第9話

「ジョナサン総司令、視察に来られましたフリージア子爵、騎士ヘンドリクス卿をお連れ致しました」

「入れ」


 数拍遅れて鷹揚な声が耳に届く。目隠しの幕を抜けると、大きな執務机の奥でふんぞり返っている大きなお腹の中年男性が目に入る。この人がジョナサン総司令だろう。

 私は総司令の値踏みするような視線に辟易しながらも務めて表情には出さず、ぺこりと貴族礼。


「お初にお目にかかります。フリージア領より参りましたルエル・フリージアです。こちらは我が騎士、コウ・ヘンドリクスです」


 コウには自己紹介をさせる隙を与えないように代わりに私が紹介する。だって絶対コウが口をきいたらこの総司令サマはヘソを曲げてしまうだろうから。


「うむ」

「おふた方共、遠路はるばるようこそいらっしゃいました。わたくしはジョナサン様の副官を務めていますカークスと申します。戦地ゆえ碌なお持て成しも出来ませぬが、どうぞごゆっくりお過ごしください」


 言葉短く頷く総司令に代わって傍で控えていた副官らしき人物が彼の翻訳と言わんばかりに話す。彼の言葉尻からは私の弟と同じような匂いがする。さぞ優秀な人材なのだろう。


「何か御用の際はわたくし、もしくは身の回りの世話に付けます兵士にお申し付けください」

「ご丁寧にありがとうございます。ところで……私たち知人であります『炎血の魔女』エイリーシャは何処に居られるのでしょうか? 彼女の妻より手紙を渡してくれと直々に頼まれていまして」


 エリカの名前を聞いた大人二人は途端に黙りこくってしまった。二人は顔を見合わせてから、カークス殿が総司令に耳打ちをする。


 ジョナサン総司令は咳払いをひとつして、机の上で両手を組む。


「『炎血の魔女』殿はここから数日の場所にある前線基地に配置されていたが……、先日行われた敵居城への攻撃作戦の後、消息が不明となった」


 エリカの消息が不明、その重々しい一文に私は目の前が真っ暗になった。


「消息が不明って、どういう事よ……」


 戦場において消息不明というのはほぼ確実に、それ即ち死亡KIAを意味する。

 眼前に立つ、その作戦を指示したであろう二人は口を閉ざしたままだ。


「私はっ、どういう事かって聞いてるのよっ!」


 私は感情のまま机に身を乗り出す。それを見かねたコウが私の肩を引いて宥める。


「ルエル、落ち着け」

「これが落ち着いていられるもんですかっ! 親友が、私の親友が死んだのよ!」


 一人でに涙が溢れ出てくる。あのエリカが、死んでも死なさそうな彼女が死んだ。私は机を殴り蹴り、暴れる。総司令とその副官がビクリと怯えるが知ったこっちゃない。


「まだ決まったワケじゃねえだろ、とりあえず外に出るぞ」


 私はコウに羽交い絞めにされ外に引きずり出される。

 天幕の外に出たくらいで私は彼の手を振りほどき、地面に蹲って泣き叫んだ。


「うわぁぁぁぁあ――」


 しばらく、私は涙と鼻水と涎とかそういうもので顔面をぐちゃぐちゃにして泣き喚いた。コウはそんな私の傍にずっといてくれた。


「落ち着いたか?」

「ゔん」


 鼻水が喉奥につっかえて声が裏返る。


「ほら、こっち向け」


 私はコウに顔を向ける。彼はぐちゃぐちゃに汚れた私の顔をハンカチでやさしく丁寧に拭う。


「あの、すみません。こちらをもしよければ」


 おずおずとした様子で話しかけたのは、天幕の中から出てきた、小間使いを兼ねている若い兵士の一人だった。水の入った容器を盆に載せて運んでくる。


「ああ、ご苦労さん。ありがとな」


 コウはその兵士に労いの言葉を掛け、水の入った容器を受け取る。


「ほら飲め」


 コウは私の口元に容器の縁をつけて水を流し込む。私はそれを抵抗することなくこくり、こくりと喉を鳴らす。泣き喚いて失った体の水分を補うかのように、容器に入っていた水を一滴のこらず飲み干す。


「ぷはぁ。ありがとう、コウ」

「気にすんな」

 

 虚飾もない素敵な笑顔でコウは私の頭を撫でた。


「さてと、俺は詳しく話を聞きに行ってくるが、どうする?」

「……私も聞く」


 私にはその権利がある。このまま目を背けるだなんて、そんな人間に彼女の親友を名乗る資格はないだろう、少なくとも私はそう思っている。


「じゃあ行くか」


 私たちはまた天幕の中へと這入っていった。




「先ほどは申し訳ありませんでした」


 さっきと同じ垂れ幕で仕切られた奥の部屋で、私は深々と頭を下げた。

 一軍の将の前であんな大失態を演じたのだ、どんな小言を言われるか……と戦々恐々としていたのだが、返ってきたのは殊勝な態度とこちらを慮る声だった。


「頭をお上げくださいフリージア子爵。こちらも配慮を欠いた発言をしてしまいました」


 副官のカークス殿は優しい微笑みを私たちに向ける。

 この反応には私も驚いた。この軍勢の中でもそれなりに高い地位にいるはずなのに、そんな仕草をおくびにもださない清洌な対応。普通の、こんな大軍を任される貴族ならば元からもしくはもっと、そう、隣でふんぞり返っているジョナサン総司令みたいにそれらしく振舞うはずなのだ。


「私たちも彼女、エイリーシャ殿の友人方であると、もう少しばかり気を回すべきでしたね」


 カークス殿はそれだけ言うと小さく咳払いをした。


「では、先ほどの話の続きですが……」

「待ちたまえ」


 再び話し始めた彼を、片手をあげて制止する総司令。


「その事については私から話しましょう」


 ジョナサン総司令は肩から大きく力を抜いて椅子に座り直した。そこに居たのは貴族然としたいけ好かない中年男性ではなく、人の好さそうな笑顔の似合うジェントルマン。

 あれ? この人誰?


「ジョナサン様!」

「いいじゃないの、どうせそちらの騎士の方には猫被っていたのばれているんだからさ」


 コウの顔を見上げてみると、さもありなんと軽く顎を引いた。


「それでさっきの話の続きだけども、――我々の見立てだとおそらくエイリーシャ殿は生きている」


 ジョナサン総司令はだから消息は不明と言ったのだ、と申し訳なさそうに目尻を下げた。


「本当にっ……ですか?」


 私はその吉報にまた身を乗り出しそうになったが、寸での所で踏みとどまった。


「中央貴族みたいな話し方はいいよ、肩こっちゃうじゃないの」


 総司令は極めてフランクにそう前置きをしてから背もたれに自らの体重を預ける。木製の長椅子が軋む。


「何でそういう結論に達したかというと、騎士の彼は知ってそうだけども『血術使い』が死ぬ時には術者の力量によって大なり小なりの魔法災害が起こるんだよ」


 私が本当かと目線で訴えるとコウは浅く頷き肯定する。


「大洪水を引き起こしたり、島ごと海底に沈めたりさ。味方ならば大火力の砲台として敵ならば殺しずらい難敵として、それがあるから『血術使い』は各国垂涎の人材だったのだけども……エイリーシャ殿の場合何が起こると思う?」


 家庭教師じみた突然の問いかけに私はあれこれと戸惑いながら答えた。


「エリカは火魔法を使ってるから……」

「もし死亡した場合はが妥当かな? でも敵の居城は健在、しかも味方にもそんな被害を受けたという報告はない。ということは」

「生きてるってことね!」


 その通り、と総司令は幼い子供みたいに破顔した。

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