第三章. エリカ

第1話


 ■


【炎血の魔女】ハンラルド・クライン・メル・エイリーシャは在野の魔法使いである。冒険者としての位階は上から四番目の上級三位、炎魔法を自在に操り、幾多の敵を屠ってきた。彼女がその名を知られるようになったのは、魔王軍との大規模衝突後からである。

 単独で前線に立ち、手足のように高火力の魔法を扱い、敵を焼き撃ち滅ぼす。その魔法使いらしからぬ活躍ぶりに付いた二つ名は【炎血】。敵軍からは畏怖を込めて【炎血の魔女】と恐れられていた。

 しかし、その実態はどうしようもなく自分勝手で自堕落で、それでいてとても気持ちの良い性格をした人物であった事は意外と知られていない。



 吐いた息が白い。私は空の上がこんなにも寒いものだとは知らなかった。

 私たちは今、空の上にいる。ワイバーンの背中に乗って、優雅とはいかないけれどそれなりに優美に空中を遊泳しているのだ。私の前では竜騎士の人がワイバーンを操り、後ろではコウが腰にがっしりと掴まっていた。

 なぜワイバーンに乗って空を飛んでいるのかというと、エリカが滞在しているという場所が魔王軍の残党討伐の最前線だったからだ。その場所は王都より北に山脈を2つ超えた所にあるのだが、“勇者”の縁者である私たちは、月に一度だけ物資を最前線に送る輸送便に同席させてもらう事が出来たのだ。

 エルビム村に5日ほど宴会やら宴会やら宴会やらをして(遊撃騎士のみなさんはなにかと騒ぐのが好きなようで、食肉の供給が追い付かないのも頷けた)楽しく滞在した後、マリィから定期連絡の手紙ラヴレターを渡す使者(という建前で)同乗している、それがこのワイバーン便だ。普通の飛行便なら人間の乗ったワゴンを鋭利な爪の生えた両足で持ち上げてもらって移動するのだが、今回の主役は人物ではなく物資の方だ。なので私たちは働き者の彼の決して広くはない背中におしくらまんじゅうで座っているのだが……。


「確かに竜騎士の人は『狭いからなるべく詰めて座ってください』って言ってたけどね、そこまで密着されるとちょっと景色を楽しめないというか」


 コウは身を攀じる隙間がないくらい私に身体を密着させていた。ベッドの上でもここま密着してくれる事は少ないのでちょっと恥ずかしい。


「お前……怖くないのか?」


 首を傾いで彼の顔を覗いてみると、顔面蒼白で今にも死んでしまいそうなほどだった。


「ちょっとは怖いけど……。この前、巨大鷲ガルーダの飛行便に乗った時は大丈夫だったじゃないの」

「あれはワゴンの中だったろ、足場があった。でも今はどうだ! 足場も椅子もないじゃねえか、宙ぶらりんだぞ!」


 さっきから彼はずっとこの調子で顔を前に向けたまま微動だにしていない。私はもうちょっと下の景色とか雲の向こう側とか眺めていたいのだけれど。


「何か仰られましたか?」


 前で手綱を握っている竜騎士の人――名前はたしかリッテルトさん、が気を利かせて伺いを立ててくれた。


「ありがとう、大丈夫よ」

「あと数時間程度で到着すると思いますので暫くの間ご辛抱を」

「こんなに綺麗な景色を見れるのだから苦になんてはならないわ」

 

 私が前方でフードを被っている彼にもちゃんと聴こえるようにすこし声を張ると、リッテルトさんは嬉しそうに微笑んだ。

 空の上は寒い。分厚い毛皮のコートを着て、手にミトンを嵌めていなければならないほどには寒い。これでも魔道具で吹きつける風を和らげて寒さを軽減しているというのだから、空を住処とする獣たちが須らく強い訳だ。

 私は西の方角に顔を向ける。眼下、薄靄がかかるくらい遠くに大きな山がある。その麓に円形の外壁と掘りに囲まれた都市が見える。私たちとエリカが出会った街、シハカだ。

 そして、その背後にある大きな山、その中腹部あたりに私の育った修道院があるはず。流石にここまで遠いと私の視力を以てしても視認することは叶わない。

 私は色あせた寂寥感に瞳を伏せる。

 時間があるときに行ってみよう。たぶん昔と変わらずにそこにちゃんと在るはずだから。

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