第9話


 

「なんで、なんで私がこんな目に会わないといけないのよーーっ!!」


 俺はこの森の中でも一際背の高い巨木の上から、双眼鏡で眼下に繰り広げられている光景を眺めていた。

 双眼鏡の先では、器用に倒木や岩石を避けて跳ぶように森を走り回るルエルを彼女の数十倍はある巨体をブルドーザーさながらに使い、木々を押し倒し地面をひび割れさせながら追跡する地竜の追跡劇が繰り広げられていた。

 数百ヤード離れた、この場所からでさえもルエルの魂を込めた悲鳴とそれに付随して鳴り響く環境破壊の音ははっきりと聞き取れた。


「無事に終わったら何か旨いモノでも奢ってやるか」

 十分に働いてくれているルエルに王都に着いたら菓子でも買ってやろうと心のメモに書き留めた。

 俺は低倍率の携帯式双眼鏡を折り畳み、腰に提げたポーチの中に仕舞う。


「どうでしょう?」


 俺が樹上から飛び降りると、下で待機していたリカルドが、いつになく真剣な面持ちで聞く。リカルドは右手で腰に佩いた剣の鍔を何度も持ち上げては戻す、その度に鈍い金属音がしている。


「そろそろだ、作戦に変更はない」

「了解です」

「なぁに、そんなに緊張するな。一昨日までアレとタイマン張ってたんだろ、勇者候補サマ」


 俺は緊張でガチガチに固まったリカルドの肩を軽く叩く。


「ええ、そうでした。――そうだ、僕はアレと三月も死闘を続けていたんだ」


 リカルドの目付きが鋭く変わる。どうやらやっとスイッチが入ったようだ。俺は草野球で打席に立つ人間に語るような気軽さで彼を鼓舞する。


「お前はあの地竜をどこまでも知っている、お前以上にアレを知り尽くしている者はいないだろう」


 だから、お前が斃せ!

 俺はリカルドの背中を押す。


「ああッ!」


 リカルドは力強く頷き、背後の叢の奥へ走り去った。見た目通りのナイーブさがあると思ったら一端の戦士の顔も見せる。どうも、ちぐはぐな人物だと俺は嘆息する。


「さて」


 と、俺も自分に与えられた役割を遂行するために準備を始めた。木の根元に立てかけて置いていた複合弓と、高価な鋼鉄製鏃の矢が入った矢筒を背負う。そして、首に掛けていたホイッスルを吹く。

 甲高い音が遠くの山に反響する。一足先に目標地点で待機しているエリカへの合図だ。

 例の破壊音と幼気な少女の悲鳴もすぐ近くまで迫って来ている。

 作戦の成功確率なんて分からない。成功するか失敗するかだけだ。


「失敗したとしても、ルエルが逃げる時間くらいは稼げるか」


 作戦が失敗し、命の危険がある時は……リカルドを見捨てる事も視野に入れている。最悪の場合はエリカすらも捨て駒にする覚悟だ。

 旅の護衛が居なくなるのは厳しいが、元々エリカとの契約は王都までであったし、旅の護衛というのは常に死の危険と隣合わせなのだ、彼女からも文句はないだろう。理想はそうなる前に撤退する事なのだが。


「その時は、ルエルを宥めるのが大変だろうな」


 俺はそんな事にならないように神に祈り、自分の配置場所へと向かった。



 作戦は至ってシンプルだ。地竜を住処である洞窟から交戦地域キルゾーンまで誘い出して討伐する。古典的な待ち伏せ作戦アンブッシュだ。囮としてのルエル、罠の設置と起動を担当するエリカ、そして主戦力のリカルド。俺の役目は斥候とルエルの安全確保だ。

 なぜルエルが囮役かというと、それは……。


「処女なんて――クソくらえー!」


 ルエルは森の中を疾駆しながら元修道女にあるまじき汚い言葉で叫んだ。その間にも理性を無くした瞳で、地竜が涎を撒き散らしながら彼女の後を追う。

 ルエルが囮役になった理由それは、“生娘だから”だ。理由は解明されていないが、竜は総じて清らかな乙女を好む。それは上位の竜にとっては伴侶もしくは愛玩の為、下位の竜にとっては至上の食糧であるため。竜の他にも生娘を好む魔物、魔獣、幻獣は存在するが、病的なまでに女性の処女に固執する生物は他には一角幻獣ユニコーンくらいだろう。

 そして今いるメンバーの中で生娘であるのはルエルだけであった。


 ――GXAOOOOOOOO!


 地竜がルエルの心中などお構いなしにいななく。


「ヒィっ」


 ルエルは自らを追走する暴走車に弾き飛ばされた木の破片を間一髪で避け、進路上に横たわる木の幹の隙間をすり抜ける。その動きはこの森を熟知しているのでないかと言うほど滑らかで、付かず離れずの距離を地竜と保ったまま、障害物を物ともせずに走り回っていた。


「うらむから、死んだら恨むからねっコウ!」

「減らず口を叩けるくらいなら、まだ大丈夫だろうよ」


 俺は彼女たちの進路上にある樹上から独りごちる。


「聞こえてるわよっ!」


 ルエルは俺の独り言に目ざとく反応する。彼女には聞こえないだろうと高をくくっていたのだが、ルエルの超人的な地獄耳は窮地に於いても健在であったようだ。


「まだ20ヤードも離れてるはずなんだけどなぁ」


 この地獄耳め、俺は失笑しつつ弓に指に挟んだ矢の、二本の内一本を番えた。そうこうしている内に、ルエルと地竜は自分が立つ木の近くまで来ていたのだ。

 複合弓を引き絞り狙いをつける。きりりと合板が撓む。息を吸い、細く吐く。肺の中が半分になったくらいで呼吸を止める。

 一射。

 放たれた矢の軌跡を眺めず即座に第二射に移る。地竜のうめき声と地面を踏み鳴らす音が激しくなる。地竜の右の眼球には鋼鉄の鏃が深々と刺さっていた。

 二射。

 二射目は少しだけずらして放ったが、地竜の左瞼上部を掠めただけで的中はしなかった。


「ルエルッ! 横に飛びなッ」

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