第11話

 轟音が鳴り響き、地面が揺れる。生じた白煙により目を潰され、逃げ遅れた地竜はそのまま大木の下敷きとなった。

 余韻が山に反響して木霊になる。先ほどまであんなに騒がしかった森は、シンと静まり返っている。

 今の地竜の姿はまさに叩き潰されたカエル、いやオオトカゲか。竜は総じて高い生命力を有しているというから、これくらいは脳震盪のうしんとう程度で済ますだろう。だが、撤退する時間を稼ぐのには十分だ。


「やった……の?」

「なわけないだろうが。おら、さっさとリカルド回収して撤退だ」


 エリカは……大丈夫か。衣服に付いた泥や葉を掃っている。

 リカルドはまだ気絶しており、その巨体を引き摺って森小屋まで戻る事を考えると若干憂鬱だ。


「ハァ、」


 ため息を吐いて手に持っていた短剣を納剣しようと、鞘口に切っ先を向けた時だった。めきり、と伐り倒した大木が揺れ動いた。

 続いて、地竜が咆哮を上げ自分を地面へ縫い付けていた大木を空へ弾き飛ばした。

 俺は呆然とその光景を眺めていたが、地竜の怒りに染まった眼を向けられ正気に戻る。

 ――ヤバイ。


「ルエルッ」


 俺は咄嗟にルエルを背に匿って短剣を構える。眼前では猛り狂った竜が大口を開けてこちらに向かって来ている。

 避けられそうにもない。対岸ではエリカが苦悩の表情で魔法を連発しているが、その尽くが竜の背後で霧消する。リカルドみたいな無茶苦茶な事を出来るとは思っていないが、後ろで怯えている少女を逃がす事くらいは成し遂げてやろう。


「ああクソ。こんな事ならたらふくバーガーを食っとくべきだった」


 小さく悪態をついて、地竜のあぎとを見据える。意外と歯並びがいいんだなと思った。

 しかしながら、その鋭い牙が俺を捉えることはなく閉じられる。

 何故だ、と目を見開くと昏倒していた筈のリカルドが横合いから剛腕を以てして地竜の頭を叩きつけたからであった。


「ガアアア!」


 リカルドは獣じみた音を出し、巨躯全てを使って地に沈んだ竜を蹴りあげた。

 冗談のように地竜の体が宙に浮く。リカルドは鈍く光る鉄の剣で竜の鱗ごと横腹を切りつけた。地竜は勢いのままに横に転がり仰向けになる。


「ああー……、大丈夫ですか」


 リカルドは先程の一撃で開いてしまった額の傷口から血を流している。


「お前こそ大丈夫に見えないんだが」

「ハハハ、あー、とりあえずアレ、ブッ殺してきますね」


 失血が多いからか瞳は虚ろでどことなく会話がかみ合わない。だけれど決意に満ちた眼差しで体勢を戻そうとのた打ち回る竜に歩み寄る。

 リカルドはゆらりと幽鬼の如く鉄剣を引き摺り、土に軌跡を標す。


「おい! 助けてくれたのはありがたいが逃げるぞ!」

「待てよコウ」


 震える脚を押しえて、俺は無謀にも敵に挑み続けようとするリカルドに追いすがろうとすると、背後から狼耳の少女が体中に泥をかぶったまま俺の腕を取った。


「エリカか。俺たちは満身創痍、やっこさんは健在、逃げるしかねえだろが!」

「そうだな。でもな、アイツの顔見てみろよ」

 

 興奮状態で声を荒げる俺にエリカは静かに告げた。

 額から出血し、剣を持つ反対の腕は脱臼してだらり、だらりと振り子の様に揺れている。リカルドは一歩先も碌に見えていないのだろう、時折よたつき、その度に剣を杖替わりにしてバランスを取る。

 しかし眼光は鋭く爛々とし、口は一文字に食いしばられている。

 男には引けない時がある。今がリカルドあいつにとっての“その時”なのだろう。それを理解してしまうと、俺は何も言えなくなってしまう。俺だって、“そういう時が来る”のを知っているのだから。


「死んでも知らねえからな! この馬鹿ヤロウ!」


 言葉の意味が分かったのか分からなかったのか、リカルドは剣を掲げて応えた。

 俺はそのまま見届けてやろうとその場に座り込んだ。すると、俺に続いてルエルも隣に座った。


「ねえ、もしかしてリカルドが負けたら次は私たちの番?」


 ルエルは泥で固まった栗色の髪を手櫛で一生懸命に梳いている。


「ルエル、お前は逃げりゃあいいだろうが」

「アナタが逃げないなら私も逃げないわよ」


 にへらと当然の様に微笑む。俺は気恥しくなり頬を掻いた。


「んまあ、大丈夫だろ。リカルドなら勝つ」


 エリカは後ろからルエルにしな垂れ懸かって、髪を梳かすのを手伝っている。彼女もリカルドの大馬鹿野郎が敗北するなんて微塵も思っていなかった。

 ずどんと地響きが伝わる。それは地竜が仰向けの状態から復帰した合図であった。

 頭を動かし、強敵とそれに挑む『勇者』の姿を視界に収める。

 強敵……地竜には既に、煌びやかな鱗の輝きはなく、俺の放った矢の所為で半眼は潰れている。しかし圧倒的な生命力でもって、腹に負った傷はほとんど塞がっていた。

 対する『勇者』リカルドは動きに精彩を欠き、風が吹いただけで倒れそうなほどボ

 ロボロだった。


「―――ッッ!」


 両者が同時に吠える。先に動いたのは地竜だった。リカルドを頭から喰い潰そうと襲いかかった。

 リカルドは鉄剣で竜の鋭牙をいなし、不恰好に横へ飛んだ。

 リカルドの膂力なら正面から受けきることが出来るだろうが、あえて方向を逸らし

 たのは得物である鉄の剣が耐えられないと判断したからだろう。


「アアアアアアアア!」


 リカルドは逸らした勢いそのままに地竜の腹を撫で斬りする。

 竜鱗の上を剣が走り、チチチと小さな火花が散る。その多くが傷つき剥がれ落ちたとしても竜の鱗とは強靭なもので、力の入っていない攻撃では血しぶきの一つすらあげなかった。

 地竜はお返しと言わんばかりに巨体を器用に振り回しリカルドにタックルを仕掛けた。


「ぐうぅ」


 リカルドは脇を締めてその巨体を真正面から受けきる。鈍い音がして、リカルドの足が地面を捲りあげる。

 力が拮抗して両者の動きが一瞬、停止する。

 暫くその状態が続いていたかと思うと、じりじりとリカルドの方が力負けして押し出されていく。不味いと感じたのか、彼はがむしゃらに剣の柄頭で地竜の横腹を何度も、何度も殴る。

 五度ごたび八度やたびと殴るうちに、地竜の巨体が揺れ始める。

 十八、十九、回数が二十を超えたあたりで、地竜の片足がふわりと地面から離れる。


「あああああアアア!」


 好機か、リカルドは一気呵成に柄頭を地竜の腹に叩きつけた。

 ぐしゃりと拉げるような音がする。それは竜鱗からなのか、剣の柄からなのかは分からなかったが、リカルドの力が地竜の巨体を傾かせたのは事実だった。

 彼はすかさず剣を逆手に持ち替えてその切っ先を地竜の、鱗に覆われていない場所へと突き立てた。

 何の抵抗もないまま鉄の剣先はするりと竜鱗の隙間へと吸い込まれる。一拍遅れて、竜血がその周辺から噴きだす。

 轟々と地竜の叫びが木霊する。

 それは断末魔と呼ぶに相応しく、魂の奥底を震わせるような絶叫だった。

 リカルドも負けじと頭から竜の血を浴びながら吠えた。


「オオオオオオッ!」


 鉄剣を握る手に更に力が籠められる。だが如何に力を籠めようと地竜の命は尽きそうにない。

 人間でも脇腹の肉を抉られた程度では中々死なないのだ。小さな剣一本を突き刺しただけでその強大な命を奪う事など土台無理な話だった。

 リカルドはその事を理解していたのか勢いよく剣を竜から引き抜き、順手に持ち替える。

 それは悪手だった。リカルドのやるべきことは追撃ではなく離脱であった。

 リカルドの頭上に大樹の幹のような太い尾が鎌首をもたげていた。

 俺は咄嗟に声を荒げるが間に合わない。彼が気づいた時には死神の鎌は振り下ろされていた。

 リカルドは自分に振り下ろされた死の鎌を見上げている。彼がつぶされ、ミンチになる光景がまざまざと目に浮かぶ。

 

 そして竜尾はリカルドへ達し、それをリカルドが片腕で振り上げた鉄剣で両断、地竜の尾が宙を舞う。


「は?」


 俺は自分の喉から情けのない声を漏らしてしまう。

 気合一閃。

 リカルドは掲げた剣を振り下ろす。地竜はなすすべもなく地面へ巨体をめり込ませる。

 びくりと竜の体は、痙攣したかと思うとそのまま動かなくなった。


「はは、勝ちましたよ、ははハ……」


 リカルドは真っ赤に染まった笑顔をこちらに向け、糸の切れた人形の様にそのまま顔面から地面に倒れた。

 こうして、地竜との長く……俺たちにとっては短い戦闘は幕を閉じたのだった。

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