第8話

 そこは阿鼻叫喚の地獄であった。

 東の部族の基地、その中心で黒い神官服の男性、アカルエ=コルベル・チェルスターは身の丈ほどある鉄塊じみた大剣をステッキのように軽々と振り回し舞踏している。

 一人、皮鎧を身に着けた烏帽子の男が上段から直剣をアールに目がけて振り下ろす。

 彼は手甲を付けた右腕でその剣を受け止め皮鎧ごと男の胴体を、大剣を振るい分断した。

 一人、槍を携えた兵士が雄叫び、突進する。

 彼は槍の切っ先を紙一重で躱し、槍を男の両腕ごと切断した。

 一人、弓を構えた軽装の兵士が目を血走らせアールの頭を狙い澄ます。

 アールは剣を盾に接近し、弓兵の頭蓋を何も持たない拳で砕いた。

 響き渡る悲鳴、土を濡らす夥しい血液。篝火が倒れテントに火が移る。大隊ほど駐留していた兵士はその殆どが斃され、生き残りもアールの修羅じみた戦いぶりに敗走を始めていた。

 そう、たった一人の神官によって一つの軍隊が壊滅したのだ。


「ひでえ有様だな」


 俺は人体が焼け焦げた臭いに顔を顰め袖口で口元を覆う。泥なのか人の血肉なのか分からない地面を踏み、ルエルを連れて来なくて良かったと心底そう思った。


「神敵でスからね。容赦は要りません」


 アールは地面に這いつくばっていた未だ息のあった兵士に大剣を深々と突き刺した。

 彼の背後では下火になった火災が徐々に白みつつある夜空を仄かに色づけている。


「つぅかよ、お前、本当に強かったんだな。ルエルの誇大主張かと思っていたが、まさか一人で制圧しちまうなんてよ」

「お褒めに与り光栄でス」


 アールは返り血を頬に付けたまま口角を上げた。


「こんな状況で笑えるなんてどこぞのB級スプラッターかよ。せめて返り血くらい拭け」


 俺は眉間に皺を寄せ、辺りを見渡す。


「何を探しているのでスか?」

「捕虜が捕まっていそうな場所」

「アレなんかどうでしょう」


 アールが指さす先には無傷のテントがあった。ほとんどのテントや小屋は燃え尽き瓦礫となっていたが、敵の指揮官が駐留していたであろう一際大きなテントは崩れずに残っていた。


「ああ、そうだな」


 すぐさまそのテントの傍まで近寄り中の様子を伺う。よし、敵の気配はなし。ゆっくりと入口の目隠しを潜って中へと這入る。

 その瞬間、水がめが自分目がけて飛んでくる。咄嗟に俺は半身になりそれを避ける。けたたましい音を立てて水がめが地面に転がる。

 視線を水がめが飛翔してきた場所に向けると未だ一〇代の、襤褸を着た赤毛の少女が涙目で俺を睨みつけていた。その両手には楕円形の銀の大皿が握られていた。


「大丈夫でスか」


 アールが口調は穏やかに、臨戦態勢で短刀をいつでも投擲できる体勢でテントの中に這入ってくる。


「大丈夫、大丈夫だからお前はその投げナイフを下ろせ。そこのアンタもその当たったら如何にも痛そうな皿を下ろしてくれ!」


 少女は状況を把握したのかこちらを睨みつけたまま手に持っていた皿を床に置いた。

 俺はアールに、お前が行け、とアイコンタクトで促す。


「貴女、お名前は?」


 アールは少女の前で片膝を付き、優しげに問いかけた。

 少女は彼の服装がが神官服であることに安心したのか言葉にならない声でたどたどしく意志の疎通を図る。


「舌を切られているようでスね。文字は書けまスか?」


 少女は首を縦に振り、アールの手渡した棒切れで地面に自らの名前を書く。少女の手首は擦り切れて血がにじんでいる。ちぎられたれた縄枷がついたままで、なんとか逃げ出そうとしていた事が伺い知れる。アールの後ろから覗こうとすると、彼がぬうっと立ち上がり、その巨体が俺の視界を塞いだ。


「何か、分かったか?」

「彼女は“リレシャ”というらしいでスね。マレティアから湖沿いに北へ数マイル行った所の村にスんでいたようでス」


 彼の後ろで少女が強く頷く。


「なら人違いか」


 残念ながら。とアールは消沈ぎみに呟いた。


「じゃあ、さっさとそこのガキを連れて退散するぞ」


 地平の向こうから太陽が顔を覗かせ、テントの中を白く照らし始めていた。


「なぜでスか?」


 アールは首を傾げる。


「俺の『隠密行動で行こう』という提案に『そうですね』って正面から殴り込みをかけるバカが居たからだよ!」


 俺は半ばやけくそに大声で捲し立てた。


「結果、楽に彼女を見つけることができましたよ?」

「そうだな、お陰で停戦の話もさっぱり無くなっちまったけどな。数時間後には西に居る奴らが大勢引き連れて俺たちを追撃してくるぞ」

「嗚呼、なら良かった」

「良かった? どこがだよ。停戦の話も無くなって、行き場を失った戦意十分の西の奴らは手当たり次第に周辺の街や村を襲い出すぞ」

「でスから、“良かった”んでスよ」


 アールは、にぃ、と楽しそうに嗤う。その表情はおおよそ、聖職者がするべきものではない。


「――これで、これで西の部族とやらも神敵として殺せるじゃないでスか」


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