の間に流れる不穏な空気が和らぐ。俺はその隙を見逃さずルエルの頭を軽く小突いて窘める。


「こら。彼女は俺の命の恩人だ」

「いたっ、そうなの?」


 ルエルは上目遣いで俺とレナを交互に見比べる。


「ええ。彼の言っている事は本当よ。川で溺れていたところを助けたの」

「そうなのっ!」


 レナの言葉を聞くやいなや、飛びつきそうになるルエルの首根っこを掴まえ制止する。


「コウを助けてくれてありがとう。私はルエル、って彼からもう聞いているわね。アナタのお名前は何ていうの?」


 制止など気にも留めず、ルエルはレナの手をとって矢継ぎ早に捲し立てる。レナはその勢いに気圧されて半歩後ずさる。


「ええ、えっと。私はレナ・マルティネス、すぐ近くにある村で医者の真似事をしているわ」

「お医者さま! 私とそんなに変わらないのにすごいわ!」

「あ、ありがとう」


 レナは戸惑いながら為すがまま、ルエルの質問や疑問に相槌を打っている。

 先程の張り詰めた雰囲気はどこへやら、姦しく話す二人の様子に俺は安堵する。


「へえ、レナは人だけじゃなくて動物や植物も診れるの! すごいわ、おとぎ話の大魔法使いみたいだわ」

「そ、そうかしら?」


 たじたじ、という表現がしっくり来るようなレナの表情はこれまでで一度も見たことのないような面白い顔をしていた。

 しかしこのまま立ち話で済ますというのには長くなりそうで、俺は視線の先の女性二人に提案する。


「二人とも、取り敢えず村へ戻らないか。長い噺には茶も必要だろう?」

「そうね、もしかしたら付いて来てくれている騎士の二人も村を見つけているかもしれないし」


 俺の提案にすかさず乗ったのは意外にもルエルであった。続いてレナが、


「それなら早く戻らないと。長やみんなに説明しないと」


 何時もの調子を取り戻したレナが俺たちを先導する。もちろん、ルエルの手は握ったままで。


「これも、ルエルの力ってやつかね」


 俺はこんな短時間で打ち解けた彼女たちを追って歩き始めた。

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