第2話
◇
意識が覚醒する。目が覚めて初っ端、右脚と腹部に走った激痛に顔を歪めた。
「っ、いってぇ」
上体を曲げてしんしんとした痛みを堪えてから脚と腹に目をやると、そのどちらも包帯がこれでもかというくらい巻かれている。
誰が治療したのか、そしてここはどこなのか。俺は情報を整理するためにわざと独り言を呟く。
「俺はコウイチ・ヘンドリクス。ミズーリ州出身、父はリュディオ、祖父はフロイド・K・ヘンドリクス。最も新しい記憶は魔王城があるとされている地域へ行く道すがら、敵勢力の妨害を受けて……」
じくり、と腹の傷が軋む。
「……敵兵に襲われていたルエルを助ける為に体当たりをブチかまして、そのまま敵兵もろごと谷底に落下した、か」
通行していた道は崖沿いで谷の底まではかなり距離があったはずだが、怪我が右脚と腹部だけで済んだのは幸いだったか。
どうやら幸運にも、怪我をした俺を雨風をしのげる場所まで連れてきて治療までしてくれた奇特な人物が存在するみたいだ。
右脚に手を触れる。包帯の下には固い木板が入っているようだ。治療の状態を鑑みるに、俺を助けた人物は応急処置の心得があるようだ。
この世界には治療術とかいう面白不可思議エネルギーで傷を治療することが多く、このような適切な応急処置がなかなか広まっていない。辺境の地では未だに呪術師のまじないが信じられている場所もあるという。
下手をすればその手の輩に毒草を飲まされていたかも知れないと思うとゾッとする。
俺はたらればを考えても仕方ないと、周りを見回した。
目を覚ました場所は木造の家のようだ。簡素なベッドに毛皮の毛布、ベッド隣りの鏡台には水差しと木のコップ。視線の位置よりも高い場所に窓があり、ベッドに腰かけた状態では外の様子を窺い知る事は出来ない。
もっと情報がいると身体を動かそうとして右脚から来る激痛に脂汗が吹き出す。あまりの痛さに蹲ろうとして今度は腹に突き刺すような痛み。俺は悪態を吐いてゆっくりと身体をベッドに横たえる。痛みが和らぐまで安静にして、一息ついて仲間の事を考えた。
あの場に居た味方はリカルド達遊撃騎士とたまたま一緒になった戦闘神官アール、近くの街から依頼を受けて同行していた冒険者エリカとその同僚たち。
そして、弓の実力と狩人としての知識と経験を買われて同行することになった俺とその同行者ルエル……彼女は無事だろうか。
俺が谷底へ落下する瞬間の、彼女の表情は忘れられない。ようやく見つけた拠り所を失うような悲嘆に暮れた表情だった。
始めは一宿一飯の恩を返すつもりでルエルの“故郷へ帰りたい”という願いを聞き入れた。その沿線上で彼女の我侭を訊いていた――なまじ修道院育ちだったからだろう、困っている人間を見捨ててはおけない性質なんだろう。もしかすれば、姉替わりのヒトを亡くしたトラウマから無意識的に施しをしなければならないという脅迫観念があったのかもしれない。そんなルエルを見ていると危なっかしくて傍にいなければならないと、男だから俺が守ってやらないといけないと……。
思考の海に埋没する寸前に前触れもなく部屋の扉が開かれた。
「あ、起きたんだ」
気の抜けた声と共に部屋に入って来たのは一人の妙齢の女性だった。どことなくアジア系を彷彿とさせる目鼻立ちで、瞳の傍にある泣きボクロが色香を漂わせている。暗いブロンドの髪を三つ編みに一束ねにしていて、両腕で抱えている籠には多くの野草が顔をのぞかせている。この女性には初めて会うはずなのに彼女を見たとき何故か既視感があった。
「アンタ、どこかで……」
既視感の正体を探ろうと口を開けかけたが、彼女は人差し指を口元の前に伸ばした。お静かに、のジェスチャーだ。
「ストップ、お話しは怪我の確認のあとでね」
先んじて俺の言葉を封じると、籠を鏡台の上に置いてから俺の右足に手を添える。
彼女はじっ、と何かを凝視するように目を凝らす。1、2分その状態のまま制止してから次は腹の上に手を添えて同じように何かを凝視する。
「うん、変な内出血もしていないし、足の骨折を除けば健康ね」
彼女は浅く息を吐いて目頭を揉み解した。
「なぜ分かる?」
「それも後でね。まずは私の質問に答えてほしいの」
まるで小学校の教師みたいに姿勢を正して俺に問いかける。
「貴方、ラムダ航空787便の乗客かしら?」
彼女の一言で次々と埋もれていた記憶が呼び起こされる。飛行機、離陸前、手荷物が荷棚に上手く入らないと騒ぐ女性。
「ああ、嗚呼! そういやアンタ、俺の右後ろの席で手荷物と格闘してた!」
「よかった、私の見間違いでなかったようね」
ほっとした様子で彼女は微笑んだ。
ラムダ航空787便……日本国の成田からグアム島への直行便で、俺がこの世界に転移する前まで搭乗していた飛行機便だ。
787便は快適に東シナ海上空を航行中、乱気流に突入した。乱気流の中を航行する事はよくある事で、通常ならば墜落するどころか機体が大きく揺れる事すらないのだが、その時は違った。一瞬にして機体が反転し乗客たちは恐慌状態に陥った。かく言う俺自身も『ここで終わりか!』と死を覚悟して目を瞑った。しかし死ぬことはなく、目を開くとそこは森の中。いつの間にかこの世界に転移し、それから紆余曲折あり今に至るという訳だ。因みに、同郷……ラムダ航空787便の乗客は押しなべて、時間差、時代の差はあるもののこの世界に転移している様で、俺が会ったことのある乗客は彼女で三人目である。
「あ、ごめんなさいね、自己紹介もまだだったわ」
彼女は嬉しそうに目を細めて胸に手を置いた。
「私の名前はレナ、レナ・マルティネス」
俺はすかさず右手を差し出し、返答する。
「俺はコウイチ・ヘンドリクスだ。こっちではコウ、と名乗っている」
「そうなの? なら私もレナって呼んでね」
レナは目尻を下げて俺の手を取った。
彼女の手は夢で見た爺さんの手と同じ温度をしていた。
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