第5話

 子供たちに寄って集ってもみくちゃに遊ばれ、日課にしている基礎運動よりもハードな遊びをしていたら、いつの間にか日が落ちていた。

 各々の家庭から夕食を告げる声が聴こえ、子供たちは後ろ髪を引かれながらも家へと戻っていった。

 自身もレナの家に疲労困憊で転がり込むと呆れた顔で彼女は出迎えてくれた。

 今日のディナーはシチューのようでドアを開けた瞬間からいい匂いが鼻腔をくすぐる。


「もう少しで出来るから待ってね」

「おうよ」


 軽く返事をして部屋の中央に置かれた円卓に着く。

 木と少しばかりの石材で作られた小さな家だが、人間二人が住むには過不足ない。嵌め殺しの窓からは他の家の明かりがぼんやりと映っていた。壁際にある小さな暖炉の上には何本ものキャンドルがゆらゆらと火を灯している。森の中の村だからか、街などでよく見かける魔道具の照明はなく、代わりに持ちもよく煙も少ない蝋燭で光源を賄っている。

 反対側に顔を向けると辞典や図鑑の入った小さめの本棚が目に入る。本棚の最上段には一つの写真立てが伏せて置かれている。この世界……というかこの国では写真技術を見たことがないのでおそらくレナが最初から身に着けていた物の一つだろう。家族か、あるいは恋人か。彼女の口からそういった話題が出たことは記憶に無く、率先して語りたいものでもないのだろう。

小さく区切られた土間に竈と台所があり、そこではぱちり、ぱちりと薪の爆ぜる音とレナの陽気な鼻歌が聴こえてくる。


「なあ、俺が川から流れて来た時に弓を背負っていなかったか?」


 俺は何ともないていを装い、レナに言った。

今日か明日から弓や格闘術も含めたより実践的なリハビリを始めようと思い、弓の存在を思い出したのだ。


「弓? ……ああ、空の矢筒は持ってたけど、弓は見なかったわ」


 レナは少し考えるような仕草をしたあと、目を細めて答えた。

 俺は彼女の返答に肩を落とす。


』とはルエルと出会った修道院からの付き合いで、とても手に馴染んでいたので失くしたとなると若干凹む。あまりにも長い時間を共に過ごしてきただったので“手元に無い”という状況になかなか気付けず、今頃になって狼狽えているのだ。


「弓なら村の外柵の、近くに住んでいるリュミリシラおじさんの家にあると思うわよ」

「リュミシラおじさん、か。確かこの村の狩人だったか」


 村民については全員を把握している訳ではないが、要職に就いている人に関しては一通り挨拶はした。

 リュミシラ氏は村随一の猟師で狩りの腕前は良いらしい。


「そうそう、頼めば予備の弓を貰えるかもしれないわよ? あの人、狩り道具に関しては全部自作だって言ってたし」

「弓までも自作か。すごいなそりゃあ」

「明日訪ねてみたら」


 シチューが完成したのかレナが器を二つ持って席に着く。このシチューに入っている食肉もリュミシラ氏が獲って来たものらしいし、狩人としての腕が伺い知れる。


「そうするか」


 シチューに固焼きのパンを付けて食べる。パンの塩気がシチューと混じって丁度良い味にまとまる。


「うん、美味いな」

「どうも、ありがとう」


 レナは穏やかに目を細めて自らもシチューに手をつけた。


「どうして弓を?」

「そろそろ次の段階に行くべきかと思ってな」


 体力もある程度戻っているし、ここいらでより実践的な訓練を積まないとなあなあに滞在が伸びてしまいそうなのだ。ここは、居心地が良すぎる。


「私もついて行ってもいいかな」


 レナは指についたシチューを舐めとりながら言った。どうしてかと理由を聞くと、


「コウイチの腕前を見てみたいし、それに私がいれば体調の変化に気付けるでしょう」

 確かに隙のない理由だ。彼女の“眼”で見てくれるのならば動きすぎて故障することはないだろう。


「リハビリなんだから過度な期待はするなよ」

「わかってるわ、もちろんね」


 彼女は俺よりも早く皿の上の物を平らげて静かに微笑んだ。




 ビュウ、と風切り音と共に放たれた矢が飛翔する。

 的として置いたコップめがけて宙を飛び、そのままどこにも命中することなくあらぬ方向へと飛んでいった。

 俺は矢の描く軌跡を眺めてため息を吐いた。すぐ隣では切り株の上に足を組んで座っているレナが、きょとんとした表情で首を傾げている。


「ナイスショット?」

「んな訳あるか」


 少しだけ腕が痺れるような感覚がする。やはり普段通りのトレーニングだけでは使う筋肉全てを鍛えることはできていなかったようだ。

 続けて二射目を構えて、放つ。

 先ほどよりかはコップに近い場所を矢が通り過ぎ去っていく。


「駄目だな」

「それは弓が? それとも自分が?」

「どっちも……って所だな。俺は長弓は使い慣れてないし、それ以前に筋力が思った以上に落ちてるな」

「でも弓の素人は矢が真っ直ぐにすら飛ばないって。真っ直ぐに放てるコウイチは“上手”の部類に入るんじゃないの」

「お褒めに預かり光栄でございますー。詳しいな、その知識はどこで得たんだ?」


 俺は照れ隠しにおざなりな返事をして話題を無理やり逸らす。


に居た頃テレビで見たの。番組名は確か、『リアル・サバイバー』だったかしら」


 レナは頭を捻らす素振りをして呻る。彼女の言った番組名には聞き覚えがあった。


「あー、それって主演がリュシオ・ヘンデルカットの番組か?」


「あら、見てたの?」


 同好の士を見つけたり、レナはにやりとする。


「見てたっつーか、何というか……その主演、俺の親父なんだわ」


 俺が言い終えるより早く、レナは殊更に驚いて勢いよく切り株から跳び上がった。


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