第4話

 それは何気なく、ふと気になったから尋ねただけだった。


「アンタ、何でずっと帽子を被ってんだ?」


 こういう事は一度気になってしまったらずっと頭の片隅に居座り続ける厄介なものだ。


「んあ? いきなりなンだよ」


 シハカの街を出てから、エリカが先導するように俺、ルエルと続いて、かれこれ1時間ほど林の中を歩き続けている。その間もエリカはその頭からとんがり帽子を脱ぐことは無かったのだ。小川で喉を潤した時も、少しばかり深く茂ったくさむらを掻き分け通り抜けた時も、彼女は一度たりともその頭から帽子を脱ぐことはついぞ無かったのだ。

 さぞ高価で思い入れのある一品なのだろう、と目を凝らしてみるも、鍔のところには無数の解れとそれを繕った痕、塞がれることなく放置されている穴など、大切にしているのかしていないのか。よく分からず喉に魚の小骨が引っかかったような気分を味わい続けていた。


「その帽子に何か特別な思い入れでもあるのか?」


「あー、そうだな。それもあるが……」


 彼女はその場で歩みを止めて何とも歯切れの悪い言い方をする。


「どうしたの?」


 ルエルが俺の横に並ぶ。突然立ち止まったのが不思議だったのだろう。


「……そうだな、アンタ達には見せておいた方がいいか」

「ああ? 何一人で納得してるんだ」


 エリカはおずおずと頭からとんがり帽子を降ろした。

 帽子の下から現れたのは三角形をした毛の塊が二つ――俗にいう獣耳だ。形状からイヌ科の動物よくみられる物であるであると推測できる。


「それ、偽物ってこたあないよな? そういう趣味です、っていう暴露でもないよな?」

「そんな趣味があってたまるか!」

「その耳……“亜人”なの?」


 茶化した俺とは対照的にルエルの表情は硬い。


「ああ、『メル族の血術けつじゅつ使い』だ」

「私は……」

「認められないってか? 分かってるさ。最初からで分かってたさ、アンタからはアタシの嫌いながプンプン臭ってたからな」


 エリカは鼻をつまむジェスチャーをする。


「おい、二人だけで会話すんじゃねえよ、俺にも解るように喋ってくれ」


 先ほどから女性二人は訳知り顔で会話しているが俺はそこには入れないということを理解していてほしい。


「この人は“亜人”よ、私たち人間とは違う種族」


 亜人? 人間じゃないのか。


「違う種族つっても凡そは人間サマと変わらんよ。違いと言っちゃあ少々体がデカかったり、小さかったり。アタシみたいに変なところに変な耳が生えてたり、ヒトより鼻が利いたりするくらいさ。ああ、あと全然老けないとかさ」


 やはりエリカは見た目通りの年齢では無かったか。


「しゃべり方がどっかババ臭いもんな」

「うっさいわ!」

「……いい? 私たちフルラ教は“亜人”をおおやけには認めていないの。教義がそうだから」

「でも、お前は修道女を辞めたんだろ?」


 修道女を辞める、それは信仰を捨てたという事と同じなのだろう。元々、そういう役職は立場と名称が変わることはあっても辞することはほぼないからな。


「ええ、身構えてしまったのは私も“亜人”を見るのは初めてだから……気分を害してしまったのなら、ごめんなさい」

「いいや、アタシも覚悟してたからな。むしろ言いくるめる必要がなくなってよかったサ」


 エリカは頬を掻くと、仲直りと言わんばかりに右手を差し出した。ルエルはそれを臆面無く握り返した。


「さあて遺恨もなくしたことだし、行くか」


 エリカは帽子を被り直し、悪路用にと右手に持った杖をかつんと鳴らした。


「とても今更なのだけれど、私たちが向かっている場所ってどこなの?」

「聞いて驚くなよ――『聖域』だ」


 わざわざ溜めを作って誇らしげに言い切ったが、俺は首を傾げただけだった。

 驚くも何も、俺はその『聖域』とやらはこれっぽっちも知らないのだ、驚けという方が難しい。字面から清浄なる土地、聖なる場所、くらいは読み取れるのだが……。


「むかし、昔、アタシの祖母ばあさんのひいばあさんが生まれたくらいの時代に、天にまします人間共のクソ神サマ達が『俺らの別荘地作ったんだけど』って言って創造したのが“聖域”だ」


 彼女は俺の芳しくないリアクションにがっかりしたのか、大雑把に説明をした。


「かなりざっくりといったなあ」


 あとエリカのこの世界の神様に対するヘイトの強さがよく分かった。


「年中花々が咲き乱れ、多くの果実が常に実を付けている。中には『聖域』の中でしか採れない物もあって、その一つが『結晶花』ね」


 ルエルが簡単に補足する。


「まあ、あとは特殊な現象とかがあって……っと、話しをしてたら」


 エリカが唐突に立ち止まり、俺たちの前に立ちふさがる。


「ここか?」

「正確にはここから先だ。コウイチさんよ、ちょいとあっちの細い木に向かって歩いてみてくれ」

「あぁ? わかった」


 言われるがまま、指定された場所まで足を進める。


「痛っ」


 細木に手が届くかどうかという所でごちん、と額に衝撃が走る。何か見えない壁らしきものに頭をぶつけたのだ。手を前に出し確認するように上下に動かしてみると、確かに目には見えないものの硬質なものに触れる事が出来る。


「おい、何だよこれ」

「次はアンタだ、通ってみろ」

「え、私?」

「いいから」


 すると彼女は俺が阻まれた地点をするりと通り過ぎ、さらには細木の向こう側まで行くことが出来たのだ。


「やっぱりか」

「お前はどうなんだ?」

「アタシ? アタシも駄目だ。これがあるからアンタらにしたってのさ」


 エリカが手の甲で見えない壁を叩く。中空の石材を叩いたような音がする。


「なんで私だけ通れるの?」


 ルエルはちょうど見えない壁を挟むようにして彼女に問いかけた。


「そりゃオマエ、聖なるものが好むものっていやぁ酒と生娘って相場が決まってるだろ?」

「ハァ?」

「ほら、アタシってば百戦錬磨だし? そこのあんちゃんもだったから弾かれてそっちにゃあ行けなかったわけだし?」

「なんか釈然としないのだけれど」

「俺も何かと釈然としねえよ。というか何でまで分かるんだ?」

「言ったろ? アタシは鼻が利くんだ」


 エリカは明らかに発育不足の胸を誇らしげに張る。


「つぅ訳で、ルエルちゃん頼んだ! 『結晶花』の形は分かるだろ? わかんなくてもそれっぽいの持ってきてくれたら、こっちで調べるからじゃんじゃん摘んできてくれ」


 ルエルは何か反論するそぶりを見せたものの、肩をがっくりと落として木々の奥へと消えていくのであった。


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