第6話


「え、マジ? 本当に?」

「リュシオ・ヘンデルカットは確かに親父の芸名だ」

「うわー本当に、ねえ握手、握手しましょうっ」


 レナは俺の手を取って上下に振り回す。親父はテレビで冠番組を持つくらいには有名だった。最初の頃は無名の素人だったのだが、自費出版でサバイバル技術本を出版した結果、それが売れるに売れてそれに目を付けたテレビ局から声がかかり……。と絵に描いたような成功譚が亡くなった我が親父殿にはあった。


「落ち着け、俺は親父でも何でもねえんだからよ」

「あ、そうよね……」


 彼女は熱覚めぬ様子で所在なげに手をすり合わせている。


「でもMr.リュシオの息子さんにこんな所で会えるなんて……そうだったわ、彼、お気の毒に」


 レナは一転して悲痛な面持ちで俺の手を握る。親父が死んだことを悲しんでくれているのだろう。


「ありがとうな。アンタみたいな熱烈なファンがいて親父もさぞ嬉しいだろうよ」

「亡くなったのは撮影中の事故だったかしら」

「そうだ」


 親父はテレビ収録の最中に登っていた木から落下して死んだ。Even Homer sometimes nods猿も木から落ちる、百戦錬磨のサバイバリストも所詮人間。死んでしまう時はなんとも呆気ないものだ。


「本当に残念だわ。彼のような人気者を亡くしたのには心が痛んだわ」


 レナは今一度、黙とうを捧げる。俺も釣られて瞳を伏せた。しばらくしてから二人とも目を開けた。


「ということは、コウイチの弓の腕はお父様直伝ってことかしら」

「いや、親父に教わったのはほんの触りだけであとは祖父さんから教えを請うた」

「おじい様も弓を使えるの? もしかしてお父様も彼から教わったのかしら」

「そうらしいな。もっとも、親父はほとんど独学らしいがな」


 彼女の傍から離れて再び長弓に矢を番える。極限まで弦を張り、放つ。

 矢はコップの縁に命中し、台にしていた切りっぱなしの丸太の上から転がり落ちた。


「ナイスショット!」


 レナから喝采とはいかないまでも拍手が送られる。俺は弓の構えを解いた。飛ばしてしまった矢は回収しない。鏃もついていない、只の木の棒に矢羽根をくくりつけた簡単なものだ。失くしてしまっても大した痛手にもならないのだ。地面に転がるコップ拾い、丸太の上へと戻す。

 最初に立っていた場所に戻り、再び弓を構える。


「どれだけやるつもり?」

「ここの矢筒がなくなるまで」


 俺は足元にある矢筒を叩いて彼女への答えとした。




 宣言通りに矢筒の中身を全て使い切る頃には、太陽は天辺を超えて日が傾きかけていた。

 訓練の合間にはレナが持ってきていた昼食を食べたり、見学し続けているのに飽きた彼女が一人で森の奥に入っては山葡萄や野いちごなどの山の果物を取ってきたり、二人で緩やかな時間を過ごした。

 流石に疲れて、身体の節々を伸ばすとぱきぱきと音がする。


「帰るか」

「あ、待って。行きたいところがあるの」


 恙なく肯定の言葉が返ってくると思いきや、レナは思い出したように柏手を一つ叩いた。


「遠くか?」


 俺は言外に“暗くなる前にたどり着ける場所か”と問う。

 この辺りは魔獣や獰猛な獣の類もおらず、ましてや魔物なんてお目にかかったこともないくらい穏やかな森だが、日が落ちてから移動するにはそれなりに難儀する場所でもある。


「ううん、近く。ついてきて」


 同意を伝えるよりも早く、彼女は意気揚々と木々の向こうへと先導する。

 俺は軽く肩を竦めながらも無言で彼女の後ろをついて歩く。慣れているのか、それとも“眼”の力なのか、軽快に獣道を進むレナ。

 少し歩くと木々の隙間を通り抜けるそよ風に、潮の香りが混じっていることに気付く。


「ほら、見て」


 そう言ってレナは俺の手を取って横に並んだ。

 視線を上にあげると、視界いっぱいに夕暮れ色に染まった海が広がっていた。


「――おおっ」


 水平線の向こうへ朱く輝く太陽が沈もうとしている。凪いだ海面に太陽が反射して鏡のように映り込んでいる。

 暫しその光景を口を噤んで眺める。太陽が水平線上に半分沈んだくらいでレナが口を開いた。


「綺麗でしょう」


 心の底から自慢するように、そして望郷に浸るようにレナは深く息を吐いた。


「そうだな」

「この光景はね、私がこの世界に来て初めて見た光景なのよ」


 彼女は来た方向とは真逆を指さす。


「あっちから道もわかないまま彷徨って、光の見えたほうに咄嗟に走って抜けた先の光景だったの」


 レナの瞳には当時の光景がそのまま映っているのだろうか、目を細めて感傷に浸っている。


「泣きながら一日中、たった一人で見知らぬ森の中を彷徨い歩いて、とうとう日も暮れてどうしようもなくなりそうになった時にこの光景にぶつかったの。その時の感情は今でも忘れたことはないわ」


 今ではその恐怖さえも大切な“財産”になっているのだろう。レナは胸の前で両手を組む。


「とても、とても安心したのよ。こんな知らない土地でも海と夕日は変わらずにあるんだって――」


 この風景は故郷ステイツのものと変わらない。世界を跨いでも海の青と夕日の朱は変わらない。俺はごく自然に彼女の腰を抱いていた。レナも俺に体重を預ける。


「夕日に見惚れていたらね、たまたま近くを通りかかったリュミシラおじさんが助けてくれて……、あとはこの前話した通り」

「―――。」


 どうして話したのか、そう訊きそうになって閉口した。彼女にも勿論、村の誰にもここを離れるという事を話してはいない。しかし、聡い彼女は気づいたのだろう、そして聡明な彼女は俺を引き留めたりはしないのだろう。だからこの場所で、この世界においての自分の基幹ルーツとなる場所で自分の想いを共有したかったのだろう。

 もう二度とには会えないかもしれないのだから。


「なあ、レナ」

「ん」


 センチメンタルな気分に引き摺られたのか、何時もなら言わないようなセリフを零してしまう。


「俺と一緒に来ないか」

「出来ないわ、それは」


 レナはほぼ即答した。彼女なら断る事くらい分かりきっていた。この場所あの村には彼女にとって様々なしがらみと、大切な人たちが居るのだ。俺みたいな来訪者Outsiderとは違って。


「だろうな」

「分かってて訊いたの?」


 俺は自嘲げに口元を歪めた。


「俺は、近いうちに村を出る」

「やっぱり、そうなのね。……あとどれくらい居るつもり?」

「未定だな。今日実際に弓を撃ってみて思っていたより酷かったからな」

「――そう。さぁ、村へ戻りましょう! もう暗くなっちゃったし」


 気を取り直して、そんな表現が似合う動きでレナは来た道を引き返す。


「ああ、そういえば忘れていたわ。私が転移してきたときに一緒にあった航空コンテナも村に保管してるのよ。明日くらいに連れて行ってあげる、もしかしたらアナタの荷物もああるかもしれないし」


 まるで、友人だと思っていた人物から告白された後のように、レナはいそいそと少しだけ早足で獣道を歩いて行った。


「あーっ」


 そのレナの態度でやっと、今更になって俺は結果的に告白していたという事に気付いてしまい頭を抱えたのだった。


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