第5話

 雨がさめざめと降っている。

 簡易的な庇の下で火の点いた薪がぱちりと爆ぜる。辺りは闇に包まれ、草木に雨水が跳ねる音が木霊している。森の奥からは狼の遠吠えが絶え間なく響き、周辺を異界じみた空間へと変化させている。

 俺はすぐ傍で地面に布を広げただけの場所に寝かされている男性に目を遣る。

 年齢は俺と同じくらいの20代。どこにでもいそうな極平々凡々な顔立ちで、くすんだブロンドの髪を短く刈り上げている。男の眠りは深く、目覚める兆しすら見当たらない。

 彼が件のリカルド・クランカだろう。エリカ曰く、薪を拾っていると、偶然切株にもたれかかる様にして気を失っている彼を見つけたらしい。見つけた当初は額から顎にかけて乾いた血がべっとりと付いていて、死んでいると思ったそうだ。リカルドに息がある事を確認出来ると、エリカはその小柄な体躯で必死に、身丈が8フィート(≒250cm)はあろう男性をえっちらおっちら背負って来たという訳だ。その体力には流石は冒険者、鍛え方が違うと舌を巻く。

 その功労者は今、小屋の中で唯一のベッドを独占している。それくらいの栄誉は与えても良いだろう。

 ベッドを使う事の出来なかった俺とルエルは外でキャンプファイアーの火を絶やさない為に不寝番紛いの事をしている。普段ならば魔物や獣を遠ざける効果がある魔物避けの香を焚いて安全を確保するのだが、魔物の少ないこの森で、魔物避けの香を焚くのは勿体ない。それにリカルドらしき人物が目を覚ました時に状況を説明する人間が必要だ。幸い、火を絶やさないようにしておけば火を恐れる獣は寄ってこない。

 火の番をするといきこんでいたルエルは、持ってきた毛布に包まって俺の背中にもたれてすやすやと寝息を立てている。

 暫くぼうっとしていると、地面に横になっている男が呻り、眼を開いた。


「目が醒めたか」

「……ここは?」


 男は上体を起こし、辺りをきょろきょろと見回す。男は俺の姿を見つけると顔が強張った。


「待て、その前にこっちから質問だ。お前はマリア・クランカの兄、リカルドで違いないか?」


 男、――リカルドはゆっくりと首を縦に振った。


「俺たちはマリアに頼まれてお前の捜索に来た者だ。俺はコウイチ・ヘンドリクス。コウでいい。後ろで寝ているのはルエルだ」


 親指で後ろを指す。自分の体勢がずれたのが気にくわなかったのか、ルエルは唸って更に体を寄せ付けた。


「すまねえな、コイツの所為でこっから動けそうにない。食料は壁際に置いてあるナップサックから適当にとってくれ。水はそこの水筒だ」


 リカルドの警戒心を解こうと俺は矢継ぎ早に喋り続ける。


「ありがとう。ここに来たのは貴方たちだけでしょうか」


 その判断が功を奏したのか、リカルドは先程より砕けた表情で感謝を述べた。


「あと一人、そこの小屋で爆睡している亜人、エリカっていうのがいるんだが、そいつがお前をここまで運んで来た。感謝しとけよ? アイツが一人で運んで来たんだからな」


 リカルドはナップサックから取り出した黒パンにそのまま齧り付き水で流し込む。


「僕を運ぶのはさぞ大変だったでしょう」

「ああ、『目が醒めたら文句の一つや二つくらいは覚悟しとけ』って言ってたな」

「ハハ、命の対価がそれくらいで済むならいくらでも甘んじて受けましょう」


 リカルドは乾いた笑みを浮かべた。会話が途切れ、リカルドは再び食事に没頭する。


「――それで、お前はどうしてこの森に留まり続けているんだ?」


 一通り食べ終わるのを待ってから、俺は慎重に静かに問うと、リカルドは苦虫を噛み潰したような表情で語り出すのだった。



 リカルド曰く、選定の儀に使用される洞窟には森に到着した当日には既に辿り着いていたらしい。あとは洞窟の奥へ這入り、安置されている“物品”を回収するだけ、その段になってリカルドはに出会ったという。


「身体を覆う深緑色の鱗、猪を骨ごと噛み砕く牙、そして熊さえもひと睨みで殺しそうな紅い瞳。あれは間違いなく『地竜』でした」

「『地竜』ぅ?」


 何だそれは、と俺は左斜め前に座ってもしゃもしゃと干し肉を齧っているエリカに視線を投げかける。

 辺りはすっかり明るくなり、木々の隙間から陽の光が差し込み、小鳥たちの囁きが時折聴こえる。昨晩の雨はどこへやら、清々しい朝を迎えていた。

 最初、経緯を訊きだそうとした時にリカルドが、「みなさんが起きてからの方が二度手間にならなくてよろしいでしょうし、ヘンドリクスさんも寝ていない様子だ。僕が不寝番を代わりますのでお休みください」と言って、朝まで回答を引き延ばしたのだった。リカルドの置かれた状況を考えると、彼が逃走する危惧もあったのだが、彼の真剣な眼に俺の方が先に折れたのだった。


「地竜ってのはなあ、現存する竜種の一つで主に空を飛ばない竜の総称だ。地を這い、動物を食らう。大体は人気のない森や荒野を住処にしていて、気性は荒くない。リカルドが言う地竜は恐らく、いちばんポピュラーなリザー・ドラゴンだろう」


 エリカは懇切丁寧に俺の疑問に答えてくれる。しかしそれも無償のつもりではないのだろう、俺に向けて掌を差し出す。

 俺は半分も残っている食いかけの干し肉をエリカに渡す。エリカは満足そうに受け取ると、さっそくもしゃもしゃと咀嚼を再開した。


「竜にしては弱い部類で繁殖率はそこそこ高め。害獣ってほどじゃないけど獲物を求めて人里に下りてくることがあり、数が増えると討伐隊が編成されるくらいには難敵。初級になりたて冒険者の死因の2割くらいはコイツやその近親種が原因ってくらいには危ない」


 エリカはつらつらと流れるように、教科書を丸暗記したような説明をする。その情報の多さに普段はあんなナリでも一応、上級の冒険者なんだと再認識させられる。


「それって結構危なくないか?」

「まあ、初級に成りたてっつーのはだいたい慢心している奴が多いから、下位の竜種くらいなら狩れんじゃね? って勘違いして死ぬパターンが一番多いかねぇ」

「情報どうも」


 礼を述べると、エリカはまたご贔屓にと口角を釣り上げた。


「どうもその地竜が洞窟を根城にしているらしく、洞窟に入るモノ全てに攻撃していて、ヤツを倒さない限りは“物品”を回収できないのでして」

「地竜を倒すぅ? バッカじゃねえのお前ェ」


 エリカは辛辣にリカルドを罵倒した。


「自分の言ってることわかってんのかお前。冒険者が討伐隊を組んで倒せるレベルの相手をソロで倒すっつってるんだぞ? 無謀以外の何でもねェだろ、そんなもんは」

 エリカはいつもの軽々しい口調とは正反対の真剣な語気でリカルドを諭す。知り合いの中にそんな無謀な挑戦をした者がいたのだろうか、彼女の言葉尻からはどことなく哀愁にも似た空気が感じられた。


「もしかして、リカルドって今日まで毎日その、『地竜』とやらと戦ってたの?」


 しかして、ルエルは空気を読まず素人らしい疑問を口にした。


「まさか! 3日に1度くらいですね。恥ずかしい話ですが未だ勝てたことがなくて」


 リカルドは、はにかみながら頬を掻く。その常識外れな言動に俺たちは顔を引き攣らせた。しかし、彼はそんな雰囲気を意に介せず更に言葉を続けた。


「でも今回は本当に危なかったですね、頭にもろに攻撃を受けてしまって、血は止まらないわ、視界は暗いし意識は薄れるしで……エリカ嬢が見つけて頂けなければ死んでいたかもしれませんね」


 リカルドは大口開けて笑った。呆れて物も言えないとはこの事か。


「まあ、良い。これで依頼は達成だな。さっさと村に戻るぞ」


 俺はリカルドに掛ける皮肉さえも思いつかず、強引に話を進める。


「僕はまだ戻れません」


 リカルドは即答した。俺はリカルドの即答っぷりに目頭を押さえた。


「一応聞いてやるが、それは何故だ」

「僕はまだ、地竜を倒していないからです」


 聞かなければよかったと、遅まきながら耳を塞いで素知らぬ顔をしてでもリカルドを引き摺ってでも帰ればよかったと後悔した。

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