第3話
マリィが住んでいる村から南西に十数マイルほどの所に件の森林は存在していた。
高低差があるその土地には木々が生い茂り、遠くに目を遣ると鋭く尖った山が二つ並んで聳え立っている。日頃からきちんと間伐をしているのか、日の光を遮るほど樹木が密集しているわけでもない。あの村の人たちはこの森をとても大切にしているようだった。
「あそこから行けるのかしら」
ルエルが広い獣道のような不自然に地面が均された場所を指さす。マリィの話によると森の端から少し歩いたところに狩り小屋があり、リカルドは其処を拠点にしている可能性が高いとの事だった。
「こんなとこで突っ立っててもしょうがないし、さっさとその馬鹿兄とやらを連れて帰ろうぜ」
エリカは俺たちの肩を叩き、意気揚々と先導する。
「……やけに積極的じゃないか?」
その姿は彼女にはあるまじきものだった。普段のエリカは能ある鷹は爪を隠すというのか、働くのが嫌なだけなのかそれほど積極的に自分から行動するタイプではない。だからこそ、今の彼女の姿に驚きを隠せなかった。
いつもとは異なる様子のエリカの後ろ姿を見ながら、ルエルの耳元でひそひそと囁く。
「たぶんマリィちゃんに惚れたのよ、たぶん」
「それはないだろ? アイツは色っぽいのがタイプだろ」
エリカは恋多き女を自称し、好みのタイプは大人の雰囲気を漂わせる女性だと大言壮語するくらい好色である。エリカ自身それなりに年を食っているので彼女が大人の雰囲気だとかのたまうのを見る度に、エリカから見ればどんな“大人の女性“も子供だろう? と笑うのが一連の遣り取りになりつつある。
「マリィちゃんを見るエリカの目、あれは恋する乙女そのものだったわ」
「アイツは万年発情してっからそう見えただけだろ」
そんな内緒話をしていると獣道の奥からエリカが声を張り上げて俺たちを呼ぶ。
「おーい、置いてくぞー」
「今日は槍でも降るんじゃ……」
俺とルエルは顔を見交わせ、二人として同じ感想を抱くのだった。
獣道の入口から数時間歩いた所に件の小屋は存在していた。実に質素な小屋で、外壁には農作業具や木を伐採する為に使うのであろう斧が立てかけられている。軒先には小ぶりな果実や動物の肉が吊るされており、ここで誰かが生活をしていることが窺えた。
無事に狩り小屋に到着は出来たのだが、人の気配がない事に不安を覚えた俺たちは簡単にだが、周囲の捜索をしていた。
「誰もいないわね」
ルエルが小屋を一周して何か目ぼしいものがないか探していたのだが、結局何も見つからず、小屋の前まで戻ってきていた。
「中には誰もいなかったぞ」
建てつけの悪そうな扉を無理やり開いて、小屋の中からエリカが顔を覗かせる。
「目ぼしいものは?」
「特に何も。まあ、保存食とかはたんまりとあったけど」
見るか? とエリカが小屋から出るのに四苦八苦しながら目配せをする。
「ここを拠点にしてるというのは間違いなさそうだが……」
「ねえ、どうするの?」
ルエルが俺に指示を仰ぐ。ここで件の“勇者候補”が帰ってくるのを待つのかそれとも、もう少し奥まで行って、洞窟のあたりを探索するのか。
俺は空を見上げる。
広葉樹の隙間から見える青空には鯨のように大きな白い雲、太陽が燦々と輝いている。東からのそよ風が気鬱になりがちな暗い空気を攫っていくようだ。
「どうするんだ?」
エリカが不思議そうに俺と同じように空を見上げた。
「今日はやめよう。昼も過ぎているし、ここからマリィの言っていた洞窟とやらまでの距離も分からない。下手をすれば夜になるかもしれないそれに――雨が降る」
俺は冒険心が盛んな訳でもないので安全策を提示する。雨になるとただでさえ痕跡を見つけにくい森での追跡を更に困難にする。急いては事を仕損じる、ある意味で人命の懸かった依頼だが、不確かな情報しかない中で無理をしてこちらが窮地に陥っては本末転倒だ。
「雨ぇ? こんなに晴れてるってのにか」
エリカの半信半疑な物言いに俺は頷く。
「雨になってもならなくても、夜の森を彷徨うのは得策ではないと思うが?」
「オーケイ、そうだな。ここで一晩過ごそう」
エリカは肩を竦め、薪を集めてくると言って木々の向こう側へと消えていった。
「どうして雨が降るって?」
今度はルエルが訝しげに俺を見上げている。ルエルはどうやら俺がエリカをけん制するつもりで嘘を吐いたように思えたらしい。
「勘だな」
「勘?」
「そうだ」
「そっか」
ルエルはそれ以上追及もせずに、小屋の中を漁ってくると一言だけ告げた。
正確には勘ではない、経験に基づく知識の一つだ。父親が無類のキャンプ好きで、よく山や森に連れ出されていたから山や森の天気に、原理は分からないが(説明されたような気もするが)予測を立てることができるのだ。
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