第9話
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「あの時はマジで顔が引きつったさ、何言ってるんだこの聖職者(大馬鹿)は。ってな」
コウはグラスに並々と注がれたブドウ酒を一気に飲み干した。私はその聞き飽きた台詞に適当に相槌を打つ。
「でスが、コウもぶつくさ不満を言いながらもリレシャを守りながら最後まで付き合ってくれたじゃないでスか」
アールはいつもより二割増しくらい目尻を下げ、フォークに突き刺した羊肉を口へ放りこんだ。
「敵中を単独突破しろってか? あの色ボケ魔女かお前くらいじゃねえと無理だろ、俺とあのガキが生き残るにはお前に付いて行くしか道が無かったんだよ。常にバンジージャンプ直前みたいなスリルが満載で、ああ、とても楽しかったとも。二度とあんな事は御免だけどな!」
コウは呵々と笑う。アールはちっとも怒っていない様子で空になっているコウのグラスにお酒を注いだ。
アールに食事に誘われた私たちは教会の一室で食卓を囲んでいた。そこまで長居をするつもりは無かったのだけど、ご馳走やお酒を愉しんでいると思い出話に花が咲き、男性の両名は完全にできあがってしまったわけだ。
お酒が飲めない私は酔っ払い二人の戯言に適当に相槌を打ちつつ、窓の外を眺める。完全に日が沈み、街道にはランタンの灯がぽつぽつと夜の闇に漂っている。流石首都、こんなに暗くなっても街を行き交う人々の波が絶えることがない。
「ルカエルの、最近の様子はどうでス?」
退屈そうに外を眺めている事に気付いたのか、はたまた単に疑問に思っただけなのか、アールが私に話題を振った。
「収穫祭の準備でてんてこまいよ、てんてこまい」
「その割にはルエルも、コウも余裕があるじゃないでスか」
「実務は殆ど弟と文官たちがやってるから、私がする事といえば本当に重要な書類にハンコを押すくらいよ」
「それだけなのに逃げだしてきたわけでスか。……ああ、ルエルはじっとしているのが苦手でスもんね」
「あのまま城に居たら書類の束に圧殺されてしまうわ。持つべきは優秀で従順な弟ね」
「そのうち反乱でも起こされそうでスね……」
「コイツが身勝手なのは昔からだろ」
コウが私の頭を乱暴に撫でる。コウは酔っぱらうと一言多くなるがいつも以上にボディタッチが多くなる。彼からの数少ない愛情表現を受ける機会が増えるのは喜ばしいけど、一言余分な言葉が増えるのは何とかならないのだろうか。
「ご歓談中失礼致します」
くしゃくしゃになってしまった髪を手櫛で整えていると、コンコンと扉がノックされる。ほどなくして、アールの弟子の一人が恭しく扉を開けた。
「なんでスか?」
「チェルスター上級神官、そろそろお時間です」
最初、アールはその言葉にきょとんとした表情をしていたが、何かを思い出したのか短く何かを呟いてからコップに入っていた水を飲み干した。
「スみません。今日は夜の礼拝があったことをすっかり失念していたようでス」
「もしかしてお前、そんな酒臭い状態で礼拝するつもりなのか?」
「大丈夫でス。ここで私に意見できる人間は夜の礼拝になんて来まセんから」
アールは下手なウィンクをした。
「お二人には部屋を用意してありまスので、彼に案内させまスね」
アールは椅子から立ち上がった。私もそれに従って立ち、アールにハグをする。
「今日はありがとう。楽しかったわ」
「いえ、こちらこそ手紙では伝えきれない事を語れて良かったでス」
アールは名残惜しそうに部屋を去っていった。
「では、お二方はこちらへ」
私たちはアールの弟子に先導され部屋を出た。
私は酔いが回ってふらふらしかけているコウの腕を引いて、誘導しながら弟子の後を付いていく。
数分ほど廊下を歩いたのち、彼は白色の扉の前で立ち止まった。
「こちらのお部屋になります」
弟子は扉を開け、恭しく腰を曲げる。
「ご苦労様」
私はここまで案内してくれた彼に労いの言葉をかけてから部屋の中へと入った。
「まあ!」
開口一番、私は目の前に広がる光景に驚嘆する。
白を基調とした家具に紺色の絨毯、調度品にはどれも金をあしらった装飾が見受けられる。壁際には同じく白色のクイーンサイズベッドが一つ、枕は二つでアールの気遣いがこれでもかと見て取れる。そして何より、大きな観音開きの窓の外に広がる幻想的な風景、そのあまりの美しさに私はぱたぱたと窓枠へ駆け寄った。
「ねえ、ねえ! すごいわ!」
眼下に広がるのは小さいながらも気品漂う庭園だった。中心の噴水を起点に上下左右対称にいくつもの幾何学模様が重なり、繋がるように四方の建物のすぐ近くまで伸びている。模様と模様の繋ぎ目には景観を損なわない配慮のもと、魔法石を用いた白色に近い発光をする照明器具が地面から高くない位置で固定されている。
――ここまでならルカエルの本邸にある庭園のほうが規模もその美しさも勝るだろう。しかし、この庭園はそれだけではないのだ。
四季折々の花々が文字通り“咲き乱れて”いるのだ。赤薔薇も白薔薇も青い花韮から桃色の紫陽花、淡い色のコスモスやカーネーション、シクラメンという普通の花々から、本来ならこの場に咲くはずのない宝石のような輝きを放つ結晶花や月明かりを浴びて仄かに明滅を繰り返す月光百合などの希少な植物まで、まるでおとぎ話に出てくるようなそんな光景が実在しているのだ。
流石は首都最大の教会。この客室の豪華さも、庭園の美しさも貴族や王族がよく訪れるからなのだろう。
私は幻想的な光景に酔いしれ、窓枠にもたれかかる。
「ねえ、コウもこっち来て」
私はこんな綺麗な光景をとても独り占めする気にはなれず、同行者であるコウに呼びかける。
「……コウ?」
しかしうんともすんとも返事をしない彼。私は振り向き、部屋の中を見渡した。
彼の姿はすぐに見つかった。ベッドの上で枕に顔をうずめて倒れていた。コウはうつ伏せになったまま手を挙げて応える。
「今日はもう寝る。おやすみ」
そう一言告げるとコウは力なく腕をベットへ投げ出した。
「もうっ! コウのばか」
私は大きく頬を膨らまして、また眼下の幻想的な空間に没頭するのであった。
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