第10話

 エリカが生きている、その可能性の芽があると知った私の心にはもう哀しい暗雲はなく、雨上がりの空のようにすっきりしていた。


「エリカが不明になった時の詳しい報告と掃討軍の頭としてこれからどうするのか、聞きたいのだが、良いか?」


 コウがジョナサン総司令に伺いを立てる。エリカはなぜ消息不明となったのか、彼女の救出作戦は実施されるのか、私の聞きたかったことを彼は先んじて問いかけた。


「いいとも。だがしかし……説明するのにはこれまで戦況も込みで話さないといけないから長くなるよ?」


 同意を求めるように彼は私を一瞥した。私はそれに彼の服の裾を引っ張ることで答える。


「構わない」

「よろしい。カークス、彼らに椅子と何か飲み物を」

「畏まりました」


 カークス殿はお辞儀をして指示された物を取りに垂れ幕の外へ向かっていった。


「では、説明をしようか……」


 ジョナサン総司令は憂いげな表情でそう語り始めた。




 魔王討伐から一年が経ったくらい、それくらいに王城へとある一報が舞い込む。

『北部、旧魔王領隣接地域にて敗軍蜂起の兆しあり』

 長らく息を潜めていた魔王軍の残存勢力が動き出したのだ。元々、戦勝によって手に入れた新たな土地の制定や統率を失った魔物、魔獣を殲滅する為に軍は動かしていたのだが、その報告を受けて王城は援軍を追加で編成する事を決定した。

 そのふた月後、ラーヤレガス正規軍と頭数を揃えるための諸外国からの義勇兵を率いてジョナサン総司令は王都を出発した。

 魔王軍残党は少数の兵と中規模の魔物の軍勢を率いて南下していた。掃討軍はそれを難なく撃退し敵を押し戻す事に成功。その次の戦闘も、またその次も……。当初は順調に事が運び、総司令自身も肩透かしを食らっていた。

 戦況が変化したのは最終局面、敵本拠地と目と鼻の先に掃討軍が到達した時だった。

 その城は大河の中洲にあった。灰色の石材と色とりどりの木材が映える美しい城だった。特徴的なのは関所として使われていた名残か、対岸に渡るためにその城を中心として一本の道のように橋が架かっていた。

 一直線に伸びる橋のお陰で守るに易く攻めるに難い城塞だった。矢張りというか、追い詰められた残党軍は自らの背後にある橋を崩し、侵入路を一つにしぼって籠城を開始したのだ。

 しかし、敵の行動を予測していたジョナサン総司令は程なくして全軍による空・地両方からの先制飽和攻撃を指示、他国の軍もそれに追随し類を見ない規模の攻撃作戦となった。

 空からは岩石や丸太が降り注ぎ、河岸からは攻撃魔法と矢の雨。あまりの苛烈さに辺り一帯から音が消えたと謂われている。続いて巻き上げられた塵煙に三列横隊で吶喊する歩兵。気迫、士気共に十分、崩れた城門を超えて場内を制圧すれば作戦は終了だ。誰もが勝利を確信したその時であった。

 一陣の突風が吹き、視界を塞いでいた塵煙が巻き上げられる。歩兵たちの前に表れたのは傷一つなく聳え立つ城門だった。

 敵は城全域を覆うほどの強固な魔法防壁を備えていたのだ。それに気づいた中隊長が急ぎ反転するように指示を出すも、敵による迎撃のほうが早かった。

 その後の戦況は悪化の一途を辿った。一方通行で幅の狭い橋梁が先頭で持ちこたえていた兵の後退を阻害し、塵煙に包まれたままの後方部隊は何も知らずに前進する。正確な情報が伝わらないまま、兵士たちは死地へと送り込まれ続ける。今になって分かるが、先制攻撃に乗じて敵が煙幕を撒いていたのだろう。そして城門前でのみ風魔法を使って煙を散らして射線を確保し、一網打尽にする。

 敵の思惑に気付いた頃には時既に遅し。多くの命が失われ、掃討軍は撤退を余儀なくされた。

 撤退後、再び攻勢をかけようとしても河岸周辺では敵ゲリラ兵による散発的な攻撃があり、致命的な損害は無いものの決定打を与える事も出来ずに時間だけが過ぎていった。


「その現状を打破するべく実施されたのが先の作戦だったのさ……。魔法使い数名と護衛兵士の少数精鋭で、夜間に上流から水魔法による水中歩行で城壁に張り付き、そのまま中へ侵入して敵の防衛兵器を破壊する算段だった。しかし敵がソレを想定していない訳もなく報告からだと、丁度城内に侵入したあたりで察知されてしまったらしくねぇ」


 ジョナサン総司令は苦虫を噛み潰してしまったように顔を顰めた。


殿しんがりを務めてくれたエイリーシャ嬢のお陰で魔法使い、護衛兵士ともにの損失はゼロだったのだけど……」

「肝心のエリカは戻らず、か」


 コウはすっかり冷めてしまった紅茶の入ったマグカップを口元へ運んだ。


「焦れたお偉いさんたちからの圧力に屈してしまった……というのは言い訳にならないね。済まない、私たちの失策だ」

「いいや、奴さんの指揮者もなかなかの曲者みたいだな」

「手に入れた情報からだと、敵の指揮官は次期魔王軍大将軍になる予定だった若者らしい」


 コウは片眉を上げてお茶を啜った。


「ほう? まだそんなヤツが残ってたのか」

「なんでも総力戦前にど田舎に左遷されてしまったらしいんだよ。それでそのまま反撃の機会を窺っていたって所かな。本当に、厄介なモノを遺していってくれたよね、ヤツらは」


 ジョナサン総司令は深いため息を吐き、目頭を揉み解す。


「それで、エリカの救出作戦は練っているんだよな?」


 眼前の大将格二人を値踏みするようにコウは話題を切り出す。


「それが……真に申し上げ難いのですが……」

「正直、手詰まりだよねえ。敵の城には強固な防壁と多くの魔法使い、まだまだ籠城できるような蓄えと別動隊なのか巧妙に地下道でも隠しているのか、練度の高いゲリラ兵による攻撃。こっちにあるのは士気の低い兵士と足を引っ張る他国のお偉いさん方だけ」


 渋い顔で事実を述べる二人。私はおずおずと右手を上げて発言する。


「あの、人質交換できるような捕虜とかは」

「他国の将軍が魔族嫌いでねえ、捕虜を取った傍から処刑してるんだよね……。お陰さまでエイリーシャ嬢と交換できるような捕虜は残っていないし、散々だよ。ねえヘンドリクス卿、何かいい案ないかい?」

「視察に同行しているだけの騎士に作戦立てろってか? ……この辺りの地図はないか?」


 嫌々といった体裁をとっているけど、真剣な眼差しで地形の地図を要求する彼。コウだってエリカの事が心配なのだ。


「カークス」

「は、はい! こちらに」


 コウは座っていた椅子から立ち上がり、執務机の上に広げられた地図に目を通す。

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