第2話

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 リカルド・クランカはごく普通の若者だった。彼が十歳の頃、街へ買い出しに出ていた両親を盗賊に襲われ亡くした事と、まだ小さかった妹と二人三脚で助け合いながら生活してきた事を除けば、極々平凡な寒村で細々と生計を立てる若者だった。

 学もなく、金もなく、地位もない。何一つ特殊な才能などは持ち合わせていなかった。彼は自分が平凡であることを重々承知していた。彼は努力を惜しまず、凡夫なりに出来る事をひたすらがむしゃらに諦めずにやり続けた。足を挫き、腕を折ろうとも。彼は死を臆せず向こう見ずな難題に食らいついた。そして不屈の精神を以て成し遂げ、次の難題へと突き進む。ただ、妹が安心して暮らせる世界にするという約束の為に。

 だからこそ、彼は後に“勇者”と呼ばれ、数多の人々の希望を背負う存在になる事が出来たのだろう。




「旅のお方にこのようなお願いをするのは差し出がましい事だと思いますが」


 少女は年齢にそぐわない口調で重々しく口を開いた。

 マリアと名乗ったその少女は、それでも中々言い出せないのか両手でカップを包んだまま口ごもる。


「大丈夫。泊めて貰った恩もあるし『身ぐるみ全部置いていけー』とか、そういうお願い以外ならお姉さんたちと、ここにいるお兄さんが何とかしてあげるわ」


 ルエルが助け舟を出す。心なしかお兄さんが何とか、という語意が強調されたように感じるが、ルエルは優しく微笑んだままだ。

 マリアは意を決したのかカップに残っていたお茶を一息に飲み干した。


「兄を……私の兄、リカルドをどうかお助け下さい」


 マリアは涙目を擦り、頭を垂れた。

 また厄介事を背負いやがって――。同行者であるルエルの向こう見ずな言動に俺は苦笑した。

 ルエルと旅を始めて半年が経った。『まだ』と言うべきか『もう』と言うべきか、修道院を出てシハカの街で旅の護衛を拾い、やっと王都近郊が視界に入る所に来ることができた。あとは王都から出ているルカエル行きの乗合の馬車か行商の馬車に便乗するだけだ。

 ルエルの生家があるルカエルの街を目指すという本来の目的をこれで果たすことが出来る。果たす事はできるのだが、修道院から順当に行けばふた月もかからないとされているここまでの道程を、倍以上の日程を消費してやっと七割というのは偏にルエルのお節介焼きのお陰と言わざるを得ない。

 ルエルは行く先々で頼まれてもいない厄介事に首を突っ込む。彼女に言わせれば、『(元)修道女として当然のことをしている』とのことであるが、俺にとってはひたすら面倒この上ない。

 そのお節介も何の利益も生まないただの自己満足ならば批難出来るのだろうが、ここまでの旅費、倍以上かかっている金額の殆どを助けた人々からの“好意”で賄っているので流石の俺も頭が下がる思いだ。

 だから、ルエルがこの後に宣言するのであろう言葉にも予想がつくし、そうなればテコでも自分の意志を曲げないということも理解している。


「ええ! 私たちに任せなさいっ」


 ルエルは張れるほど大きな物でもないのに、胸を張って自信満々に答えた。


「本当ですか!」


 マリィは勢いよく椅子から立ち上がる。その反動で机のコップが倒れそうなくらい揺れた。

 俺も既にいつもの事だと割り切ってはいるのだが、それでも小言を挟まない訳にはいかないだろう。


「詳しい内容も聞いていないのに勝手に決めるな」

「一宿一飯の恩もあるし、断るという選択肢は最初から無いと思うのだけれど?」


 ルエルは彼女らしからぬ理路整然とした物言いで返答する。確かにこの少女には恩がある。野宿をするはずだった俺たちに寝床を用意してくれただけではなく、昨晩の食事と今朝の朝食まで用意してくれた。

 旅人ならば安全な寝床という存在が如何に貴重なものなのか理解できるだろう。魔物避け、獣避けの香を一晩焚かずに温存することができ、且つ見張りを立てる必要がない。其れに加えて宿代まで節約できるとなるとこの少女に足を向けて寝ることはできないだろう。

 その恩義に報いるのならば、肉親を助けるというのはこれ以上とないお願いだとは思う。だけども、マリィの表情から一筋縄ではいかない事だというのが伺い知れる。

 俺一人の意見では力不足と感じ、さっきから会話に入って来ようとすらしていない護衛の色ボケ魔女に会話を振った。


「エリカ、お前はどう思う」

「ん? いいんじゃないの?」


 俺の隣に座るもう一人の少女は心此処に非ずという様子で生返事をする。

 水色の髪をツインテールにし、やや露出度が高い黒のワンピースとぶかぶかの赤銅色ローブを身に着けた狼耳の少女……ハンラルド・クライン・メル・エイリーシャは俺の期待を裏切り、あっさりとルエルの側へと付いたのだ。

 彼女は外見こそ12、3のあどけない少女だが、実年齢はそれより50歳も上で中身は脂ぎった中年男性もかくやという程の女色家でもあり、単独で大型の魔物を討伐するほどの実力者でもある。

 彼女の恋愛経験はともかく実戦経験は豊富なので、ルエルが安請負しようとしている依頼の危険性を理解して説得を手伝ってくれると思っていたのだが、どうやらエリカは俺よりも諦めが早かったようだ。


「ほら! エリカもこう言ってるし!」


 マリアは首を横に振り椅子に座り直した。


「ヘンドリクスさんのおっしゃる通りです。事の成り行きすらお話していない状態でこのようなお願いを聞いていただけるとは思っておりません」


 しっかりとした娘だ。この村に入った時に分かったことがある。少女には同年代の友人がいないのだ。村に住んでいるのは中年夫婦か腰の曲がった老人くらいで、若者と言えばマリアと中年夫婦の小さな餓鬼共くらいだ、おそらくその子らの面倒などをよく任されているのだろう。彼女の年齢以上の大人びた振る舞いは村の大人たちからの期待の産物とも言えるのかもしれない。いつも落ち着きのないルエルにはマリィの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいところだ。


「どこからお話しすればよいのか……そうですね、まずはこの村についてですかね」


 マリィは少し思案してからゆっくりと問いかけた。


「みなさん、この村についてどう思いますか?」

「どこにでもあるような普通の村だと思うけれど」


 そんな簡単な問いにルエルは虚をつかれながらも回答した。


「ええ、そうです。近くに森があって畑があって、村の中には小さい教会と家が数件、小さい民宿と同じく小さな商店がちらほら。王都へ続く街道に比較的近い場所にあるので巡回の騎士の方や行商人が時々訪れてはお金や娯楽品を落として行ってくれるし、魔物も生活を脅かすような強い個体も出ません。長閑ないいところだと思います」


 マリィはだけど、と真剣な面持ちのまま続ける。


「みなさんは何か気づきませんでしたか?」

「そうだな、キミみたいな若者が少ない感じはしたな」


 ふと、この村に初めて入った時の事を思い出す。夕暮れ時であったが外に出ている人々はそれなりに居たが、自分と同年代かそれより二つ三つ下の人間が少なく感じられた。


「流石、ヘンドリクスさんです。そうです、この村には20代の人はいないんです」

「居ないだと?」

「正確には出て行った、と言うべきなのですが」

「それはまた……どうして」

「ここからは余所の方に話すのはあまりいい顔をされないのですが、この村にはある掟があるんです」


 村の掟。その響きにはあまり好印象を持つことが出来ない。


「『成人を迎えた男子は選定の儀を行い、完遂した者は魔王討伐の旅へ赴くべし』というものです」

「選定の儀? なんじゃそりゃ」

「昔、この村出身の勇者が居まして。その勇者が魔王の封印とかいう大功績を残してしまい、当時の村長さんが彼の功績を讃えると共に次の勇者もこの村から! と考えたらしくて、この村で当時からやっていた成人の儀を改変して選定の儀として行うようになったのです」


 よほど当時の村長は強かだったようだ。こんな周囲に森と畑しかないような場所で金になるようなモノは救世主ですら使うということか。


「内容としては村の南西にある森奥深くに洞窟があるんです。そこに安置されている物を取ってくるという簡単なものなのですが、その森には少し強い魔物が出たりと狩人さん以外はあまり近寄らない所なんですよね。

「完遂すれば援助を受けて後ろ指を指されずにこの村から出られます。なので若い人の殆どはこんな寒村に居られるかと言って出て行きました。ですが、完遂できなくてもなんら罰則はありませんし、別に失敗して途中で村に帰ってもいいんです。今、この村にいる家族は“勇者見習い”にならずに村に留まるのを選んだ方たちですから。

「ですが、私の……あの馬鹿兄は生真面目にも儀式は完遂するまで帰ってくるつもりがないんでしょう。兄が村を出てもうひと月も経ちます」


 マリィの丁寧な言葉遣いが乱れる。それほどまで彼女は兄を心配しているのだろう。


「そのひと月というのは他の、選定の儀とやらを受けた他の人間と比べてどうなんだ?」

「普通なら長くても5日くらいで村に帰ってきますね。森に向かうのに1日、奥の洞窟に辿り着くのに1日。運悪く大型の魔物に出くわすこともあるそうですが、ここ20年は全くと言っていいほど無いそうです」

「兄のことですから死んでいることはないと思いますが……」


 そこまで話を聞いて、俺はどうすべきか再び思索する。暫く考えていると、エリカが椅子の背もたれに体重を預け顎をしゃくる。


「コウよ、そこまで慎重にならなくてもいいんじゃねーの? 万が一、強い魔物が出たとしても私が何とかするだろうし」


 エリカがちらりとルエルを一瞥する。ルエルは激しく上下に首を振っている。


「……いいだろう」

「ありがとうございますっ!」


 俺はマリィの無垢な笑顔より、ルエルの勝ち誇ったような笑みのほうに気を取られるのであった。

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